会ってくれる?

我堂 由果

第1話会ってくれる?

「はぁ、はぁ」

 急がなきゃ、とにかく急がなきゃ。


 恋人の英太(えいた)から、『俺だけクソ残業』『多分二時頃まで』という連絡をもらったのが一時間前。そしてそのあと、『皆、帰った、薄情』『アイス食いてえ』と、立て続けに送信されてきた。

 英太はアルコールがほとんど飲めない。乾杯のビールをジョッキ三分の一くらい飲むと、もう顔も首も真っ赤。そして意味不明なことをまくしたてる。そんな英太が大好きなのがスイーツ。特にアイスクリーム。

 

 『アイス食いてえ』の一言を見た千尋(ちひろ)は、仕事が終わるとコンビニに直行した。最近英太がはまっているのが、有名洋菓子店黒岩堂(くろいわどう)とコンビニの、期間限定コラボアイスクリーム。毎晩必ず夕食後に一個食べるのだと英太は言っていた。販売されているアイスクリームのフレーバーは五種類で、その中でも英太が毎日買って食べているのが、ストロベリーフレーバーのアイスクリームであった。

 千尋はコンビニの冷凍庫から黒岩堂のストロベリーアイスを二つ引っ掴むと、急いでレジへと向かった。


「六百四十八円です」


 レジの店員から言われて、千尋はびっくりして『高い』と言いそうになった。英太の好きなこのアイスは一個税抜き三百円もするのだ。千尋の金銭感覚からすれば、これは相当高い。千尋は英太がこんな高額のアイスクリームを毎日食べているとは知らなかった。三百円以上のアイスは、千尋にとっては偶にご褒美気分で買う商品だ。それを英太は毎日。千尋と英太の稼ぎの差なのか、アイスに対する価値観の差なのか。

 しかし今はそれどころではない。とにかく、このアイスを一刻も早く英太に届けなければ。千尋は会計の終わったアイスを受け取ると、小走りにコンビニを出た。

 コンビニから英太の会社の入っているビルに到着するまで二分。千尋とて残業後。現在時刻は十時半だ。

 


 英太の職場のあるビルに到着した千尋は、エントランスのドアを開けようとした。しかし押しても引いてもドアは動かない。ロックされていた。ガラスドアから見えるエントランスの中は、節電の為か電気もほとんど消えていて薄暗い。人の気配もなさそうだ。見上げると所々の窓に明かりが灯っているから、ビル内に人はいるのだろう。この明りの中のどこかで英太は働いている。


 千尋はスマホを取り出すと英太に電話をかけた。しかし呼び出し音が何回鳴っても英太はでない。ラインを送ってみたが既読にはならなかった。中に入るか英太がエントランスまで出てこなくては、アイスは渡せない。

 袋の中のアイスのカップを指で押してみる。カップはちょっとだけだが凹んだ。もうアイスは溶け始めている。

 千尋は何度も電話をかけた。ラインも送った。しかし英太から反応はない。

 千尋はそれから五分ほどドアの前をウロウロした。ビルの周囲のどこかに夜間受付があるかもしれないが、アイスを届けに来たから開けてくださいとは、大した用事ではなく恥ずかしくて頼みにくかった。結局、千尋は諦め駅に向かった。



 考えてみれば自分が悪いのだ。この時間では部外者が、すんなりビルの中に入れる可能性は低い。アイスを買ってしまう前に英太に連絡しておけばよかったのだ。そしてもし連絡がつかなければ差し入れを諦め、まっすぐ家に帰ればよかったのだ。



