青い瞳、青い空

赤月 瀾

青い瞳、青い空

 僕の18年間の人生は、この青い目によって振り回されてきた。


「日本語しか話せない外人」

「親父のいない弱虫青虫」

 そんな感じで、この青い目をダシに小学生の頃は随分と酷い言葉を浴びせられていた。


 それだから中学生に上がっても、出来るだけ目が目立たないように前髪を長くしたし、地味な陸上部に入って息を殺して僕は生きてきた。


 それなのに。

 家から離れた高校に上がった途端、急に女子が僕に好意的になって、一気に友達が増えた。


 僕のひねくれた性格を「ワルぶってていい」とか、適当な言葉でもてはやす始末。


 確かに、皮肉にも大嫌いな父に似て背が伸びて、部活のせいで足も速い方だ。

 でも最後には必ず、みんな口を揃えて同じ事を言うから。

 それが僕はとてもムカついた。


「目が青くて綺麗」


 カラコンとやらの存在を2年生で知ったけれど、時は既に遅かった。


 今まで誹謗されてきた青い目が、この後に及んで何故賞賛されるのか。

 背が伸びたから?

 足が早いから?

 そのおまけで僕の目は褒められているのか。


 じゃあ、僕が背が低くて足も遅かったら、この目はやっぱり“気持ち悪い”のか?


