第30話
専業主婦になってすぐ、本当にすぐ、中学3年に進級したばかりの息子が「不登校」になった。
まるで私が一切の仕事を辞めるのを待っていたかのように、息子は学校へ行かなくなった。
まったく勉強もせず、部活も辞め、携帯電話ばかり見て過ごしている。
「高校には行かない」
と、かつての私とまったく同じ事を言う。
自分に勉強を教えられないだの、自分の部屋に勝手に入っただの、室内ドアやカーテンをきちんと閉めなかっただの、料理のレパートリーが少ないだの、私がすぐに言われた事や自分で言った事を忘れる等でいちゃもんをつけ、何時間でもモラハラするし、死ねだの、居なくなれだのと暴言も吐くし、暴力も振るう。
何か巡りあわせというか、やった事がそのまま返って来たようだ。昔の自分と、やった事が本当にそっくり返って来た。
「お帰り、私」という感じだ。
中学3年の私に向かい、母は何度も言った。
「あんた、どうするつもりよ!」
「中卒では就職も結婚も絶対に出来ない」
「体裁が悪いから高校くらい行って」
そして一切の選択肢を与えず、無理矢理行きたくもない高校へ私を押し込んだ。だが耐えられなかった私は3日でドロップアウトした。
世間体や体裁、固定観念に縛られるあまり、いちばんたいせつな「本人がどうしたいか」を見なかった母は、もう今度こそおしまいだと私に烙印を押し、将来はいかようにもなるという事を一切考えなかった。
そして文字通り私の未来や可能性を潰した。あんたは駄目なんだと言い続け、洗脳し、力の限り潰し続けた。
学校の先生や友達も、口をそろえてこう言った。
「沖本さんて、どうしてそういう風にするの?」
そう、誰ひとりとして
「どうしたの?」
「どうして欲しい?」
「どうしたい?」
と聞いてくれた人はいなかった。
そしてみんながみんな、私がおかしくて悪い、と決めつけ、私の言い分を嘘と決めつけ、厄介だと放り出した。
本当に悔しかった。私はただ突っ張って意地を張っていたように見えたかも知れないが、あれでバランスを取り、ぎりぎりの所で踏ん張っていたのだ。
危うさや脆さを含みながら。
私は「加害者に見える被害者」だったのだ。
「その経験」を踏まえ、私は息子に言う。
「どうしたの?」
息子が即答する。
「どうもこうもねえよ!ババア!!てめえなんか母親として認めねえ!」
私におむつを替えてもらっていた子がこんな口をきくようになったか、随分大きくなったものだ。もうおむつもいらないし、安心だ、と思いながら聞く。
「炊き込みご飯と雑炊、どっちがいい?」
「うるせーよ、てめえ本当に嫌いだ」
私のおっぱいを嬉しそうに飲んでいた子が、たいしたものだ、と感心しながら聞く。
「どうしたい?」
息子が言う。
「どうでもいい」
もう一度聞く。
「どうして欲しい?」
「他界して欲しい」
ババア、というのは、お母さん、という事だろう。母親として認めないというのは、もっと良い母親になってくれと言うことだろう。嫌い、というのは、そういう行為をやめてくれ、という事だろう。どうでもいい、というのは、どうしていいか分からないという事だろう。他界して欲しいというのは、ちょっと黙っててね、あっちに行っててねという事だろう。
私は心の中で「変換」をする。
「中卒より高卒、高卒より大卒の方が選択肢が多くて肩身も広いしお金も稼げるし、好きな事の出来る幸せな人生送れるよ」
と言うと
「今が良ければ先はどうでもいい」
という答えが返ってくる。
そんな刹那的な育て方をしたのか?
