第22話わたし、魔法少女になる前に大事なことを教わってました(忘れたことは、ありません)

「どうしてひとを殺しちゃいけないの?」

 わたしがまだ小さいころ、母にそう訊いたことがある。

 あのときのわたしはその質問を、いろんな大人たちにかたっぱしから訊いてまわってた。

 なんでそんなことを訊いたのか、いまはもう覚えていない。

 ただ単純にどうしてなのかを知りたかった、純粋な好奇心だったのか。

 答えにくい質問で大人を困らせようという、幼稚ないたずら心だったのか。

 どっちにしろ、きっかけなんて些細なことで、理由なんてどうでもいいことだったに違いない。

 でも、答えがほしかったのはホントだった。

 ホントのことを、答えてほしかった。

 だけどみんな、はぐらかしたり誤魔化したりするばっかりで、ちゃんと答えてくれなかった。

 なかには大人をからかうな、なんて言って怒る人もいた。

 そして実際怒られた。

 そうしてホントのことを答えてもらえないまま、わたしはトボトボ家に帰った。

 そして、最後にこのことを訊いたのが母だった。

 家に帰るまでのことは、もうあんまり覚えていないけど。

 このあとのことは覚えてる。

 はっきり全部、覚えてる。

 母がわたしに、いったいなんて答えたか。

 丁度そのとき晩ごはんの準備をしていた母は、包丁を動かす手を止めて、くるりとわたしに振り向いた。

 振り向いて、にっこりわたしに微笑んだ。

 にっこり微笑んだまま、わたしを思いっきり殴り飛ばした。

 パーじゃなく、グーのほうで。

 わたしは台所から部屋のすみまで、ふっとばされて、壁に背中を強くぶつけてようやく止る。

 何が起こったのかわからなかった。

 あの笑顔を見せてくれたお母さんなら、わたしの質問に答えてくれる。

 ホントのことを、答えてくれる。

 そう思った瞬間、殴り飛ばされ転がって、床に這いつくばっていた。

 殴られたほっぺは、触ってみるとじんじんと熱く痛みを増して、大きく膨れて腫れている。

 口の中がぬるっとしてじゃりっとするのは、きっと歯が折れて血がでてるからだ。

 そうしてわたしは、何がなんだかわからず這いつくばって、混乱したままだった。

 それでもなんとか、反射的に顔をあげ、涙と鼻血をボトボトこぼして、お母さんのほうを見た。

 お母さんを、見てしまった。

 その姿を見て、わたしは呼吸もできず凍りつく。

 こころもからだも、わたしの全部が動きを止めた。

 お母さんは、何も変わらず立っていた。

 わたしを殴ったときのまま、右手を固く握ってた。

 わたしに振り向いたときのまま、左手に包丁を持っていた。

 わたしの質問を聞いたときのまま、にっこり笑顔で微笑んでいた。

「ねえ、こいし」

 お母さんは、その笑顔にピッタリの優しい声で、わたしにゆっくり話しかける。

 そのときわたしは理解した。あたまよりこころより先に、わたしの本能的な、本質的な部分で理解した。

 もう答えは、でていることに。

「その格好のまま、もう一度、

 わたしはその言葉を聞いた瞬間、ひたすら泣いてあやまった。

 同じことなんて、言えるわけがなかった。

 ほっぺの痛みも流れる血も全部忘れて、ガクガク震える体を床に押しつて、ただひたすらあやまった。

 お母さんを見ることができなかった。

 ごめんなさい。許してください。もうこんなことはしません。だから、だから……。

 それは、子どもが親に許してもらうためのものじゃなかった。

 それは、弱いものが強いものに対して願うもの。

 命乞い、だった。

 わたしが悪かったです。わたしが間違ってました。だから、だから……殺さないでくだいさいと。

 殺される側にいるものが、殺す側にいるものに、必死に助けを求めるものだった。

 どうしてひとを殺しちゃいけないのか? なんてバカなことを訊いたたんだわたしは。

 そんなこと、

 ただ、必要ないからしないだけで。

 そんなことは、いつでも、どこでも、簡単に、できるひとがいるからだ。

 少なくとも、わたしのお母さんがそうだった。

 わたしがいま、泣きながら震えて命乞いできるのも。

 まだ、こうして生きていられるのも。

 お母さんが、わたしを殺さないように、死ぬほど手加減したからだって。

 