 それって、僕の事を本当に褒めているんだろうか。

 みんな、僕のを見てるんだろう。


 そうやって考える度。

 やっぱりこの青い目がなければ良かったと心底思う。


 放っておいてほしい。もう振り回されるのはごめんだ。


 そう。

 だから。

 僕は、一人になりたかったんだ。





 それは高校最後の夏だった。


 僕のクラスに転校生が入ってきた。

 サラサラの黒髪で色白な男子だった。


 女子の言葉を借りれば。

 細身で眼鏡で、目は黒くて細くて、口元が綺麗で『儚げなタイプ』。

 そう、今時のみんなが『好きなタイプ』の男子だ。


 先生に挨拶を促されて、低い声でぼそっと自分の名前だけ話す。

 それだけでクラスがざわついた。


 嫌な気分だ。彼のせいじゃない。

『こういうタイプ』はみんなにとって格好のエサなんだ。


 誰にも寄り付かなさそうで、あまり主張をしない奴が、自分にだけ優しくしてくれた、とか。

 自分しか知らない意外な一面がある、とか。


 自分にしか懐かない猫を、飼い主が自慢するみたいに。

 自慢する道具にされるから。


 滑稽だ。本当はその猫が好きなんじゃない。自分が好きなんだ。

 その猫にとってが好き。


 そんなの、見ているだけで憂鬱だ。


 彼は僕の隣に座ることになった。

 窓際の一番後ろの席だ。


「よろしく」

 声をかけると、あぁ、と返事が返って来た。



 初日の会話はそれだけだった。

 それから一週間、彼と特段話すことはなかった。


 けれど僕は、一方的に彼を観察していた。


 ぼそぼそ話すから人が苦手なのかと思ったのに。

 話しかけられれば笑顔で応えるし、授業もサボらずきちんと受ける。放課後にゲーセンに誘われれば笑って参加する。


 とても不思議だけど、いい奴だと思った。


 ただ、一つだけ謎があった。

 彼が昼休みにご飯を食べるところを、僕は見たことがなかった。


 転校初日は教室にいなかった。

 次の日から昼休みは決まって自席で本を読んで、ご飯は食べない。

 今日も、彼は相変わらず自席で本を読んでいた。


 ところで僕にとって、ご飯とは重要な存在だ。


 小学校で給食の時間だけは自由だった。

 自分の席に座っている事を咎められないし、普段暴言を吐いてくる同級生も食べるのに夢中で、目の前の僕なんか気にしない。


 中学生の頃は一人になって、ご飯を食べるのが唯一の楽しみだったし。


 さらに言えば、僕は運動部だし、母のお弁当はいつも美味しかった。


 だから、ご飯は僕にとって大事なものだった。

 それを口にしないというのは、余計なお世話かもしれないけれど、僕にとってはショックなことだ。


 それにお腹が空かないのか、単純に心配になった。

 ただでさえ細いのに。

 と。


「ごはん、食べないの?」


 考えていたら、自然と言葉が漏れていた。

 言ってから声が出ていたのに気付いて、気まずくなった。


 しょうがない。許してくれと心の中で願った。


 すると彼は顔を上げて、こちらを見た。

「食欲ないし」

 不思議そうな顔をしながら、けれど普通に彼は答えてくれた。

 そして「なんで?」と彼が首を傾げる。


「いや、お腹空かないのかなって。単純に思って聞いただけ」

「そう」

 彼は言って、目線を手元の文庫本に戻す。


 気まずい。

 僕は次の言葉を探しながら様子を観察する。


 文字がびっしり書いてある本を読んでいる。

 眼鏡は黒縁でまつ毛は短い。首も細いし、ついでに言えば腕も細くて、折れそうだと思った。

 こんなんで、ご飯食べなくて大丈夫なのか? 僕は心底心配になった。


 彼が本を左手に持ち替えて頬杖をついた。

 はっとして目を逸らす。


 僕の目線は彼にバレていたらしい。

 誤魔化すように、お弁当の卵焼きに箸を伸ばした。


「お前」

 呼ばれて体がびくっとする。

 恐る恐る彼の方を見ると、特に不快でもない、何も考えてなさそうな顔で彼が僕を見ていた。


「いつも一人で食べてるね」

「え?」

「ベランダか教室で。学食に誘われても断ってるだろ」


 僕は、あぁ、と呟いて下を向く。

 よく見てるなぁ、と思ったけど、僕も他人のことは言えなかった。


 確かに。

 僕は一人、悠々と教室でご飯を食べていた。皆こぞって学食に行くから教室はいつも人がいない。


 一緒に食べる相手は何人か思いつく。

 けれど僕は、未だに理由をつけてなるだけ一人でご飯を食べていた。


 この気持ちを言葉にするのは難しい。

 気を遣いたくないのもあるけれど。そもそも、もはや人とご飯を食べるやり方がわからない。

 でも、それより重要なのは。

 僕にとってこれは、、という事だ。


「特に理由はないけど」

 僕は嘘をついた。


「……へぇ」


 声に少し間があった。


 些細な事だし、説明しても分かってもらえないと思った。