私は息子にただの一度も、死んだものと思っている、などと言った事はない。
否定も、虐待も、所有物扱いも交換条件もしていない筈。ご飯抜き等の罰を与えた事もない。
なのに何故?私の頭の上に大きな疑問符が浮かぶ。だが、子どもは育てた通りに育つと言うからそうなのだろう。
いずれにせよ私と同じダメージを受けて欲しくない。やはり、幸せになって欲しい、それが親としての本心だ。
「高校行けば友達も出来るし将来も安泰だし、普通の男の子っぽい青春送った方が得だよ」
もう一度、プラスの言い方をしてみる。
まるで勉強もせずやる気もない息子は、成績もすこぶる悪い。本当に昔の自分を見ているようだ。母の気持ちが多少は分かるが、それでも私は息子を否定はしないと決めている。
夫は全日制高校へどうしても行って欲しいというが、無理にそんな事をしても早々に中退しそうな気がする。そこでまた「お帰り、私」というのも困る。
息子が言う。
「全日制は嫌だ。どうしても嫌だ。俺の成績で受かる学校もない」
夫が言う。
「今から頑張れば大丈夫だ。塾へ行け」
だが、息子としては何をどう今更頑張ればいいのか分からないのだろう。塾も嫌なのだろう。私もそうだった。
無理に塾を申し込んだり、家庭教師を手配する訳にいかない。ましてどこかの宗教団体の人を連れて来て説得させてもしょうがない。突っぱねるのは目に見えている。
そこで提案をする。
「定時制は?」
息子がブンむくれながら言う。
「毎日行くの嫌だ」
「通信制は?」
「…通信制なら良い」
おお、やっと心がほぐれたか。私はほっとする。
昔は県立高校へ行けない子が私立高校へ、それも駄目な子が定時制、それも駄目なら通信、最後の砦が大検を受ける事だったが、今は違う。
定時制も通信制も昔は4年通学だったが、今は3年で卒業出来るし、卒業率も高くなっている。
時代が良いように変わってくれた。有り難い話だ。要は幸せなら良いのだ。母は体裁しか気にしなかったが。
やった事がそっくり返って来たのだろう。ならば笑顔で受け止めれば良い。
そして神様はその人が越えられない試練を与えないから、必ず乗り越えよう。
もしかして「この試練」を超える為に「あの試練」をあらかじめ手渡されたのかも知れない。
だったら大丈夫。私も息子も大丈夫。もともと頭の良い子だ。本人に選ばせよう。
大丈夫、大丈夫、必ず良くなる、そう信じて息子に付き合っていこう。
暴れる息子に手を焼いた夫が言う。
「親に暴力振るうなんて信じられない。いよいよ手に負えなくなったら施設に入れるか」
ぞっとした。親子二代で更生施設を経験するなど考えられない。自分に施設経験があるからこそ、だからこそ、息子をそんな目に遭わせたくない。私は夫に更生施設に入った経験がある事を話していないが、それでも自分の子にそんな仕打ちをするなど、よくそんな発想をするものだと驚いた。
間髪入れずに反論する。
「駄目よ、捨てられたと思うよ。鬼畜みたいな扱い受けるし。まだ大丈夫、手に負える。それに施設にかける何百万を、学費に充てた方がいいよ」
夫が言う。
「甘やかし過ぎた」
私は愛情を持って即答する。
「違うよ。ずっと我慢し続けていたんだよ。それが今爆発したんだよ」
息子が小学校3年生から2年半、中学受験の為に週に6日も塾通いをさせた。夫の意向だった。
私もこの子は学校の成績も良いし、テストの点も良いし、もしかしたら中学受験に打ち勝つかも知れない。頭の良さは夫に似てくれた、と思っていた。
当時、夫はこんな脅し文句を言っていた。
「私立中学に行けば金の稼げる人生を送れる。公立に行ったら貧乏な人生になる。金持ちになりたければ私立中学を受験しろ」
私は夫に言った。
「それは公立に行っている子に失礼でしょう。この子は確かに頭の良い子だけど、もし何かで公立に行く事になったら本当に貧乏な人生になるよ。人の人生は言った言葉の通りになるからそう言うマイナスの言い方はやめて。プラスの言い方をしてね」
だが夫は息子に脅し文句を言い続けた。
「お前は友達と遊ぶ暇なんかないんだ。友達に差を付けろ。何がなんでも受かれ、死ぬ気で勉強しろ。この中学校に受からなければうちの子じゃないぞ」
夫としては本当に申し分がないが、父親としては厳しすぎる人だ。お舅さんとお姑さんも優しい人だが、子どもに甘えを許さない厳しい教育理論を持っている。
夫もお姑さんもこう言った。
「父親と母親の考え方は一致していた方が良いよ」
