Ⅵ Grave

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 ネツァ・フィアストラを讃える祭祀は東西南北の島のいずれかで執り行われるという。今年は北の島がその担当ということで、島民たちのやる気もひとしおだ。


「お祭りが楽しいのは間違っちゃいないが、うちの島でやるってなると大変なことも多くてねえ。特に、お偉いさんへの接待は一苦労さ」


 この日も装飾品加工の手伝いをしていたクラリッサは、すっかり親しくなったモーワンから休憩時間にそんな話をされた。

 客人への接待はおおむね開催地に住まう女たちの仕事だが、全ての女が仕事に従事するのは難しい。未婚の若い女は、この祭りで良い人を探す。年端のゆかない子供たちはお菓子をもらいに回る。そしてフィアスティアリに老人はほとんどおらず、いたとしてもあくせく動き回れるはずもない。

 そういった訳で、他の島からやって来た首長たちをもてなすのは既婚の女たちである。そのうちの一人、モーワンは何やら不満があるようだ。


「何か気がかりなことでもあるんですか?」


 快活で豪放磊落ごうほうらいらくな性分の彼女が表情を曇らせるとは、意外なこともあったものだ。そう思い、クラリッサは何気なく尋ねてみた。


「ああ、あるさ! そりゃあもう、たんまりとね」

「そ、そうなんだ」


 そして、モーワンは愚痴を漏らせる相手がいなかったのか、クラリッサの問いかけにすぐさま食いついてきた。その勢いにクラリッサは若干面食らってけ反りつつも、相槌を打って聞き役の姿勢に入る。


「これ、たくさん人のいるところ──特に祭りの日なんかには、あれこれ喋って欲しくないんだけどね。南の島の連中が、どうにも面倒でねえ」

「南の島?」

「この島から真っ直ぐ南にある島さ。あそこの民は特にネツァ・フィアストラ様を崇めていてね。信心深いのは結構なことなんだが、その厳格さを他人にまで求めるってんで、色々気を遣わないとまずいのさ。今の首長はとりわけ頭でっかちで融通がきかないもんだから、うちの島の首長も頭を悩ませてるんだよ」

「へえ、あのアロヒュリカさんが」


 常に泰然自若とした──悪く言えば反応の悉くが薄くしれっとした印象のある──アロヒュリカが、島民にもそうとわかる程頭を悩ませているとは。

 深追いすべきではないと理解してはいたが、クラリッサはモーワンの言う南の島に少なからず興味を抱いた。

 あのアロヒュリカにとって頭痛の種になる程の相手だ、並大抵の敬虔けいけんさではないのだろう。『大いなる神』を信じる大陸でも様々な解釈が説かれ、それが原因で争いが起こることもあったため、信仰という点においてすれ違いが生じるのは道理なのかもしれない。


「悪い奴等じゃないんだろうし、彼らもネツァ・フィアストラ様に対して忠実過ぎるだけなのかもしれないけどね。わざわざ規則を作るだけならまだしも、それに反した者は同族であろうとも許されないって話だよ。ちょっとしたことが原因で、殺されて晒し者にされたり、身体を損なったりする民もいるそうだ」


 モーワンの話を聞く限り、南の島の首長はネツァ・フィアストラの過激派とも言うべき思想の持ち主らしい。さながら異端審問じみた内容に、クラリッサは僅かに眉根を寄せた。聞いていて気持ちの良い話ではない。


「大丈夫なんですか、それ。こっちではそれほど責められないことでも、南の島の人からしてみれば罪にあたるかもしれないってことですよね? いくらお祭りだからって、揉め事でも起こったら」

「それが気がかりなのさ。こればかりは、ものの考え方の違いだからねえ。どっちが正しいとか間違ってるとか、そういう物差しで測れる話じゃあない。だからこそ、なるべく関わりたくないんだけど……まあ、仕事だしねえ。お祭りの日は幾らか寛容になってくれてることを願うしかないね」