 トボトボと駅へ向かって歩く。その途中で、千尋はバス停のベンチを見つけた。そしてそこにストンと座る。と同時にお腹がグゥと鳴った。


「晩ご飯まだだし、二つとも食べよう」


 千尋は誰に言うともなくそう口にすると、袋の中のアイスを一つ取り出した。そして蓋を開けようとすると。


「千尋!」


 英太の声がした。しかし英太は残業のはずでは。千尋はゆっくりと声の方を見る。千尋まであと三メートルくらいの所に、息を切らした英太が立っていた。


「英太? 残業は?」

「明日以降に持ち越しになった。連絡無視してごめんな。あの時丁度、上司から会社に電話がかかってきて、現状を話し合って、仕事は明日以降に持ち越しになったんだ。電話終わってスマホ見たら千尋から連絡きてて、急いで行ったんだけど、千尋の姿がエントランス付近になくて」


 息が切れているからか途切れ途切れに話す英太は、一度大きく深呼吸をした。


「追いかけたら間に合うかもと思って、駅に向かって走った。そしたらバス停に千尋を見つけて」


 千尋は手にしたアイスを少し持ち上げて英太に見せる。


「食べる?」


 千尋がそう聞くと。


「ああ」


 と言って、英太は千尋の隣に座った。


「でも大分やわらかいよ」


 千尋はそう言うと袋からアイスとプラスチックスプーンを取り出し、英太に差し出した。英太は受け取ると蓋を開けた。カップの中のアイスは外側が少しだけ液体になっているが、中にはまだアイスの塊がしっかり残っている。千尋も自分の分のアイスの蓋を開けた。中は英太の物と似たり寄ったりだ。


 英太はカップの縁に口をつけて完全に溶けた液体部分を飲んでしまうと、残った固形部分をスプーンで輪を書くようにかき混ぜだした。そして全体が滑らかに混ざると、真ん中からスプーンを真上にそっと抜いて、カップの中心にクリームの角を作った。角は、一旦はピンと尖ったが、すぐに重力方向に曲がって下を向いた。以前テレビか動画で見たことがある、アイスから作るソフトクリームだ。しかし今まで、千尋は英太がそうやってアイスを食べているのを見たことがない。今日はアイスが溶けかかっているから偶々そうしたのだろうか。

 英太はアイスを掬うと、口の中に入れて飲み込んだ。


「実はこれ、俺の兄貴が子供の頃から大好きな、カップアイスの食べ方なんだ。兄貴の場合、半分までは溶け具合を見ながら時間をかけて食べる。そして溶けかかってやわらかくなった残り半分を、こんな風にかき混ぜて食べる」

 

 英太はカップを千尋に向けた。千尋は英太に兄がいると聞いたことはあるが、よくは知らない。


「兄貴さ、このソフトクリームの虜で、いつも半分グルグルやっちゃうんだって。この儀式ができないと兄貴、気分悪いって機嫌が悪くなる」


 話を聞きながら千尋は普通に、液体部分と固体部分を適度に絡めながらスプーンで掬って食べていた。英太は千尋のアイスを見る。そして少し笑った。


「俺の兄貴のこと、変な人って思っただろう?」

「そんなことないよ」


 英太の兄の話という手前『そんなことないよ』と言ってみたが、実は、他にも変なこだわりを持っている人かもしれないという気がした。


「それでさ、千尋に頼みがある。連休中に、この変人兄貴に会ってくれるか?」

「え?」


 こんな風に兄の話をだして、その上会ってくれとはどういうことなのか。


「酔っぱらってないよね?」


 英太は酒に弱い。言動がおかしい時はアルコールが入っている可能性がある。千尋は一応そう確認した。


「おい、残業後だよ!」


 英太は少し怒った声で言った。


「全く。会って欲しいのは兄貴だけじゃなく、両親や兄貴を選んだ物好きな兄貴のお嫁さんにもだ。俺、千尋を俺の家族に紹介したいんだ」


 千尋はポカンと口を開けた。そしてまっすぐに英太を見る。英太もまっすぐに千尋を見ていた。


「英太、それって」

「それで千尋の家族にも俺を紹介してもらいたいんだ。駄目か?」


 千尋は首を振る。


「駄目じゃない!」

 

 千尋は大きな声で言うと同時に、英太に抱きついた。


「千尋! ちょっと落ち着け! アイスが服にたれるって、うわー!」

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