 けれど彼はそれを見透かしているような、そんな目で僕を見ていた。

 相変わらず何も考えてない顔だけれど、その奥で、疑うというより寂しさのようなものを感じた。


 あくまで僕が思っただけ。

 けれどなんだか。その寂しさがひどく印象的で。

 本当の事を言ったほうがいい気がしたんだ。


「うそ」

 僕は呟いた。


「……本当は、人と話しながら食べんの、面倒なだけ」


 僕は努めて分かりやすい言葉を使った。

 でもとても素直な気持ちだった。

 “面倒”という言葉に内包できるほど分かりやすい感情ではないけれど、一番近い言葉だと思った。


 彼は僕の言葉に少し驚いて、それから薄っすらと笑った。


「実は俺も、うそ」

「え? ……何が」

「食欲はある」

 彼が歯を見せて笑った。

 初めて見た顔だった。


「え、じゃあなんで食べないの」

 僕の声は素っ頓狂だった。


 彼はそんな僕を見て「だって」と言った。

「人前で食べるなんて、恐ろしくてできない」

「まじか」

「あっさり納得するんだ」

「だって、人それぞれじゃん。怖いものって」

 これも僕の素直な気持ちだった。


「じゃあ人気のないところで食べればいいじゃん。とか、普通言わない?」

 彼は本を閉じた。

 愉快そうに笑っている。


「確かに」

 僕が頷くと「うける」とまた彼が笑った。


 正直そんなの考えもしなかったけど、思えば人気のない場所は基本的に快適さに欠けている。

 お腹の空き具合と天秤にかけて快適さを選んだ結果、クーラーが効いた教室にいたんじゃないかと僕は無意識に勘ぐっていた。


「でも人気のないところって大抵暑いじゃん?」

 僕は言った。

「じゃあクーラーのある個室トイレで食べればいい」

「それ虚しすぎじゃない? だったら僕食べないで本読んでる」


 僕は悲しくなるくらい本気でそう言った。


 だって、このひねくれた僕でさえも、いわゆる“便所飯”はしたことがなかった。


 正確に言えば中学の時、一度しようとして諦めた。

 僕に残されていたプライドの欠片がそれを制止させたからだ。


 終わりだぞ、と。


 思った途端涙が出て、僕はトイレを飛び出した。その日はご飯を食べなかった。

 そして次の日、年寄りの用務員さんがいつもほったらかしにしている鍵を盗んで屋上に忍び込んでご飯を食べた。


 ふふ、と彼が吹き出した。

 僕は馬鹿にされた気分でちょっと心外だった。

 けれど、よく見たらその笑いは嬉しそうな、控えめな笑みだった。


「正解」


 彼が言った。

 何が正解なんだ。

 僕が戸惑っていると「お前面白い」と彼が言った。

「え? 何が」と聞き返す。


「頭いいってこと」

「……昨日の英語小テスト4点だったけど」


 僕が言うと彼は、あはは、と歯を見せて笑った。


「そういうところがだよ」

 そうとも言って、彼は僕の肩を叩いた。





 次の日から、僕らは昼休みを一緒に過ごすようになった。


 相変わらずあいつはご飯を食べなかった。

 けれど一方の僕は、他人とご飯を食べるという快挙を、いつの間にか、あっさり成し遂げていた。

 あれだけ大切にしていたものを、何故か僕はすっかり忘れていた。


 だからと言って放課後一緒に遊びに行くわけでも、普段くっついているわけでもない。


 もちろん、用があれば話をするし挨拶もする。

 そして昼休みは他愛もない話をする。

 でも。ただそれだけ。


 割に不思議な関係だと思う。


 例えるなら僕たちは、手を繋いで一緒に綱渡りをしているみたいだし。

 極寒に放り出されたハリネズミみたいだ。


 多分、お互いに窺いあって、距離を誤らないようにしている。


 道連れになるのを、心のどこかで、お互いに知っているんだ。


 バランスを崩したら、もう元に戻れない。

 お互いを殺してしまうから。





 7月最後の授業は体育だった。

 その日は猛暑で、灼熱のグラウンドで男女混合の徒競走をしていた。


 授業の終盤。女子の悲鳴で僕はその事に気が付いた。

 あいつが倒れたらしかった。僕はその瞬間を見てはいなかった。


 見ると、グラウンドの反対側で倒れたあいつが起き上がろうとしていた。

 最初は転んだだけかと思った。

 僕は「大丈夫か」と笑いながら駆け寄った。

 そして、近付くにつれてどんどん足が早まった。


 ぞっとした。

 体が痙攣していた。焦点も合っていなかった。

 息が乱れて口からよだれが垂れていた。それに、膝と額から血が出ていた。


 僕はすぐそいつに近付いて体を支えた。

「おい、大丈夫か!?」


 僕の声は震えていた。

 本人は舌足らずに何かをぶつぶつ繰り返し呟いていた。

 白い肌が真っ赤だった。首筋を触ったら銭湯のお湯くらい熱かった。


 熱中症だ。

 頭の半分は冷静だった。


