第4話 兄妹
シルビアはセオディア・メレ・エトゥールの執務室を訪れた。
最近はシルビアがアイリと共に現れると、戸口の専属護衛がすぐに通してくれた。言わば、『顔パス』状態だった。
「カイル殿の様子は?」
「相変わらず眠ったままです。それよりファーレンシア様があまり食事をおとりにならず、そちらの方が心配でして……」
「やれやれ、世話がやける……」
セオディアはファーレンシアの侍女に、ファーレンシアの食事をカイルの部屋に用意するようにと命じた。執務を中断してシルビアと共にカイルの部屋に向かう。
途中、彼はシルビアの肩にウールヴェがいるのを見て微笑んだ。
「よく
「ウールヴェですか?はい、最近はどこにでもついてきますね。よく食べるので、
「際限がないので、控えめにしてかまわない」
「そうですか。少し控えます」
「ウールヴェは森まで喰らい尽くすからな」
シルビアはセオディアの冗談に少し笑った。
二人がカイルの部屋に入ると、ファーレンシアは眠り続けるカイルの傍らの椅子にいた。侍女達がテーブルと椅子を用意し、食事の準備を始める。
「ファーレンシア」
兄の呼びかけに返事はない。
少女はこの間の件からセオディア・メレ・エトゥールと口を聞こうとしなかった。シルビアは初めて見る兄妹の対立に気をもんだ。
「ファーレンシア、食事をしなさい」
少女はその言葉を無視するかのように寝台の
「ファーレンシア、食事をしないならばカイル殿の部屋の出入りを禁じるが?」
「――!」
兄の脅迫に少女は即座に立ち上がると、侍女のマリカの用意した食事の席についた。
そこへ追い討ちがかかる。
「ファーレンシア、残しても同様の処置を取る」
きっ、と少女は自分の兄をにらんだ。目が赤いのは、泣いてたからに違いない。ファーレンシアは大きく息をつくと、侍女の用意した食事をゆっくりと取り出した。
「……お見事です」
「あとはまかせていいだろうか」
「はい、お手数をおかけしました」
「それはこちらの台詞だ。ああ、午後にお時間があるならウールヴェの
「ありがとうございます。ぜひお願いします」
セオディア・メレ・エトゥールは立ち去った。
シルビアはファーレンシアが食事を取ったことに
「私の食事もここに用意していただけますか?」
マリカは、ほっとしたように頷いた。
「あの……シルビア様」
ファーレンシアが食事をしながらためらいつつ切り出した。
「おききしたいことがあります」
「なんでしょう?」
「カイル様は、戻られると自由を失うのですか?」
ああ、あの時カイルとうっかりかわした会話を気に病んでいたのか、とシルビアは気づいた。
「わかりません」
シルビアは正直に答えた。
「これだけの違反は前例がありませんから、何とも言えないのです」
「そうですか……」
「ファーレンシア様がお気になさることはありませんよ。彼自身の選択ですから」
「……でも」
「多分、私達の世界よりエトゥールの方が彼にとって魅力的なのでしょうね。何にも縛られず彼の人生は彼が決める、それでいいような気がしてきたのです」
「……」
「それより、カイルが目を覚ました時に、手伝っていただきたいので、ファーレンシア様も体力を温存してください。睡眠と食事は看護の基本ですよ。この調子ならお手伝いをお願いするのを断念します」
「そんな……兄のような脅迫はやめてくださいませ」
「脅迫が有効手段に思えましたから」
「……反省します」
「メレ・エトゥールはさすが
「……そうではないのです」
「え?」
「あの兄はやると言ったら本当にやるのです。鬼です。鬼畜です。しかも一番の弱点を的確についてくるのです」
「……鬼畜?」
「あそこで従わなければ、私は一生カイル様の部屋を
その鬼畜に協力を約束をしてしまった。早まっただろうか。
セオディア・メレ・エトゥールがウールヴェの
専属護衛達はやや離れて警護につき、会話が聞かれる心配はなかった。内密の話題を予想した配慮かもしれない。
侍女達がお茶と焼き菓子を用意し終わり立ち去った。
セオディアは自分用に新しいウールヴェを調達していた。
小さな生物にアイリが用意した菓子を与える。しばらくして彼は手の平にウールヴェをのせ、シルビアの目の前に差し出した。
彼の手の上のウールヴェは姿を消した。
――え?
次の瞬間、シルビアの右肩に自分のではないウールヴェが乗った。
――え?
「ええええ?!!」
シルビアは大混乱に
今、この小さな生物は短い距離とはいえ、確かに
「こ、この瞬間移動は貴方の能力ですか?!ウールヴェの能力ですか?」
「さあ?」
「さあ――って……」
『冷静なシルビア嬢が慌てる様は面白い』
「!!!!!」
完璧な
――待って、待って、待って。何から突っ込めばいいの?
シルビアは両手で顔を覆って息を整えた。能天気に寝ているカイルをたたき起こしたい衝動にかられた。
セオディアはそんなシルビアの反応に笑いを噛み殺しているようだった。
一つ一つ疑問をつぶしていくしかない。質疑応答の基本だ。シルビアは必死に頭を整理した。
「ウールヴェは思念――考えを伝達できるのですか?」
「できるが、誰にでもできることではない。ほとんどの人はウールヴェを使いこなせない」
セオディアは自分のウールヴェを呼び戻した。彼のウールヴェは素直に彼の肩へと戻った。
「まず、絆を作るのが難しい。だがシルビア嬢はすでにできている」
「私がですか?」
「ウールヴェが逃げ出していないだろう?」
「それは
セオディアは首をふる。
「自由気ままな生物だ。絆がなければ姿を消す」
「それほど難しいことだと?」
「簡単だとウールヴェを使った
「……確かに」
「加護の強さもウールヴェの使役に影響する」
セオディアのウールヴェは主人の指に無邪気にじゃれている。
「あと、ファーレンシアは相性がいい子が手にのると説明していたが、実際は違う。一度に使役できる数なのだ」
シルビアははっとした。カイルだけ腕がウールヴェにまみれたことを思い出した。
「貴方はカイルを試したのですか?」
「どちらかというと、貴女達二人を――が正しい。精霊の加護があるか知りたかった」
「私達には『精霊の加護』が理解できないのですが、『加護』とはなんです?『能力者』という意味ですか?」
「我々にはむしろ『能力者』が理解できない」
どう説明したものか、とシルビアは言葉を探した。
「私達の世界では、個人的に特殊な能力を持つ者が多いのです。ウールヴェを使わなくても遠方の会話ができたり、意思の力で物を動かせたり、自身を瞬間的に移動させたり、身体能力が飛び抜けていたり様々です」
「ほお」
セオディアは目を細めた。
「貴女は治癒師だ」
「正しくは治療の知識を豊富に持っているで、特に秀でた能力ではありません」
シルビアは告げた。
「そういう意味ではカイルの能力は、私達の中でも異質かもしれません。ただ言語習得などの学習能力に秀でているのは共通です。私達の位置付けは学者に近いかもしれません」
「賢者であるメレ・アイフェスにふさわしい」
「加護とはなんです?」
「言葉の通り守護だ。精霊が守り助ける」
「…………では『精霊』とは?」
「世界の番人という表現が近いかもしれない。世界の秩序を守る存在だ」
「……番人……
「ない」
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