 そう言って溜め息を吐きかけたモーワンだったが、「ああ、そうそう」と声を落として続けた。


「……こいつはここだけの話だが、うちの首長の嫁さんは南の島の出身なんだよ」

「メクティワさんが……?」

「そう。ついでに、あの白い子も南の島の生まれでね。昔、あれのことで相当揉めたんだよ。そりゃもう、人死にが出るくらいね」


 恐らく、モーワンはツィカと近しいクラリッサだからこそ、この話題に触れたのだろう。少し聞いただけでも、フィアスティアリにとって禁忌タブーに近い話だとわかる。


「そんなだから、嫁さんは南の島に居場所がなくなっちまってね。殺すとか殺さないとかそういう問題になったところに、うちの首長が割って入って仲裁したのさ。他の島の首長たちもこっち側に回ってくれたから、その場はどうにか収まったんだ」

「それで二人は夫婦に?」

「結婚でもしなけりゃ、嫁さんをこの島に置いておく理由はなかったからね。首長は出身の島の者としか結婚しちゃならないって言われてるけど、こればかりは首長も妥協したんだろう。慣習を破りでもしなけりゃ、嫁さんは殺されてたかもしれないんだからねえ」

「でも、慣習を破ったなら南の島の人は黙っていないんじゃないですか? その辺り、あっちでは厳しいんでしょ?」

「そうさねえ……多分、根に持たれてるだろうね。普段、他の島とは交易するもんだけど、南の島は全く何も寄越してこないし……。あっちからちょっかいをかけてこないだけましなのかもしれないけどね……」


 だからと言って避けちゃならないんだろうけどさ、とモーワンは諦めの混じった顔で言った。

 なるほど、たしかにそういった事情があるのなら関わりたくないはずだ。あちらにしてみれば悪事など犯しておらず、むしろ異端は北の島の連中ということになるのだろうが、死人が出ている以上迂闊に近寄れるような相手でもなかろう。下手したら北の島の民たちに危害が及びかねない。


(……しっかし、あのご夫婦がねえ。アロヒュリカさんもなかなかどうして思いきったことをする)


 本人が目の前にいたらひゅう、と口笛のひとつでも吹いてやりたいところだが、アロヒュリカの姿はここにないため心の中で思うのみに止めておく。

 たしかに、あの二人が恋愛を前提に結婚したとは思えなかった。アロヒュリカは見ての通りだし、何しろメクティワが随分萎縮した様子である。余所者かつ未婚のクラリッサが言うのも何だが、あまり居心地が良い関係には見えない。

 それに加えて故郷で確執があったとなれば、いよいよメクティワにとって安穏の地はないようなもの。妙に幸薄そうに見えたのはあながち間違っていなかったのか、とクラリッサはぼんやり思った。

──矢先のことであった。


「も、モーワンさん!」


 休憩する女たちのもとに、やけに切羽詰まった風の若い男たちが駆け込んでくる。皆一様に顔を青くさせて、尋常ではない様子だった。


「なんだい、こっちはお昼休憩だよ。そんなに大騒ぎすることないだろう」

「そ、それが……! 南の島の首長が突然やって来たんですよ!」


 面倒そうに対応していたモーワンだったが、やって来た若者の言葉にさっと顔色を変えた。今まさに話題にしていた者たちではないか。


「連中、何でもそこのお姉さんにご用があるとかで……。早く出せって急かしてくるんです。妙に気色ばんでるし、どうしたら良いか……」

「あいつらがクラリスさんを? 一体どういった風の吹き回しだい?」

「わかりません、でもお姉さんに会わせろの一点張りで……。言うこと聞かなかったら何をされるかわかりませんよ、ここは素直に従った方が──」


 言いかけて、若者はひっ、と短く悲鳴じみた声を上げる。

 彼の後ろに、先程まではいなかった数人の人物がたたずんでいる。その中央に立つ一際小柄な女性が、す、と足音なく前へ進み出た。


「お前が、大陸からの漂流者ですね」


 その容姿は二十歳に満たない少女にも見えるが、発せられた声の調子や灰色の髪の毛、そして身体中にびっしりと刻まれた入れ墨は老練を超えて神秘的にさえ感じさせる。何とも言えない、不思議な雰囲気を纏った女であった。

