二夜

 ありのままの自分でなんか、生きられるように育っていないのだ。

 女の子はすっぴんの方がいいよとか、ナチュラルメイクを見破れない奴ほど簡単に口にする。つやつや卵みたいな透明感のある肌は、塗り重ねたら作れないと思っているんだろう。


 毎晩毎晩、可愛い女子たちの自撮りやメイク動画を徘徊して落ち込むような人間には、「ありのまま」なんて右から左へ光速で消えてしまうつまらない言葉だ。


 もっとぱっちりの二重に生まれたかった。向こうが透けて見えるくらいの肌が良かった。ビー玉みたいなキラキラした瞳になりたい。筋の通った高い鼻が欲しい。欲望は尽きることなくゴボゴボ、音を立てて湧き上がってくる。


 どうしてみんな可愛いの。どうして私は可愛くないの。鏡を見るのが憂鬱なのに、鏡ばかり眺めてしまう。


「お前、いつまで使ってんの」

 お風呂上がり、洗面所をいつまでも占領している私に兄が苦情を飛ばす。脱衣所の入り口で腕を組み壁にもたれる兄と、鏡越しに目が合った。もう終わるから、とブラシをしまっていると、「そんなに鏡ばっか見たって、急に美人になったりしねぇよ」と笑う。


 兄は顔の濃い母に似て、くっきり平行の二重に豊かなまつ毛、高い鼻と立体的な唇を持ち合わせている。いつも自信たっぷりで、たぶん私のことをブスな妹、と思っている。


 母というのはいわゆる、誰がどう見ても美人の部類で、さぞかしモテてきたのだろうというオーラが全身から滲み出ている。気の強そうな顔立ちに、歳を重ねてもスタイルを崩さないプライド、絶対にすっぴんで外になんか出ないという生粋の「オンナ」である。


 娘の私から見ても、なんで冴えない父を選んだのだろうと思わずにはいられなかった。父には申し訳ないけど、あんたがもう少しイケメンだったらなと何度もこっそり恨んでいる。


 そして母は自分に厳しい上に私にも厳しい。なまじ自分に似た美形の息子を先に産んだばかりに、あとから現れた冴えない私がお気に召さないのだ。愛して結婚した父に似た私を可愛いと思えないのはなぜだろう。可愛くなければ女じゃないとでも言いたげな母に育てられると、あぁそうか自分には価値がなかったのだ、と思うしかない。


 兄にもしっかり英才教育してくれたものだから、すっかり私は「不良品に生まれてどうもすいませんねぇ」とひねくれてしまった。

 そのうち、ひねくれてねじれて、千切れてバラバラになってしまうかもしれない。そうなったら、せめて来世では人から可愛いねと言ってもらえる程度の容姿に生まれてきますように。


 いつもお風呂を出たら、リビングでくつろぐ家族を避けて部屋にこもる。家族団らんなんて私は見たくない。のんびり呑気な父は母にべた惚れで、若い頃からずいぶんわがままを許してきたらしい。今でも父にとって母は出逢った頃のまま、可愛いお嬢さんなのだ。


 私がどんな風に育てられていても、見て見ぬふりをする父は嫌いだ。「そういうのは良くない」って一言が、出てこないんだから。父と兄に囲まれた母は、さながら逆ハーレムの姫だ。私のことをブスだと思っているくせに、若い女が羨ましくて仕方ないのだ。その空気を感じ取ってか、私のことを褒める人間はこの家に一人もいない。


 私は一人、少しでもマシな自分でいられるようにストレッチをして、美容動画を見て勉強している。バレない二重の作り方。目が大きく見えるアイラインの引き方。ナチュラルなカラコン。

 整形レベルで変われるんだから、メイクを考えた人には感謝しかない。大人になったら、整形だってしてもいいと思っている。だって可愛くなければ人権なんかないのだから。愛されるにも資格がいるのだ。