 そして、残された半分は凄まじい恐怖を感じていた。


 怖い。

 頭が悪い僕は言葉が見つからない。

 けれど確かに言えるのは。

 それはじゃなかった。

 勝手に動いてる。

 だった。


 心臓が動いていて、横隔膜が動いていて、血が流れている。


 僕の中でじゃなくなる。

 これは気味の悪い、動くだけの肉塊だ。


 冷や汗が背中を流れて、お腹が痛くなった。


「こいつ保健室連れてく!」


 僕は大声で先生に告げ、そいつを抱えてグラウンドを突っ切った。





 その後、あいつは保健室で様子を見ることになったと先生に言われた。

 救急車は呼ばれなかった。


 僕はホームルームが終わってすぐ保健室に駆け込んだ。

 ドアを思い切り開けると、保健室の先生が驚いた顔で僕を見ていた。

 そして「あのね」と静かに怒られた。


 部活で顔見知りの先生で、僕の母さんにちょっと似ている先生だ。


「病人がいるんだから静かにしなさい。君が運んできたんでしょうが」

「すんません」

 僕は謝ってドアを静かに閉める。


「そんなに急ぎの用事?」

「大切な友達だから。心配で……」

 僕が答えると、先生はかなり驚いた顔をして「お見舞禁止なんだけどなぁ、一応」と言った。


 きっと失敬なことを考えているのが僕にはわかった。

 僕に友達がいないと思っていた顔だ。


「失礼なこと考えてません?」

 僕はそう尋ねる。

 すると「そうとも言えるし、そうでもないね」とはぐらかされた。


 僕が眉間にしわを寄せて動かないでいると、先生は少し考えて「あ、そうだ」と呟いた。


「用事があったんだ。困った。

 今日は保健室に私一人しかいないし。お留守番してくれる人いないかなぁ」

 言って、ちらっと僕を見る。

 ほんとうに、先生のこういうところが僕は好きなんだ。


 僕は嬉しくて「はい」と挙手をした。

「僕! 僕がいる!」

「特別ね」


 こうしてお留守番という役を賜った僕は、先生を見送って一番奥のベットに近付いた。


 クリーム色のカーテンを開けると、あいつが少しにやけた顔で横になっていた。

 氷枕を頭の下に敷いて、太ももと脇に氷水の袋を挟んでいる。

「何笑ってんだよ。お前の方が面白いぞ」

「いや?」

 僕の言葉にそいつはくすくすと笑う。


 日が傾いて、カーテン越しでもまぶしい。

 そのせいか、眼鏡をしていないからか。なんだかそいつは別人のようで、ふいにさっきの事を思い出す。


 本当になのか。

 確かめるように、どれ、とそいつの額を触ってみる。

 さっきより熱は引いていたけれど、まだ少し熱い。


「お前、無理しただろ」

 僕は誤魔化して呟いた。

「まだぼっとする?」

 そうとも尋ねると、うん、と返事が返ってきた。


「目が回る。お前に姫抱きにされたせいで」

「馬鹿かよ」


 ため息をつく。

 生きている。安心する。がここにいる。


 じゃない。


 僕は深く息を吐いた。

 そいつは何かを思ったようで、でも何も考えていない顔でこちらを向いた。


 今なら、言ってもいい気がした。





「言いたくないけどさ」

 なるだけ優しく僕は呟いた。


「昼、食べたほうがいい。嫌なのわかるけど」

 彼は細い目を少し見開いて、そして少し笑う。


「お前に言われると、素直に食べなくちゃって思うよ」

「おう。無理しないでいいから食え。ちゃんと飲み物も飲め」


 僕の言葉の後。そいつは、暫く何も言わなかった。


 後悔した。

 妙に焦る。

 バランスを崩した、と僕は思った。


 けれどそんな僕に反して、そいつはとても穏やかな顔で僕を見つめていた。


「お前さ」

 そう、やっとそいつが呟いた。


「……どうして、聞かなかったんだよ」


 何を、とは聞かない。

「言われてやなことじゃなければ今聞くけど?」

 僕は言った。


「今なら答えるから聞いて」

 か細い声だった。


「なんで人前で食べるの怖いの」


 やつが緊張した顔で天井を見た。


「俺、今ばあちゃんちで暮らしてるんだ」

「小さい頃から両親に厳しく育てられた気がする。ご飯の時も。箸の持ち方が悪いと叩かれたし。皿ひっくり返された。

 俺一人っ子だから。男だし。親がどっちも教師で。ちゃんと教育しなくちゃって思ったんだよ、きっと。

 俺も教師になるつもりで必死に勉強した。習字、ピアノ、英会話とか。習い事ばっかで。それが当たり前だと思ってた。

 でも高校に上がって。初めて塾に行き始めて、仲良くなった奴がちょっとワルだった。

 その時初めて俺は漫画という存在を手にしたし、テレビの面白さを知ったし、ゲームがあんなに楽しいことを知った。


 それからどんどん成績が悪くなった。だって、勉強なんかより楽しいことがこの世にはたくさんあって、しかも箸の持ち方とか、歴史の年号なんて、知らなくったて生きていけるって気が付いたから」

