第31話

 思えば私はやった事は必ず返って来た。

 振った男性の数だけ男性に振られた。

 蹴った仕事の数だけ企業に蹴られた。

 いじめた人の数だけ誰かからいじめられた。

 親を蹴った挙句、自分が生んだ子から蹴りを入れられている。

 だが良い事をした数だけ、誰かから良くしてもらえた。プラスマイナスゼロだ。有り難い、尊くてたまらない人生を送らせてもらっている。

 いない子に泣かされる事もないが、喜びを感じる事もない。息子は私に子育ての喜びを味合わせてくれたのだから、じゅうぶん親孝行だ。

 君に算数や数学を教えている時に、自分が数学が好きだった事を思い出し、嬉しかったよ。有難う。他の教科は教えられなかったけれど。


 そして私は子どもの頃から痛い目に遭うたびにこう思った。

「この人はこういう目に遭わないんだろう」

 だが、それは違った。


 葬儀の仕事を辞める少し前の事。

 ある葬儀場で仕事を終え、帰る際に水色の作業着でモップ掛けをしている「掃除のお婆さん」とすれ違った。

「お疲れ様です」

と言った所、相手も

「お疲れ様です」

と答えた。

 聞き覚えのある声だった。

 一瞬目が合い、酷く濁ったさびしい目の人だと思わず思った。目は心の窓と言うが、「どうして自分がこんな仕事をしなくてはいけないんだ」と言いたげな眼差しだった。

 誰か分からず通り過ぎ、従業員用の通用口を出てから気付いた。


 何と、それは私にパワハラした元上司だったのだ。ほんの一瞬だったが、それでその人の現状がすべて分かった。

 その人はクーデターにでも遭ったのか、会社を失い、仕事を失い、人脈を失い、肩書を失い、元社長でありながら、掃除婦になっていたのだ。

 婚礼の仕事をしていた頃は、年齢(60代前半)の割に若々しく溌剌としていたし、髪も黒かった。

 それが真っ白髪になり、生気のない憂いに満ちた眼差しになっていた。もはや誰からも相手にされていない人特有の「孤独でたまらない目」だった。

 たったの2年で、人はここまで変わるのか。まるで浦島太郎のようだった。

 プライドだってあるだろう。ましていじめた私に掃除婦になった姿を見られたくなかったろう。

 だが私は決してその人に対して、ばちが当たったともざまみろとも思っていない。勿論掃除の仕事を見下していないし、掃除を含む如何なる職業も馬鹿にしていない。

 おそらくその人は、やった事がすべて返ってきたのだろう。

 あまりに強引過ぎ、あちこちでトラブルを起こし、信用を落としたのだろう。落とした信用はどうしても回復出来なかったのだろう。

 雇う側から雇われる側へ、面接をする側から面接を受ける側へ、あちこちへ足を運んでもどこも雇ってくれず、途方に暮れ、路頭に迷い、それこそ滝のように悔し涙を流したろう。

 食べる為に何としても働かなくてはならず、職を求め続け、断られ続け、どんどん堕ち、どうしても、こうしても、何をしても、「掃除婦にならざるを得なかった」のだろう。


 その人が経営していた事務所は、私の婚礼司会者としての黄金時代を支えてくれた会社だった。そこは感謝している。

 が、同じ事が言える。私もその事務所の黄金時代を支えたひとり、という事だ。お互い様だ。

 あらゆる結婚式場から仕事が舞い込み、さばききれない程多忙な時代もあったが、どの式場からも次々に契約を打ち切られ、干されていったのだろう。

 その要因のひとつに「沖本に極めて理不尽な個人攻撃をしていた」という噂が業界に広がり、「あの事務所はパワハラがある悪い会社だ」と烙印を押されたというのがあるのかも知れない。

 元上司は、どんどん傾く会社を必死で立て直そうとしたが、誰も助けてくれず、四面楚歌の中、遂に手から抜け落ちるように会社を、仕事を、人脈を、肩書を、失ったのだろう。

 この人だけは自分から離れていかないだろうと思っていた相手が、次々に離れていったのだろう。そのひとりが私だったのだろう。

 私も花形と言われたが、その元上司も婚礼業界で花形と言われた存在だ。女王様然としていた人が、つらいだろう。

 もしかして離婚をされ、家族さえ失ったのだろうか、あの孤独な眼差しは…。

 信頼した人に仕事を紹介すると言われ、内容を知らされぬまま、それこそ藁をも掴む気持ちでたずねた会社で、突然掃除婦の仕事をさせられ、それがあまりにショックで、フランスのマリー・アントワネット王妃のように、たったの一晩で真っ白髪になったのか?裏切られ、傷つき、悔しく、どうにもならぬ状態の中、それでもモップをかけるしかないのか?