確かにそうだろうが、両方から言われたら逃げ場がなくてつらいだろう。
私も子どもの頃、父母の両方からいつも責められつらかった(父と母の考え方は一致していなかったが)。
せめて私は息子を優しく慰めたい。親にして欲しかった事を、今、私は息子にしたい。虐待されたからこそ、私は夫と息子に愛情を注ぎたい。
少なくとも施設に放り込む事だけはしない。息子がいつか父親になった時、孫が施設に放り込まれるのを防ぐ為もある。
もしかして「こういう考え方」や「対応」をする為に、神様は私を中卒にしてくれた上、施設に放り込まれる経験をさせてくれたのかも知れない。
ああ、中卒で本当に良かったし、光の園に入って本当に良かった。私は息子の代わりに施設に入ったのだろう。ならば尚の事本当に良かった。
息子が小学校1年生の時、友達に誘われて万引きをした。夫は息子を1時間以上立たせたまま説教し続け、二度とやらないと誓約書も書かせた。
勿論夫は息子を「良くなって欲しい」と思いそうしたのだが、息子はつらかったろう。いけない事をした自分が悪いと頭では分かっていても、厳しい父親がうざかっただろう。立ちっぱなしで足も痛かったろう。
また3年生の時には、友達をいじめて不登校にさせてしまった。その時も夫は息子を立たせたまま叱りつけ、二度と人をいじめないと誓約書を書かせた。
息子が何か我がままを言うと、夫はこう脅した。
「もうどこへも遊びに連れて行かないよ」
私は言った。
「違うよ、私たちがこの子に遊んでもらっているんだよ。そういう事言うのやめてね」
夫に叱咤され、誓約書を仕方なく書いていた息子。
夫にうるさく言われ、泣きながら勉強していた息子。
終わった後、抱きしめる私の腕の中でいつもすすり泣いていた息子。
自分の意志に反して中学受験を押し付けられ、スローガンを「掲げさせられた」息子。
もっとあなたをかばえば良かった。もっともっとかばえば…。
夫は言い続けた。さあ、塾へ行け。自習室で勉強をしてこい。成績を上げろ。この中学に合格する事だけを考えろ。言えば言う程息子は苦しんでいった。
結局やる気があったのは夫だけで、本人にまるっきりやる気がなかった為、受験はしなかった。
私はそれで良かったとホッとした。夫は塾に払った200万近いお金が無駄になったと悔しがっていたが、私立中学へ行けばもっと大金を使う所だったし、環境が合わず、公立に転校する子もいる事を考えれば、ぎりぎり助かったと考えていいだろうと安堵した。
「良かったね。友達と同じ中学に行けて、楽しい中学生活送ろう」
私は息子に心からそう言えた。
だが夫は、公立中学へ入った息子にこう言った。
「夏休みまでに学年で100位以内に入れ、二学期で80位以内に入れ、2年生に進級するまでに50位以内に入れ、3年生で1位になれ」
言えば言う程、息子の成績はどんどん下がっていった。そしてどんどん荒れていった。
私は夫に言った。
「もう言わないで。追いつめないで」
息子は夫も嫌っているが、私も嫌っている。その原因は、私がこう言い続けた事にある。
「パパ凄いでしょう?パパ偉いでしょう?パパみたいになって」
私はそれが「良い事だ」と信じていたが、よく考えたら決して良い事でも何でもなく、むしろ悪い事だった。私も息子を追いつめてしまった。
幼い息子は確かに父親のようになろうと思っただろう。だが「そうなれない自分」をコンプレックスに感じたのだ。そのコンプレックスを抱かせたのは他ならぬ私だ。
本当に申し訳なかった。否定されたと思ったのだろう。今更ながらこう言えば良かったと思う。
「あなたはそのままでいいんだよ」
息子よ、君は私より大きくなった今、小さく弱かった自分を擁護して悔しさを晴らしているんだろう。
自分の方が強くなったと、今、君より小さく弱くなった私をいじめてプラスマイナスゼロにしているのだろう。
私をお前呼ばわりする事で、暴力を振るう事で、自分の方が上だと知らしめたいのだろう。
いいよ、そうしてくれて。私は大丈夫だよ。
ただ救いは、息子は決して非行には走っていないという事だ。学校に行かないというだけで法に触れる事はしない。いつも家に居るが、友達と出掛ける事もあり、引きこもっている訳でもない。
いつ家に帰って来るか分からず、法に触れていたかつての私よりずっと良い。
息子に蹴られた足をさすりながら、私に蹴られた箇所をさすっていたのであろう母を思う。あなたも痛かったろうねえ。