 どんなにメイクしてアプリで盛っても、元がブスだと可愛い子との差は歴然だ。一緒に写真撮ろうなんて言わないでくれ、といつも思う。並びたくない、インスタに上げないで。まさか私と友達でいるのは引き立て役にするため——、とここまで目まぐるしく妄想して、自己嫌悪の渦に飲み込まれるのがいつものこと。

 可愛く生まれていればする必要のない苦悩を生まれながらに抱えているなんて、一体なんのために生まれたんだろう。


 こうやって必死に手に入れたメイクの知識や、なんとか保った自尊心も、母は簡単に打ち砕いてくる。一生懸命に練習したメイクを家族の前でも少しずつ見せるようになった時、それに気付いた父が私を一度だけ褒めたことがあった。

「お前は目元が涼しげで美人になるかもなぁ。切れ長っていうのかな」と父が言うと、母は私の顔を見て鼻で笑って「お父さん、『こういうのは』切れ長って言わないの! 似合わないメイクして、色気付いちゃってさ」と言い放った。その時の悪意に満ちた顔を、きっと一生忘れない。


 整形依存症の人なんかを見ると、誰かの何気ない一言がまるで毒矢みたいに心に突き刺さって抜けなくなるってことがよく分かる。相手は軽い気持ちで言ったのだとしても、言われた方はそこで人生が変わってしまうほどの出来事になる。しかも、一生消えない上に、ことあるごとに顔を出しては苦しめてくる。


 また明日になれば、私は混んだ電車に揺られながら、可愛い女の子を目で追うに違いない。アイシャドウのグラデ上手いな。黒目大きいな、裸眼かな。朝から髪のセット気合入ってるな、女子力高いな。隣にいるのは彼氏かな。友達多いんだな、羨ましいな。


 可愛くなりたい、美人になりたい。なれないなら外に出たくない。

 そんなことばかり考えてしまうから、夜は嫌いだ。でも、朝はもっと嫌いだ。しなくていい早起きをして、顔面を必死に工事する。


 今、可愛いあの子はまだ夢の中だろうかと考えて、嫉妬に狂いそうになる。可愛くない子さえ、自信満々だと羨ましい。可愛い可愛いと育てられたのだろう。自分をちゃんと愛せるんだ。私だって、このままの自分を好きでいたかった。


 毎日「神様、いい子にしますから、可愛くして下さい」と心の中で呟いて眠りに落ちる。ベッドに横たわる私は、いつもみじめだ。




 朝、駅で待ち合わせた友人が私の顔を見て、バンと肩を叩いた。

「どしたん! 今日めっちゃビジュ良くない? メイク変えた?」興奮しながらまじまじと眺めてくる。

「昨日いつものと違う動画見てさ、マネしてみたんだ。変じゃない?」と言う私に、全然だよ、似合ってるよと笑ってくれた。

 友人は、私が可愛くなりたい気持ちを否定しないし、メイクで変わっていく顔ごと受け止めてくれる。


 私みたいに自己肯定感の低い人間に必要なのは、ありのままがいいよと言う言葉ではないんだと思う。

 すっぴんだとか飾らない自分みたいな、「誰かの考えた」ありのままを押し付けられたくないのだ。


 あなたの思うありのままって、生まれたままが一番美しいとかいう綺麗ごとでしょ、あなたはそれが素敵だって育てられたんでしょ、って言いたくなってしまう。


 メイクをして、着飾って、すっぴんを見ても私だなんて分からないような、それが私の理想。そうありたいと思う気持ちこそ、私の「ありのまま」だ。

 整形やピアスやタトゥーなんかを「親からもらった身体に……」って言う人がいるけど、くれって誰が言ったのよ。愛されもしない身体を、自分が愛せるようにカスタマイズして何が悪いんだ。


 少しずつ少しづつ、愛せるかもしれない自分を作りながら生きているんだ、私は。

 何回も何回も嫌いな自分を踏みつぶして、好きになれそうなところをなんとか探してやってきた。誰にも、否定する権利なんかない。


 今夜だってきっと、キラキラのインフルエンサーを妬みながらメイクの練習をするんだよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

朝は短い夜の底 五十嵐ガラシ @igarashi_gara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