 …白鳥「元」社長、あなたもたまらないでしょう。だけど考えようによっては、それも良い事と言えますよ。

 だってあなたは今「業を落としている」のだから。そしてその出来事から大きな学びを得、使命を果たしているのだから。

 もうひとつ、あなたは私の代わりに掃除婦になってくれたのかも知れませんね。

 私はどんなにあがいても婚礼司会には返り咲けなかったけど、今最高に幸せですよ。


 …と言う事は、例えばうちに詐欺を働き、二重請求をしてきた便利屋もどこかの会社から二重請求され、お金を払わされ、悔しい思いをしたのか?

 うちを金持ちと言い、人を使って泥棒を働いた民生委員のおばさんの家も泥棒に入られたのか?

 祖母をいじめた祖母の妹は、誰かからいじめられ、祖母の家を売って得たお金をあっけなく失ったのか?

 私にしつこく付きまとった人は、誰かからしつこく付きまとわれ、同じ学校に生徒として通うというキチガイ沙汰をされたのか?

 私の背中に死んだ魚を入れた人は、誰かから同じ事をされたのか?

 私を首にした会社の人は、誰かから首にされたのか?

 私をこっぴどく振ったかつての不倫相手は、妻に不倫されたり、愛人にこっぴどく振られたのか?

 私に暴力を振るった男は、誰かからひどい暴力を振るわれたのか?

 自分は嘘がうまいと豪語した人は、誰かから嘘がうまいと豪語されたのか?

 私を見捨てた人は誰かから見捨てられたのか?

 義務で私と交接した人は、誰かから義務丸出しの交接をされたのか?

 私をいぼ、いぼ、といじめた人の手には、いぼが出来たのか?

 私の言葉遣いをいちいち直した人は、誰かから言葉遣いをいちいち直されたのか?

 私を前の彼女と比較し続けた人は、誰かから前の彼氏と比較されたのか?

 私に中指を立てた人は、誰かから中指を立てられたのか?

 私を安上がりと言った人は、誰かから安上がり呼ばわり言われたのか?

 私にシッシッと手を払った人は、誰かから同じ事をされたのか?

 私に自分の価値観を押し付けた人は、誰かから価値観の強要をされたのか?

 私の神経を逆撫でし続けた人は、誰かから神経を逆撫でされ続けたのか?

 私に脅迫電話をされたと濡れ衣を着せた人は、誰かから濡れ衣を着せられたのか?

 私にこのお金よこせって言うんでしょうと言った人は、誰かに同じ事を言われたのか?

 私の話を「あーあー」と言って遮った人は、誰かから話を「あーあー」と遮られたのか?

 あの人もこの人も、まったく同じ目に遭ったのか?

 そして姉はこれから誰かにたいせつな人の前で嘘つき呼ばわりされ、さも馬鹿にしたように「難しーい」と侮辱され、深く傷つけられるのか?


 そう考えるとまったく腹は立たない。

 もうひとつ、私を傷つけた人たちは「本当はそんな事をしたくなかった」のだろう。

 私も根底では不本意と思っている事を何度もしてしまった。


 ああ私はこれから本当にしたい事をしよう。

 相手が微笑んでくれるような良い事をしよう。

 良い種をたくさん撒こう。

 そうすれば、それもめぐり巡って必ず私に返って来てくれる筈だから。


 私は昇りくる朝日を見ながら思った。

 ああ、幸せだ。

 また今日という日を迎えられた。

 また新しい日を神様から贈られた。


 柵に背をもたれ室内を眺めると、眩しさに目が慣れた故に室内が真っ暗に見える。壁には息子が描いた私の似顔絵のクレヨン画が飾られてある。幼稚園時、母の日にプレゼントしてくれたものだ。

