マイペースなこれまで
文字も書けない幼い頃から、空想すること、物語を作ることは、息をするようなこと。
ふた昔前なら「夢見るユメコちゃん」。
今は「妄想癖のあるイタいコ」を通り越して、「私、小説書くんだー」「えー、私もー」って感じ?
玄関の茶色いドアを見ては「板チョコだから誰かが食べにくる。食べにくるのは……」。
家の鍵を預かったら「地面に置くと鍵が吸い込まれるから置いちゃダメ。もし吸い込まれたら……」など、なにを見ても物語にしてしまう子供。
漫画は読んでも、小説は「絵もないのに何が楽しいんだろう」と見向きもせず。
「おちゃめなふたご」シリーズを無理やり読まされて、「文字だけでも面白い」ことに感動。
自分の小学校を全寮制の学園に仕立て、自分や友達を登場させた物語をノートに書きだすように(「おちゃめなふたご」のパロディもどき)。
小学校の卒業文集に「物語を書く人になりたい」と書きながら、「直木賞作家になりたい」とか、「SF大賞をとりたい」という具体的な目標はなく、「芥川賞ってナニ?」と賞の存在も知らず。
どうすれば作家になれるか知ろうともしない。
書いていればそのうちなれると思っていたもよう。
小中学校時代は、ジュニア小説(今のライトノベルみたいなもの)が大流行。
中学校時代に「June」の洗礼を受け、コバルト文庫・ティーンズハートから、ホワイトハート・ルビー文庫に。
スニーカー文庫にも手をだし、「フォーチュンクエスト」「無責任艦長タイラー」と、ファンタジー・SF系に流れる。
高校時代、ようやく投稿開始。百枚は書けず、三十枚で添削も返してくれるという親切なところに投稿、落選。
添削は、今読むと的確なことが書いてあるのに、当時は「私の文章が理解できないなんて!」と憤慨。
新たに別のところへ百枚書いて投稿するも、落選。
それでも、自分が悪いとは思っていないあたり……。
大学時代、ゲーム全盛期。FF7や8が出た頃。恋愛も経験。
授業で得た知識を基にSF話をノートに書くのが日課。
プログラマー時代、ゲームとネット全盛期。
パソコンが一般家庭にも普及しホームページ出始め。
ホームページの作り方を覚えたのは会社。
会社で得た知識は、今もありがたく活用中。
在宅時代、投稿しまくり。
今までに書きかけでおいていた話を完成させては投稿するも、すべて落選。
ちなみに、30枚が2作品、100枚が1作品、350枚が1作品、200枚が1作品。
どれも一次審査も通らず。
ここまで落ちると、さすがの私も、何かが間違っていることを痛感。
今まで、物語というものは「意識しなくても書けるもの」「小説とはそういうもの」で、「作家」とは「たくさん物語を受け取れる巫女みたいな人」だと思ってた。
けど、どうも違うらしい。
これまで見向きもしなかった「小説の書き方」にも手を伸ばすように。
そんな中、どこかで出会った文章が『小説以前の問題』。
『第一次審査を通るのは、小説としての形ができているものです。
一次審査を通らないものは、面白い、面白くないというレベルではなく、文法や文章の書き方といった、小説以前の問題です。』
その時の衝撃は、今までに少しでも文章を書いたことのある人になら、わかってもらえるかと。
自分では「面白い物語」と信じて何百枚と書いた文章が、面白い以前の問題だと言われた衝撃。
物語が書かれているからといって、すべてが小説なのではない。
そんな当たり前のことに、目ウロコ。
しばらく何もできないくらいヘコんだ後で、「小説以前の問題なら、私の物語を否定されたわけじゃない」と浮上。
「小説以前の問題」さえ解決すればいい。
日本語を書く能力、つまり「文章力」。
ちょうど近くに「文章教室」なるものが開かれていたこともあって、さっそく見学に。
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