2006年・私の「物語の作り方」
……例文などは適当にざっくり読み飛ばしてください。……
これまでに、「物語は完璧」と過剰な発言をしたのは、「この私が考えたから最高のデキなのよ!」と言う訳では断じてなく。
私は、ただ「物語」に引っぱられるままに動いているだけ。
私の物語の書き方は、テーマが先にあるわけでもなく、キャラがあるわけでもなく、「物語」が浮かぶ。
物語が浮かんだ瞬間(厳密に一秒ではなく、長いと一分以上)に、最初から最後まで決まる。
自分では思いもよらない物語なので、「浮かぶ」というより「物語が降りてくる」感じ。
特に長い物語の場合は、「物語の神様降臨!」といった感じ。
物語が降臨する瞬間は、頭の中で、映画を高速早送りしてるか、絵本を素早くめくっていく感じ。
絵本といっても文字はなく、断片的にシーンだけが続く。
重要なセリフは、そのシーンごとに声で浮かぶ。
これを、とりあえず「映画絵本」と呼ぶことにする。
「もし……だったら~」という妄想は何気ないことでも展開するので、映画絵本は日常を送りながら、短いものから長いものまで見る。
そんな中でも「これは良かった」と自分が感動したもの、「あらためて読みたい」と思ったものを、文章にしている。
だから「一度見たもの」になる。
「映画絵本」は映画のように具体的ではなく、イメージで出来ているので、登場人物の具体的な容姿や名前などは一切わからない。
例えば、
1.幼い男の子と女の子が無理やり引き離されるシーン、
2.制服の少女が、道ですれ違った男の子に目を奪われるシーン、
3.少女と男の子が両思いになるシーン、
を見たとする。
シーンと一緒に、そこにいる全員の感情も入ってくる。
1.
引き離されて悲しい。
男の子は「絶対また会う!」と決心している。
女の子は何か言いたいけど泣いてしまって言葉にできなくて余計に悲しい。
周りの大人たちは「仕方ない」と思っている。
2.
少女が男の子を見て、胸が痛くなる。
男の子は少女に気づいていない。
少女は今まで「恋なんて」と思っていたのに、なぜ道端ですれ違った男の子がこんなに気になるのか不思議でたまらない。
3.
少女と男の子と一緒にいて、穏やかな満ち足りた幸せ。
男の子は、会いたかった人に会えて嬉しい。
少女は、幼い記憶がなく、初恋の人が幼馴染だと知って驚いているけど嬉しい。
以上の受け取ったシーンと感情を、私は、「引越しで別れた幼馴染と再会して恋に落ちる」という物語だと解釈する。
でも、こんな風に一文で書いてしまっては、その時に受け取った感情が伝わらない。
私が感じたのは、もっと切ない気持ち。
それで、見えなかったシーンを補足して、「もっと切ない気持ち」にいたる道のりを作ろうとする。
同じ話をどれだけドラマチックに組み直すか、という感じ。
私がしていることは、
①断片的なシーンを破綻しないようにつなげる
②物語をわかりやすくするためのキャラをたてる
③文章で書く
つまり「見たことをわかりやすく再構築して文章で表現する」こと。
具体的に書くと、
1.
まず、降臨した物語を忘れないようにノートに書きとめる。
初めのうちは夢の欠片みたいに断片的なので、大筋やキーワード、キャラの特徴など、とにかく忘れないためのメモ。
例)
「引越しで別れた幼馴染と再会して恋に落ちる」
少女は引込み思案。
幼馴染で色々かまってくれていたリーダー格の男の子が引っ越す。(小学一年生くらい?)
大きくなった少女は、おてんば。
悲し過ぎた幼馴染との別れは忘れている。
制服を着た少女が、人の多いにぎやかな場所で男の子とすれ違う。
目を奪われる少女。男の子は行ってしまう。
再会した男の子はクールに育っていて、お互い、相手に気づかない。(少女の名字も変わっている?)
最終的に、少女は男の子を思い出す。色々あって恋人になる。
2.