「ご飯食べてる時に言ったんだ。俺、教師になりたくないって」

「そしたら……父親が急に怒鳴って」

「気絶するまで殴られた」


 少し間が空いた。

 僕は何も言えなかった。


「それから」と声がした。

「人前で食べるのが怖くなった。目の前の奴に殴られるんじゃないかって」


 鼻をすする音が混じっていた。見ると、そいつは向こう側に顔を背けていた。


 なんと言っていいか分からなくて、僕はそいつの肩にそっと手を置く。

 肩が息を吸うたびに震えて、僕もひどく悲しくなる。


「意味わかんないだろ」

 小さな呟きが聞こえた。


「いや」

 僕は真剣に返事をした。でも、それ以上、やっぱり何も言えなかった。

 何を言っても悲しさが増すだけのような気がしたから。


 暫くそうしていた。

 肩が震えなくなった頃、そいつがポツリと呟いた。

「俺も思ってたこと、言っていい?」


「いいよ」

 僕はすぐに返事をした。


「お前の目、スゲェ好きだよ」


 僕はぎょっとした。

 何と言っていいか分からなくて少し黙り込む。


 そしてようやっと「キモ」と一言呟いた。

「お前さ、」

 そいつが呆れた声を出したので「いやごめん。照れた」とすぐに謝った。


「目が青いから好きなんじゃない。お前の目だから好きなんだよ」

 彼がこちらを振り返る。

 今度は照れ隠しができなくて、僕は思わず下を向く。


「……でも」

「うん?」

「これのせいで」

 僕は思わず呟く。

「僕、小さい頃嫌われてた。この目のせいで。なのに今は……変に褒められて」

「うん」

「全然。全然、意味わかんない」


 いつの間にか目の前が涙で歪んでいた。


「気にすんなよ、って。言って欲しいんじゃないんだろ」

 そいつが言うから、僕は唇を噛みながら頷いた。


「全員じゃ、勿論ないけど」

 そう言いながら、そいつが体を起こす。


「女子がお前を持て囃すのは、お前の遺伝子が奴らと物理的に遠くて強い子孫を残す可能性が高いと無意識下で思ってるから。

 あと、皆が憧れる人物の遺伝子は優れている可能性が高いし、男子も損したくなくて群がる。アイドルの原理。

 子供の頃を言うなら、教育のなってないガキは体も心も成長してない。まず自分が生き残るために他人を蹴落とす。お前をきっといじめて蹴落としたみたく。

 つまり全て動物的本能」

「……そこまで言う?」

「ソフトに言ってる」

「……おう」

「確かに、俺も人間だから。物珍しさでお前の目が好きなのかも。多少は。

 でも……お前の目だから好きなんだ。天気がいいとお前の目の色思い出して、すげえ嬉しくなるんだよ。言ってる意味わかる?」


 一瞬引っ込んでいたのに。

 我慢できなくて、ズボンにぼとぼと涙が落ちる。


 “鍵”が外れた気がした。涙のじゃない。

 それが何の“鍵”で、何が飛び出て、何でこんなに寂しいのか、悔しいのか、悲しいのか。

 僕にはわからなかった。


 けれど多分。大昔掛けたままずっと開けられなかった、重要な“鍵”だ。


「お前自分に自信なさすぎ」そいつが笑った。

「少しは自信持てよ」


 さっきはお前が泣いてたくせに!

 そう思うのに、涙は止まらない。余計出てくる。


 僕の泣いている理由を、何故かそいつはわかっている風だった。

 僕自身にもわからないのに。

 何でこいつはわかるんだろう。

 考えていたら僕の涙が少しおさまってきた。


 そいつはそれを見て、何故かほっとしたように笑った。

 だのに僕はそれを見てまた涙が溢れてくる。


「お前な」

 呆れた声が聞こえた。


「お前は、優しくて、頭のいい奴だよ。本当に大切なことが何かわかってる」

「…………例えば?」

「俺に何も聞かなかった」

「……っそれはお前もだろぉ……」

「お前が聞いてこなかったから。聞いてきたら反撃するつもりだった。でもお前は俺に、何も聞いてこなかった」


 僕はその声を聞きながら鼻を鳴らした。


「嬉しかった。何も聞かずにいてくれたのが」

 静かな口調だった。

 思わず声の方を見たら、そいつも少し泣きそうな顔だった。


 僕はその顔を見て尚更胸が締め付けられて、尚更涙が流れるのを感じた。


 そして、今外された鍵が何の鍵だったのか、ようやっと、なんとなくわかった気がした。

 僕はこいつの持っている同じ種類の鍵をいつの間にか開けていたみたいだった。


「お前だって自信持てよ」

 僕だけ泣いているのが悔しくて、僕は泣きながら口走った。


「え?」と、やつの顔がひきつる。


「お前は何も悪くないじゃんか」


 精一杯の励ましだった。

 今なら、言っても大丈夫な気がした。


 みるみるうちにやつの顔は歪んで、目に涙が溜まっていく。


 一瞬悪い事をしたと思った。

 けれど、その涙は、今の僕と同じ種類の涙であるとわかったし、単純に怒って出る涙じゃないと知っていた。


 そいつは僕みたいにだらしなく泣かないで、手で顔を覆って泣いていた。


 お互いに苦しかった。必死にバランスを取っていた。

 でもバランスを崩した先。

 奈落の底だと思っていたところは落ちてみると案外と地面があって。

 お互い即死すると思っていた針は、刺してみると案外死なないことに気が付いた。


 もちろん無傷じゃない。

 かなり痛い。

 でも、傷ついてても、そこは温かかった。


「あとさ」

 やつは鼻声で言った。


「自分の名前。大嫌いだったけど好きになったんだ」


 どうして、とは聞かなかった。


「お前の目が、青かったから」


 そいつが言った。






 夏休み。

 僕はあいつと映画を見に行くことになった。海外の人気ロボットアクション映画だ。


 デートかよ、と二人で笑った。

 そのままカラオケに行く約束もした。歌の趣味がまったく違うのは気にならなかった。


 その日は僕の目の色をした空が広がっていた。

 嬉しくて泣きたくなる。

 綺麗な夏の色の空だった。












エブリスタ 超・妄想コンテスト 第83回「青」 優秀作品

※修正加筆 あり


青い瞳、青い空/赤月瀾

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