第21話わたし、魔法少女になってわかったことがありました(ちょっと勘違いしてました)

 生命の価値は、ひとそれぞれで絶対違うと思ってた。

 決して同じでも、平等でもないと思ってた。

 そして実際そうだと、わかってた。

 いま、生きているわたしの生命も。

 もう、死んでしまったお母さんの生命も。

 誰でも知ってるおっきな国のなんだかすごい偉い人の生命と、誰も知らない貧しい国の子どもの生命が、おんなじなんてあるわけないんだから。

 そんなの生きていれば、みんな嫌でもわかることだった。

 でも。

 みんなは生命の価値は平等だ、なんだと、そう言ってた。

 ひとどころか、生きてるものなら何でも全部、等しく均しい生命を持ってるなんて言っていた。

 生命はこの世で何より尊いんだと、そう言ってた。

 そんなこと、あるわけないのに。

 人間の生命は地球より重い、なんて言った人もいたみたいだけど、わたしは違うと、聞いたとき思った。

 そんなわけあるはずないって、強く思った。

 だって、もしホントにそうだとしたら、とっくに地球はつぶれてる。

 人間の生命なんかがホントに地球より重いなら、そんなのが六十億も七十億もいるんだから支えられるわけがない。

 耐えられる、わけがない。

 それに、どんな生命も同じで平等だって言う人も、じゃあ、あなたの生命の価値はそこらの虫とおんなじですよ、と言われて頷く人はいないだろう。

 絶対認めたりしないし、決して受け入れたりしないだろう。

 納得も了承もしないだろう。

 それどころか、あなたの隣にいる人は、あなとですよ、生命の価値はおんなじですよ、と言われても変わらないだろう。

 たいていお腹をすかせてて、いつも擦り切れ色あせた服を着ていたわたしと、三食お腹いっぱい食べて、毎日キレイな違う服を着ていたクラスの女子が、、思ったことがない。

 やせっぽっちで背も小さい、食べるところのほとんどない体のわたしと、健康的で背の高い、肉付がいいのによくしまった体のあの子、どっちが、すぐわかる。

 ひとがどっちを食べたいかなんて、よくわかる。

 あそこで転がってるあの子を見れば、すぐさまわかる。

 、とってもわかる。

 、わかったことがひとつある。

 だれが食べる側で、どっちが食べられる側だったのか。

、好き勝手に食べ散らかして初めてわかったことがある。

 自分が思い違いをしていたことに。

 生命なんて、

 それはわたしが、殺す側になってみて、殺していいやつらを、自由に殺して感じたすべて。

 こんなやつらの生命でも、殺せばこんなに愉しくなれるなら。

 生命を摘み取ることが、こんなに愉しいことならば。

 、きっとすべての生命はおんなじなんだって。





 そんなわたしの生命にどれだけの価値があったのか、こんなわたしの人生にいったどれくらいの値段がついたかのか。

 それをわたしが知るのは、もうちょっとだけあとになる。

 そしてわたしはこれからずっと、自分の値札を首から下げて、いきていくことになる。

 わたしがずっと、魔法少女である限り。

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