この時点の登場人物は、まだ『マイペースな女性』『生意気な少年』程度で、歳もわからないし、名前もない。
その状態の登場人物で、頭の中で大筋をなぞっていく。
「なぞる」とは、頭の中で筋を追うんだけど、追うだけじゃなくて、その世界に入り込むこと。
その世界に入って、登場人物になる。
例の物語なら、それほど都会じゃない住宅街にあるショボイ公園。
砂場とすべり台と鉄棒くらいしかない。
でもそこしか公園がないので、幼い子供が集まる。
私はガキ大将であり、引っ込み思案の少女であり、その他の友達でもある。
みんなそろった、砂遊びなら少女もできるかな、と「よーし、おっきな砂山を作るぞ!」と言う。
少女は参加したいけど参加できずに、ちょっと下がって見ているだけ。
他の友達は、今日の予定を決めてくれて嬉しい。
家からスコップなどを持ってくる。
……という感じに、状況と心情を一緒に見ていく。
こんな風に頭の中で再生すると、細かいところも見えてくるので、重要なシーンやセリフをすべてメモ。
何度も再生しながら、シーンのつながりが破綻していないか確かめる。
破綻する場合は、登場人物を足したり引いたり、舞台を変えたりする。
例)
小学校に入学してすぐ男の子が転校したのは、親が社会的な何かで町にいられなくなったから。
男の子は、裕福な家庭でのびのび育ったので、気も大きく、ガキ大将。
恥ずかしがり屋な少女がかわいくて好きだから、いつも何かと意地悪していた。
逃げるように町を出るので、男の子は誰にも、自分が引っ越すことを言えない。
男の子は家を抜け出して少女に会いに行く。
「これ、やるよ」「え?」(プレゼントかオマジナイで)
「泣き虫が治るオマジナイ。いっつも泣いてばっかじゃ、他のやつらに嫌われるぞ」
少女はまた意地悪をされるんじゃないかと、びくびくしている。
男の子の態度がいつもと違うのに気づかない。
翌日、男の子はいなくなる。
少女は、実は男の子が、ただいじわるだけじゃなくて、友達のわに入れてくれたり、他の子が意地悪するのを止めてくれたりしていたことに気づく。
親に男の子のことを聞いたら、「(社会的なことが問題なので)男の子のことは忘れなさい(さらに男の親の悪口とか)」と言われ、今更ながら、男の子のことが好きだったことに気づき、好きな人のことを悪く言われて悲しくなって、本当に忘れてしまう。
男の子は、引っ越してからも色々あったので、ガキ大将からクールな少年に育つ。
何事も斜に構え、一歩引いた、冷めた感じ。
少女のことは覚えている(少女は幸せな時代の象徴)。
ふとした時、泣いてないか心配したりしている。
少女は、ガキ大将だった男の子のことが好きだったからか、引っ込み思案からは考えられないほど元気な少女に育つ。
地元から離れた私立高校に通い始める。
クラスメイトの女子は、彼の話や彼を作ろうとする話ばかり。
恋なんて考えられず、そんな話に飽き飽きしていた少女は、一人で学校近くの町をうろついている時に、男の子とすれ違う。
こんな感じに頭の中で動かしていく。
再生するたびに、細かいところが決定されていく(学校や町の様子、他のクラスメイト、他の幼馴染の現在、など)。
実際にメモするのは要点だけなので、こんなには書かない。
3.
うまく動くようになれば、登場人物に、名前や歳、性格など、キャラとしての細かいプロフィールを作る。
容姿や性格は、ここにくるまでに、なんとなく決定している。
歳(誕生日)と名前は占いの本を見たり、響きや字面で決める。
プロフィールを考えていると、キャラそれぞれのエピソードが生まれるので(虫が好きでカブトムシの名前を全部言える--実は記憶力がいい、など)、これも忘れないようにメモ。
4.
決定したキャラで、再度、大筋をなぞる。
だいたい出来上がると、起承転結、重要なシーン、山場ごとに、詳しい粗筋をノートに書く。
5.
それを元に、頭の中で再生して、つじつまが合っているか確認。
この時、自分では理解している登場人物の性格を、初めて読む人にも理解できるように、3で作ったキャラエピソードを挿入する最適な場所を探す。
(これがいい感じに入らないと感情移入できない。いかにも作られたペラペラの登場人物になってしまう)
6.