息子に罵詈雑言浴びせられた後、痛む心をさすりながら、こう思う。ああまだ見ぬ孫よ、お父さん(息子)を罵ったりしないでおくれ。
息子が言う。
「こんな家嫌いだから早く出たい。アパート借りて暮らしたい」
まったく同じ事を私も思っていた。ここでまた「お帰り、私」だ。
完璧な子育てなどないのだろうが、私が息子に対して本当に済まなかったと思っているのが、息子が小さい頃からこんな話をしてしまった事だ。
「ママはね、あまり幸せでない家庭に育ったのだけど、神様は結婚相手は恵んでくれたのよ。ママはパパと結婚して、あなたを生んで本当に良かったよ」
私は「諦めなければ幸せになれる」と言いたかったのだが、きっと息子は「小さな人生相談員」のような気持ちになってしまったのだろう。
私が幼い頃、母は頼みもしないのにつらかった経験を勝手に話し、勝手に大泣きしてしがみついてきて、本当に迷惑だったのに、同じ事をしてしまった。
私は息子の前で、号泣もしがみつきもしなかったが。
私は若い頃、親に済まないなんて思わなかった。親が悪いと思っていた。
だが息子は多少私に済まないと思ってくれているらしく、こんな事を言ってくれた。
「約束する。高校生になったら真面目にやる」
信じようと思う。元恋人の桜井正一さんや元同僚の小椋純子さんが、私を信じてくれたように。
「通信制ならちゃんと行く。大学も行く」
とも言ってくれた。それも信じようと思う。
私が行けなかった高校に、大学に、お行きなさい。たいせつな息子よ。
人は良くも悪くもされたようにしか出来ない。私も忙しさに苛立ち、息子をひっぱたいた事がある。悪かった。母は私が悪いと言い続けていたが。
本当に子どもは親の真似をする。私が落ち着いていれば息子も落ち着いているが、私が焦ったりキーっとなると、息子も焦りキーっとなる。
お母さん、私はあなたの真似をしていたんですよ。そっくりだったでしょう?
そして最高の先生である息子よ、教えてくれて有難う。真似してくれて有難う。
分かったよ。落ち着いて静かに話すからね。
必ず君が本当に良かったと思える結果になるから大丈夫だよ。君の使命を果たしておくれ。私も使命を果たすよ。
君の頭につむじが二つあるのはきっと、「僕は二人分だよ」という事なんだろうね。だから私は二人目を授からなかった訳だ。年齢のせい、というよりも。
君は本当にひとりで二人分親孝行だよ、二人分私に教えてくれているよ。
そしてお母さん、私の頭につむじが二つあるのは、私もひとりで二人分、という事だったんですよ。私から二人分学んだでしょう?
あなたは変に憂いて、私に死んでくれと散々言ったけど、まさか私がこうなると思わなかったでしょう?
だから私も息子を変に憂いませんよ。息子もきっと、私が望んだ以上の人生を歩んでくれるでしょう。信じて、安心して、命がある事を喜びながらその時を待ちます。
お母さん、あなたは今ほど安心している時はないでしょう。現世にいた頃より、今の方がずっと心穏やかでしょう。
ただ、あなたがあまりに心配し過ぎ、悪く悪く考え過ぎるから、マイナスの事ばかり口にするから、「だからこそ」私は悪く考えずに済むしマイナスの事も口にせずに済んでいるのかも知れませんね。
私の代わりに憂いてくれて、悪く考えてくれて、お疲れさまでした。
ひとつだけ息子に取って私が母親で良かったと思える事があるとしたら、私が曲がりくねった道を歩んできたという事だ。だから曲がりくねった道を進みそうな息子を理解できるし、大丈夫だと安心していられる。
夫も夫の両親も、いわゆる王道を真っすぐ突き進んできた(挫折も経験しているだろうが)。だから王道を進めない息子が分からないんだろう。私は散々回り道をしてそこから何がしか学んで来た。それが今日に活きている。
どんなに曲がりくねっても、遠回りしても、人は必ず自分に向いた仕事に就けるし、幸せになれると身をもって学習している。
だから息子も大丈夫だ。
私は親と暮らしていた頃、常に限界を感じていたし、光の園でも限界と思っていたが、息子に対して限界と思った事は一度もない。
まだ大丈夫。
まだ踏ん張れる。
まだ力は尽きない。
光の園で集団リンチされた時に、まだいけると踏ん張った経験がここで活きている。
通信制高校の資料を取り寄せた時にこう思った。世の中に通信制高校は随分とたくさんあるんだな、と。