 あの夜の反省室も暗かった。あの壁には不気味な大仏の絵が画かれてあった。あれは一体誰が画いたものだったのだろう。あの部屋はどう処分されたのだろう。


 私たちはほんの小さな箱のなかにいたのだ。中にいる時は何も分からず、ここをひとつの世界と思った。

 しかしそこは、引き裂けば破れる程度の紙でできた箱だったのだ。その紙を誰も破ろうとしなかった。無理に外に出たらもっと恐ろしい事になりそうな気がしたから。

 私たちに出来たのは、この箱から外に出たい出たい、出してくれと願う事だけだった。

 しかしその小さな箱から出た時、もっと大きな箱に飲みこまれる事になった。

 箱から出ても出ても、次々に新しい箱は現れた。

 それはある時は「困難」という名の箱であり、「挫折」という名の箱の時もあり、「苦痛」という名の箱の時もあった。

 私はどうにか「幸せ」という名の箱を見つけ、その中に入った。…いや、もしかして「入った箱の中で幸せを見つけた」と言った方が正しいかも知れない。

 あの荒れ狂っていた日々からは、こんな日常は考えつかなかった。欲しているようで、何故か思い付きはしなかった。

 この先何がどうなっても、私はその環境の中から幸せを見つけられるだろうという自信がある。

 現に息子にモラハラされても、暴力を振るわれても「今いちばん幸せだ」と言い切れる。

 本心だ。この経験でさえ、必ず何かに活きるのだろう。


 神様がたくさんの経験をさせてくれた。

 与えられたたくさんの試練を、ひとつひとつ乗り越えてきた。

 越えられない試練は本当にひとつもなかったし、意味のない出来事もひとつもなかった。

 神様は私に葬儀の仕事をさせる事で、白鳥元社長の現状を知らしめてくれたし、やった事は必ず返って来るというのは父母や私だけでない事も教えてくれた。

 その上、白鳥元社長の姿を目撃した直後に私をぎっくり腰にしてくれ、葬儀の仕事を辞めさせてくれた。

 何という良いタイミングで色々してくれる事だろうか。


 光の園でさえ、もしかして私は叩き込まれた、と言うよりも、自ら入ったのかも知れない。

 通常では学び得ない事を一気に学ぶ為に、高校では教わらない事を勉強する為に、光の園に行かなければ絶対に出会えない「全国の人たち」にいっぺんに会う為に、自ら入園という「究極の選択」をしたような気もする。