 そんな彼女は、駆け込んできた若者いわくクラリッサに用があるらしい。実際、こうして声をかけられたのだから、彼が早とちりした可能性は低そうだ。


「そうですよー。それで、何かあたしにご用ですか? 一応あたし、アロヒュリカさんに滞在の許可はいただいてるんですけど……何か不都合でもありました?」


 かけられた声はあまりにも冷たく凍てついていたが、クラリッサは怯まなかった。むしろ飄々ひょうひょうとした声色で返す。

 これに対して、モーワンをはじめとする北の島の者はぎょっとした顔をし、中央の女以外はわかりやすく顔をしかめた。時折無礼だの何だのと幽かに聞こえてくるあたり、この女は南の島の者たちにとって高位の存在と考えられた。


「静粛になさい、見苦しい」


 どよどよとざわめく者たちを、女は一睨みで制する。その視線には抗いがたい強制力があり、クラリッサさえ身をすくませる程であった。

 周囲が静まったのを確認してから、女はクラリッサへと向き直る。首は動かさず視線だけ上げながら、彼女は抑揚のない声で告げる。


「私はチャムペカフ。南の島の首長です。白き肌の者……お前のことは聞き及んでいます」

「はあ。遠路はるばるお疲れ様です」

御託ごたくは結構。お前には、我らが島へ来てもらいます」


 唐突な要請──いや、命令であった。

 クラリッサはぱちぱちと目を瞬かせる。驚きと疑問から、声が出なかったのだ。

 その代わりと言っては何だが、彼女が答えるよりも先に、側にいたモーワンが口を開いた。


「待ってください、南の首長様。何故にこの子を連れていく必要があるのです?」

「黙りなさい。お前たちには関係のないこと。これは我々の問題なのです。罪に問われたくないのなら、そこを退きなさい」

「でも、この子はうちの島の領域で預かることになっているんですよ。うちの首長と話はつけたんですか」

「──くどい」


 尚もチャムペカフを問い質そうとしたモーワンだったが、その言は強制的に止められる。チャムペカフの付き人が、彼女に刃物──鉈に似ている──を突きつけたのだ。

 ひゅ、とクラリッサは息を飲む。過激な連中という話は真実らしい。


「わかりました、わかりましたから、乱暴はやめてくれませんか。あたしの返事が遅いって理由で知り合いが怪我するなんて、寝覚めが悪いですよう」


 モーワンや、北の島の民が傷つけられては堪ったものではない。努めて落ち着いた風を装いながら、クラリッサは南の島の首長を見遣った。

 全くの無表情。アロヒュリカにはまだ微々たる感情の起伏が見受けられたが、チャムペカフに至っては仮面のように無機質で、喜怒哀楽いずれも感じさせない。よくできた彫像だと言われれば、動かない限り信じてしまいそうだった。

 チャムペカフはそんな顔のまま、くるりときびすを返した。結びも編み込みもしていない長い髪の毛が揺れる。


「付いてきなさい」


 素っ気ない一言に、クラリッサははあい、と気の抜けた返事を寄越す。付き人の男たちに睨まれたが気にしない振りをする。


「アロヒュリカさんから何か聞かれたら、南の島に出掛けたって伝えといてくださーい」


 ついでに心配そうにこちらを見つめるモーワン、怯え、もしくはいぶかる他の島民たちに向けて言伝ことづてする。何も言わずとも事の顛末てんまつは伝えられるのだろうが、言われるがままに付いていったと思われるのも気に食わない。

 早くしろ、と言うように付き人が背中を押してくる。乱暴だなあ、と内心で愚痴をこぼしつつ、クラリッサは南の島に向けて歩を進めた。

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