キャラエピソードを挿入した後、何度か再生し、パズルの最後のピースがはまったような、カチッとした感じになれば、物語の設計図が完成。
ノートに、後から見てもわかりやすいように書く。『物語を書く』というよりも、『何かを隙間なく敷きつめる』感じ。
ここまでが、
①「断片的なシーンを破綻しないようにつなげる」
②「物語をわかりやすくするためのキャラをたてる」
こんなにキッチリ組み立てるのは長い話だけで、短編はメモもとらない。
長編もここまでカッチリ組み立てる前に、最初だけ決まったら書き出してしまう(勢いがあるうちに書きたいので)。
ここに書いたのは、作り方そのままだけど、理想。
何度も何度も同じ話を考えられるのは、考えるたびに、最初に見た物語で感じた「感動」を思い出せるから。
最初に見た物語をもう一度ちゃんと見たいがために、何度も物語をなぞる。
最初の「物語の感動」がなければ、ここまでできない。
それほどの「感動」を与えてくれるのが「物語の降臨」。
降臨はそれほど起こらないので、受け止めたら必死に追いかける。
そんなわけで、原動力である「物語が降臨」すれば8割方できたも同然!
なんだけど、これを書いていて、私自身の自信がなくなってきた。
映画絵本をちゃんと受け止められているのかな?
「見た」映画絵本を、どう「解釈」するのかは、私の「理解力」にかかっている。
どれだけ素敵な内容でも、深く読み取れないのなら、それなりの内容にしかできない。
この「理解力」はどうやって鍛えれば?
「物語の降臨」と言っても、「自分では思いつかない意外なストーリー」でしかなく、細かいところ(キャラの設定やエピソードなど)を作るのは自分。
ストーリー以外も大事な要素だとわかった今、もっと広い視点を持たなくては、せっかくのストーリーを台無しにしてしまう。
そのストーリーにしても、自分は面白いと思っても、他人にとっては面白くないかもしれない。
誰かの感動の実体験話を聞いて、「へぇー」としか思えないのと似ている。
「物語の降臨」を受けた自分にとっては、まさに「自分の経験」で「感情をともなった思い出」だけど、他人にとっては聞いた話でしかない。
世間一般的に「感動」する物語かどうか、見極めることが必要。
むしろ、他人も「感動」できるように持っていく必要がある。
結局、自分の経験や体験を増やすことが一番大事なのかも。
幼い頃は、「物語の降臨」はご神託のようなものだと思っていた。
「受け取れなくなれば終わり」「世にいる作家は受け取る能力が高い人」だと。
実はそうではなくて、自分の経験値が増えるごとに、「降臨」する回数も増えるみたい。
今はテーマから降臨を促すこともできる。
自分はブラックボックスで、日常での入力(経験や体験、メディアからの情報など)によってアーカイヴが増え、ひょんなことで出力される。
それが「物語降臨」。
アーカイヴとキッカケを増やせば、きっともっと降臨は増える。
ちなみに、
「神様降臨」は、一人でシャワーを浴びている時、映画・ゲーム・CDなどの最中や後、夢や起きぬけ、などに起こりやすい。(2019・車の運転中でも起こる)
「散歩中」「電車の中」では、キャラがイキイキと動きだし、細かいセリフが浮かぶ。
それに限らず、考えている物語のなにかと日常が結びつくと、思いも寄らない時に映画絵本が広がる。
降臨を待たずに「お題」から書く場合。
・ 「お題」を見た瞬間に、映画絵本が見えてくる。
・ すぐに見えない時は、お題を頭に置きながら日常を送る。思ってもいないことが結びついたりする。
・ 時間がない時は、とにかく書き出す。案外いける。
・ それでもダメなら、「お題」を紙に書いて、連想した言葉でも何でも、横に書いていく。何かしら、でっちあげられる。
慣れてくると、お題を忘れていても、ふっと結びつくことがある。
頭の中に「お題の部屋」というスペースが出来た感じ。
(2006年前後は、短編をひとつきに7作品くらい書いてた)
で、③の「文章を書く」は? というと、これがさっぱり。
ほら、小説読まないから(爆)。
好きな文体も、憧れの文体もない。
せめて読みやすく書こうと努力はしているけど、それだけでは限界があることもわかってきた。
今まで気づかなかったけど、さらっと読める市販の小説ってスゴいんだなぁ。
文章を見る目が変わり、自分の書いた文章のまずさ、違和感に気づく。
書き直しても、思うように書けず、壁を感じることが多い。
もっと雰囲気のある綺麗な言い回しを使いたいのに。
文体だけは、小説を読まないと身につかなさそう。
やっぱり読まなくちゃいけないの……?
読んだことのない小説がたくさんあって良かった。
何冊か読んで文体が良くならなくても、まだまだ、まだまだ、お手本があるってことで。
今なら、名作も名作として読める、かも。
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