シネキ

玉手箱つづら

シネキ

 昼下がり、全国ネットの報道番組、カメラが男性司会者の顔を映した或る瞬間に、その声は響いた。

「死ねえええええぇぇぇ!!!!!」

 叫びだった。テレビを通して振動を感じるほどの声量と気迫。

 視聴者たちはみな思わず肩を跳ねさせ、ある者は後ろを振り返り、ある者は意味もなく立ち上がり、またある者は鉛のような眠気がすっと消えていく実感に息をのんだ。

 なんだ、今の声は。

 昼食も終え、緩慢な時間のともに流していたテレビに、食い入るような視線を向ける。そうして気づく。テレビの向こうでは、何事もなかったかのように番組が進行していることに。

 もう一度、後ろを振り返る。あるいは脱力のままに腰を下ろす。

 視聴者からの電話で事態に気づくまで、番組はいつもどおりに続いた。

「先ほど番組内で、不適切な音声が流れてしまいました。お詫びいたします。現在原因は分かっていませんが、調査の末、再発防止に努めてまいります」

 数十分後、司会者が頭をさげる姿が、視聴者にようやく確信を与えた。あの声は現実にあったのだ、と。

 白昼を引き裂くような叫び。身体を直接揺すぶられるような、あの感覚。それらを思い返したうえで、やや軽薄に、結論づける。

 あれはこの世のものではない。

 根拠と言えるものはない。しかし相当に真実らしかった。そんな恐怖と興奮を、思い返して、思い返して、やがて人々は余計なことにも思い至った。

 それにしても例の声、綺麗だったなあ、と。



 気迫こそあれど美しく、恐ろしいのだけれど、消え入る直前なんかは、涙声を振り絞っているような震えがほんの少しあったりもして、どこか可愛らしい。

 これが事件から一週間ほど経ったのちの、例の叫び声に対する大勢の評価だった。

 声の主については、二十代前半だろうとする者が大半だったが、十代後半だと断定し、一切譲らない一派も存在した。どちらにせよ、若い女性の霊であろうという認識は共有されていた。

 シネキというあだ名は、そんな風に語りあう者たちの間で、およそ自然発生的に生まれたものだった。


 死ねの姉貴で、シネキ。


 ライトな呼称が徐々に世間へと浸透していく一方で、視聴者が録画していた叫びの瞬間のユーチューブ動画はぐんぐん再生数を伸ばし、彼女の存在はトレンドへと変わっていった。



 初めに『シネキです。』と題して「死ねー!」と叫ぶ動画をあげたのは、自分の声に若干の自信を持った大学生だった。声優志望と考えればそれほど悪くないような、少し艶を感じさせるトーンの高い声で、しかしシネキのような張りはなかった。

 この動画には否定的な意見が集まった。一旦は不謹慎さを窘める程度の倫理のはたらきを、人々は見せた。そうしてその数日後には、ユーチューブにシネキを名乗る動画を溢れさせるのだった。

「死ねぇー!」

「シネキです、この度は世間を騒がせてしまいすみませんでした」

「死ねー!」

「死ねぇ!死ねぇ!」

「冷静に考えて韮蔵は死んだほうがいいと思うんです」

「それではやらせていただきます、死ねっ」

「シシシシ、シネ、シネ、シネシネシネ、シネ〜(有名なゲームのBGMに音を嵌め込んでいる)」

「死〜ね〜」

 初期の頃はまだ本物に似せる気を感じさせたこの流行も、次第に「死ねって叫んでみた」へと成り代わり、とりあえずトレンドがあればいっちょ噛みすることを業態としている男性ユーチューバーが参加したあたりでタガが外れ、その後は「シネキ」「死ね」の要素を組み込んで如何に目新しいことをするかを競う何かに変貌した。そうした動画の背景には、件の番組の画面を切り抜いた静止画が使われることが通例となり、ユーチューブのサムネイルには、思い思いの加工を施された司会者の顔が並んだ。

 当の司会者も含め、有識者と呼ばれる者たちは一様に顔をしかめたが、それがかえって熱狂に拍車をかけ、そうした発言をした有識者のツイッターやインスタグラムに「死ね」と送る者まで現れた。

 ひと月が経っても熱が引く様子はなく、達観を気取った者たちは「本当に誰かが誰かを殺すまで収まらないだろうな」などと、したり顔でインターネットに書き込んだ。



 こうして、人々が騒動に慣れ、過激な言葉を使いつつもゆるやかな生活に戻っていたある日、それは再び現れた。

「それでは次のニュー、ふ……」

 昼下がり、前回と同じ報道番組、司会者は突然言葉をつまらせ、そのまま宙を見あげて動かなくなった。

 目に見える異常事態に、動揺するスタジオ内。スタッフと思わしき声が飛び始めるなか、司会者の口がおもむろに開く。

「シネキです」

 中年男性の口から出るにはあまりに似つかわしくない、透きとおり、かつ甘やかな声。叫びではなかったけれど、聞いた者はみな、これがシネキ本人の声だと瞬時に理解した。

「わたしは、消えようと思います」

 奇妙な静寂が、彼女の周囲を包む。司会者の顔は相変わらず宙に向けられたままで、およそ視線らしいものは無い。身体は直立し、口以外は微動だにしない。

「みなさ、んオモチャにし、くれてあぃ、がとう。おかぐぇ、ふんぎぃ、が、つきま、した」

 愛らしい声が、締めつけられるようにつかえる。それと連動して、司会者の首、喉のあたりが、見えない手で握られているかのように、ぐり、ぐり、とうごめく。

「この怒りが……つたわぁ、ないぉ、なら、そんざぃ、すっ、いっ、いみ、な、なっ、ない……」

 ぶ、つん、と。千切れる音がして、司会者の首から血が吹き出す。そうして、糸が切れるように、その身体はゆっくりと後ろに倒れる。

 番組のセットが崩れ、けたたましい音を上げる。それを合図に、ようやく混乱がスタジオを襲う。スタッフが司会者に駆け寄り、救急車を呼ぶ声が響く。コメンテーターたちは悲鳴をあげ、画面外で、誰かが嘔吐する音が乗る。誰かが誰かに叫ぶ。何かが倒れ、あるいは壊れる。躓き、逃げ出し、怒鳴り込む。泣く。

 それらすべてがノイズとなって、騒々しさが極点へ達したところで、司会者のマイクが、醜く潰れた声を拾う。


「お前たちは、呪うにも値しない」

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シネキ 玉手箱つづら @tamatebako_tsudura

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