 だから私は光の園に「縁を持った」のだろう。


 光の園を経験しなければ味わい得ない学び、幸せ、感動、生きている実感が確かにあったのだから。

 前世で何か悪い事をして少年院に入らずに済ませた帳尻を合わせたのではなく、今世で大きな学びを得る為だったのだ。

 まして大人になってからではなく、16歳のあの時入っておいて、苦労の前借りをしておいて、本当に良かった。

 そして何年も入るのではなく(ここは尼の中井さんと元チンピラの班目孝彦さんが代わってくれた)17歳で出られて良かった。

 新しく学ぶ為に「出た」のだから。

 勿論、退園後は光の園とは違う学びが続いた。   

 もう二度と経験したくはないが、光の園は本当に得難い、そしてたまらなく有り難い経験をさせてくれた特殊な場所だった。

 その経験、超えてきた試練が、私にかけがえのないプレゼントをしてくれた。

 まったく無かった「自信(自己信頼)」と「自己肯定感」だ。

 自信と自己肯定感を持つが為に、経験と試練があったと思えばむしろ幸せだ。

 これからも、どんな環境からもいかなる出来事からも、私は学び続ける。

 今与えられているこの試練も、きっと超えてみせよう。


 さあ、じゅぶんに感傷に浸った。

 そろそろ夫を起こし、家事をしよう。

 私はベランダから室内に入る。

 …と、そこで足元に落ちていた新聞を思わず

「踏んで」しまった。


 ドキリとして、恐る恐る足をどけると、

「光の園、閉鎖される」という見出しが現れた。


「踏み絵」という言葉を思い出す。


 私はたった今、

 光の園に

「背いた」のである。


 そっと新聞を拾い、丁寧にたたんでからダイニングテーブルの上にぽんと置く。

 そしてそのまま、いつまでも、いつまでも、動こうとする事なく、立ちつくしているのだった。


 たいせつな青春が

 ゆっくりと

 私の手からこぼれ落ち

 ずっと遠くへ離れていった。




     ★




 エピローグ


 カーテンで仕切られた病室のベッドの上、パジャマ姿の初老の女が、

 傍らに立つ娘の手を握り、小さく左右に振っている。

 自分に注意を向けたい一心で振っている。

 しぶしぶ見舞いに来た娘が、母親にじろりと視線を当てる。

 俯きながら、誰にともなく、うん、うん、と頷く母親。

 自分が犯した罪を納得し、うん、うん、とまだ頷いている。

 娘が鋭い目で母親を見ている。

 母親が、ようやく顔を上げた。

「真理ちゃん」

 母親の目に溢れる、いっぱいの、いっぱいの涙が、頬を切れ目なく流れ落ちる。

「謝りたいと思っていた」

 やっとひと声、押し出す。

 その瞬間、娘もこらえきれずに涙を落とした。


 幼少期からの、長い長い年月が、ふたりの間を走馬灯のように駆け抜ける。

 娘は何も言わなかった。言えなかった。

 母親の気持ちが分かるから、骨身に堪えるほど分かるから。


 わたしを愛してくれないおかあさん、

 あなたを深く憎みながら、心が崩壊するほど愛し、

 あなたのすべてを焦がれるように追い求めながら、あなたのいっさいを拒絶したよ。


 ただおかあさん、

 あなたもきっと、いじめられて育ったのだろう。

 だからいじめる以外の愛情表現が、どうしても、分からなかったのだろう。

 わたしをいじめながら、あなたもつらかったのだろう。

 どうしても、どうしても、ああどうしても、そうせざるを得なかったのだろう。

 本当はそんな事をしたくなかったのだろう。


 余裕がなかったんだ。いじめと躾の区別さえ付かないほどに、切羽詰っていたんだ。

 そして、その過ちに気づいた時に、子宮癌なんかになったんだ。

 そうして自分を罰する事で、わたしに詫びたかったんだ。

 そういう謝り方しかできないんだ。

 病気がおかあさんを選んだのではなく、おかあさんが自らの子宮に癌を引き寄せたんだ。

 かつておとうさんと愛し合い、おねえさんとわたしを宿した子宮という場所に、

 あえて、わざわざ、癌を呼び込んだんだ。


 おかあさんも悪かったけれど、もっと悪いのはおかあさんをいじめた人たちだ。

 そして更に悪いのは、その人たちをいじめた人たちだ。

 だからおかあさんは悪くない。

 悪いけど、悪くない。

 悪くない、

 悪くない、

 わたしのおかあさんは、決して、断じて、なにも悪くない。


 それにおかあさん、

 自分でも分からなかったのだろうけど、発達障害だったんでしょう?

 だから造花に関しては天才的だったけど、他の事は一切駄目だったんだよね?

 だったら仕方ないよ。

 いいよ、もういいよ。

 障害が悪いのであって、おかあさんは悪くないよ。


 それでも

 おかあさん

 悪いんだからね。


 そしておかあさん、謝ってくれて有難う。

 初めて、あなたの「本物の涙」を見た気がするよ。

 だからいいよ、もういいよ。

 そんなふうに、自分で自分をいじめなくていいよ。

 もういいから。ゆるしているから。

 お稽古ではなく、本当にゆるしているから。


 母親は、娘の手をまだ放そうとしなかった。

 かつて幼かった娘の手を、何度も乱暴に払いのけた。

 その娘の手を、今、母親は放そうとしない。


「早く、元気になって」

 娘が、やっとひと声、押し出す。


 母娘に、初めてお互いをいたわる笑顔が生まれた。

 心から、心を救われた母親が、やっと娘の手を放す。

 安心して、放す。


 娘は自分が羽織っていたショールを母親の膝にかける。

 母親が冷えないようにと、愛情を持ってショールをかける。

「真理ちゃん優しいねえ。わたし、あんなに、いじめたのに」

 母親もやっとひと声、押し出す。

 娘の目から落ちる涙にも切れ目がない。

 母親が可哀想で、可哀想で、たまらない。


 娘は母親のベッドを囲っていたカーテンをするすると開ける。

 他の7人の入院患者の姿が現れる。


 娘は病室にいる他の入院患者ひとりひとりに声をかけ、きちんと頭を下げた。

「どうぞ、お大事になさってください」

 7人に、ひとりひとりに、丁寧に、全員に。


 娘は病室の出口で、もう一度頭を下げる。

「失礼します」


 そう、娘は気付かぬ間に、母親が望んだ以上の娘に成長していたのだ。

 誰よりもきちんと挨拶の出来る、誰よりも優しさと思いやりと愛情と、

 そして知性を持つ娘に。


 母親は、娘が立ち去った病室の出口をいつまでも見ていた。

 ああこんな幸せがあったのかと、自分はずっと幸せだったのだと、心から実感しながら。


 異常だと思っていた娘が、実はいちばんまともであり、

 いちばんまともだと思っていた自分が、実はいちばん異常だった。

 加害者と思っていた娘が、実はいちばんの被害者であり、

 被害者と思っていた自分が、実はいちばんの加害者だった。

 娘はこんな自分と機能不全の家庭に、幼い身で懸命に耐え、

 人生を賭してまで、たいせつな事を教えてくれたのだった。

 今日、お互いにまたひとつ、使命を果たしたのだ。


 そして娘は、止まらぬ涙を拭いながら廊下を進んでいた。

 温かい、温かい空気で、満たされていた。


 娘は窓の外に広がる、美しい青空を見上げながらこう思った。


 ああわたし、生まれてきて良かったんだ。

 これまで生きてきて、良かったんだ。

 これからも生きていって良いんだ。

 わたしはこれでいいんだ。

 わたしはこのままでじゅうぶん価値があり、

 たいせつにされていい存在なんだ。


 娘が初めて自分の人生、

 何より

 そのままの自分を思わず好きになり、

 本当に大好きになり、

 無条件にたいせつに思え、

 いっさいを肯定出来た瞬間だった。





     ★





 おかあさん

 あなたの むすめは

 きょうも しあわせです




 黒木真理

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

箱の中のリトルガールズ おもながゆりこ @omonaga

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る