 わたしはそのことを、グルグル回るあたまで、ガクガク震えるからだで、ギシギシ軋むこころで理解した。

 そしてこのが、わたしのバカな質問に対する答えだった。

 死の恐怖、何よりも、ただただ殺されることへの恐怖。

 それが、これ以上ないほどわかりやすい、ホントの答えだった。

 生きていたいと思うなら、死にたくないと望むなら、殺されたくないと願うなら、

 お母さんは、足音をたてることがない。

 こんな古いアパートの、立ってるだけで絞め殺される鳥みたいな音がする床の上を、お母さんは全然音をさせずに歩く。

 まるで雲の上を滑るみたいに。

 そのお母さんが、ぎしり、ぎしり、と重い音をたてながら、ゆっくりわたしに一歩ずつ、近づいてくる。

 その音が鳴るたびに、その一歩が近づくたびに、わたしの心臓はドクン、ドクン、と口から這い出るように蠢いた。

 そんな、わたしの視界のなかに、お母さんのつま先が目に入る。

 お母さんが、わたしの目の前に立っている。

 耳の奥からゴウゴウと音が鳴り、体の震えも、心臓の鼓動も、壊れそうなほど強く速くなる。

 そしてお母さんはその場で膝をつき、床に体を押し付けたままのわたしを、そっと肩を掴んで顔をあげさせ、優しく背中に手を回す。

 このときわたしは、知ったんだ。

 本物の恐怖は、ひとのすべてを止めてしまうということに。

 細いピンで縫い止められた、虫の標本みたいに。

 そうしてお母さんは、もう何もできなくなったわたしを、抱きしめてくれた。

 わたしの体が折れない程度の力で、優しく抱きしめてくれた。

 そして背中をさすりながら「ごめんなさい、殴ったりして。でもどうしても、解ってほしかったの。だからこいし。あなたなら、

 わたしはその言葉を聞いて、裡から溢れるものを抑えきれずに、またひたすら泣いてあやまりながら、何度もうなずくだけだった。

 そんなわたしをお母さんは「よしよし、大丈夫、大丈夫」と言いいながら、わたしが泣き止むまで、ずっと背中をさすって抱きしめてくれたいた。

 わたしが泣き止んだあとは、固く握った右手を開いて、わたしのケガの手当をしてくれた。

 左手に持った包丁も、食材を切るためだけに使われた。

 そして晩ごはんができあがり、わたしは腫れたほっぺと抜けた歯のせいで、少しぎこちなく「いただきます」と手を合わせる。

 するとお母さんはにっこり笑って「召し上がれ」と答えてくれた。

 あの日食べたごはんの味は、血の味しかしなかったけど、わたしはそれを存分に味わって、ごくん全部呑み込んだ。

 あのときの血の味は、わたしの恐怖と、母の教えそのものだったから。

 だからわたしは忘れない。

 わたしを殴った母の拳が、いったいどれだけ硬かったのかを。

 左手に構えた包丁の、冷たく鋭い使い込まれた刃の輝きを。

 どんなときでも変わらない、母のあの微笑みを。

 わたし自身に刻まれた、死の恐怖、殺される恐怖を。

 忘れることなんて、できなかった。

 あのとき抜けた歯は、まだ生えてきていないけど。

 わたしはその空白を噛みしめるたび思い出す。

 そこに何もないことが、大切なことがあったことの、何より大事な証明だから。

 




 だからわたしは教えてやるんだ。

 死ぬってことが、どれくらい怖いことのか。

 殺されるってことが、どれほど恐ろしいことなのか。

 生きる気のないこいつらにも、たっぷりと教えてやらないといけないんだ。

 だって、わたしがそう教えられたんだから。

 わたしがあんなふうに、教えられたんだから。

 こいつらもおんなじようにしてやらないと、

 どうせ生命なんてみんなおんなじなんだから、同じく扱ってやるべきなんだ。

 わたしとおんなじ目に、合わせてやらなきゃいけないんだ。

 じゃないと、

 そのために、わたしはさっきむしった首を右手に持ったまま、足もとに転がるこいつらに、たっぷり非道いことをする。

 痛みを刻みつけ、恐怖を植え付けるために。

 死ぬことを、殺されることを、存分に意識させるために。

 そのために、こうしてやらなきゃいけなんだ。

 あのときの痛みと恐怖を忘れるためには、こうでもしなきゃ、いけないんだ。

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