婚礼司会の仕事を始めた時も同じような事を思った。世の中に結婚する人は随分たくさんいるんだな、と。いずれにせよ有り難い話である。
どこに見学に行くか息子に選ばせた。
10校候補を決め、一緒に見学に行った。
必ず息子に合う「運命の高校」がある筈だ。
さあ安心して一緒に見学しよう。
1校目に見た所は本人が気に入らず、クズだカスだと帰り道に散々言った。
2校目、やはり気に入らず、けちょんけちょんに言った。
3校目、段々疲れてきて、二人とも黙って帰った。
そして4校目を見学した帰り道、息子が自分から聞いてきた。
「どうだった?」
自分から聞くとは珍しいなと思いつつ答えた。
「うん、いいと思うよ」
息子が漲った口調でこう言った。
「この学校が良い。俺の求めていたものがすべてここにある」
驚いた。
「他はどうする?もう少し見てみる?」
息子が即答した。
「そんな必要ない。俺はここに通う」
夫は最初から通信なんて、と嫌がったが、私は息子が決めた事なら必ず良い結果になると確信し、その通信制高校に願書を出した。
その学校は不登校の生徒を対象とした補習授業を入学前に半年間行う。中学校には決して行こうとしない息子だが、補習授業には喜々として通い始め、その頃からモラハラも暴力もかなり少なくなった。
きっと未来の見えない不安や不確かさにもがいていたのだろう。不安であればあるほど、吐き出し方も激しかったのだろう。
私もかつて、激しく吐き出した。
私には行き場がなかった。
息子は縁のある学校に出会えて本当に良かった。
何か、息子は今になって、私の愛情をはかっているような気がする。きっと「愛されている」という実感がなかったのだろう。
悪かった。私も幼少期、疎まれていると感じる事は多々あったが、愛されていると感じた事はほとんどなかった。
息子よ、今からでもたくさん甘えておくれ。
意思表示をしておくれ。
私は24時間体制で受け止めるよ。
それは「専業主婦」でなくては出来ない「重要な仕事」だ。
今こそ君は私を試したいのだろう。
愛されたいのだろう。
いいよ、じゅうぶん気が済むまで私を試しておくれ。
私は君の蜘蛛の糸になろう。私につかまりながら社会へ登っていきなさい。私は決してちぎれる事なく君を支え続けるから。
そして君が無事に社会へ出て、これで生活していけるだろうという良い職業に就き、心身共に安心できる状態になったらプツンと切れても良い。それまでは何としてもふんばるよ。どんな事をしても君を落とさないよ。
今この瞬間も、母が本来私にすべきだった事を、私が息子にしているような気がする。
君の選択を丸ごと肯定し、精一杯応援しよう。今こそ愛情を注ぎ、あらん限りの力であらゆるものから君をかばい、今こそ君を守ろう。
色々な人が色々な事を言うけれど、それでも私だけは100%君の味方でいるよ。
成田のおじいちゃんとおばあちゃんは私の味方をしてくれず、被害者面をして、私を加害者にし、私を矢面に立たせ続けた。
それでも、だからこそ、私は君を矢面に立たせないよ。
矢面には私が立とう。ダメージは全部私が受けよう。君に傷ひとつ負わせない為に。
私は大丈夫だよ。条件付きの愛情しかもらえなかったからこそ、だからこそ、私は無条件で君を愛するよ。
ああ神様、こんなにも感動できる人生を、本当に有難うございます。
あなたが私に渡そう、渡そうとしていたバトンはこれだったんですね。
今、しっかりと受け取りましたよ。
いずれにしても中学3年の「今」でぎりぎり良かった。高校生だったら退学になっていた。社会人でも解雇されていた。40歳、50歳で暴れられても困る。その頃は私も夫も高齢化していて対応出来なかったかも知れないし、その年齢だと息子の再就職もままならなかったかも知れない。
本当に「今」で良かった。まして90歳過ぎて甘えるよりずっといい。その頃は私も生きていないだろうし。ナイスタイミングだよ。
小学校低学年だったら、ひらがなやかたかな、掛け算の九九を覚えられなかったかも知れない。高学年でも漢字や割り算、繰り上がり繰り下がりを学べなかったかも知れない。
だから今で本当に良かった(小学生で不登校している人を否定するつもりはない。特に息子がいじめて不登校にしてしまったお子さんには悪かったと思っている)。
私立中学にもし入っていたとしたら、通っていないのに高い授業料を払い続けている所だったし、中高一貫としても、高校へ内部進学出来なかったかも知れない(私立中学で不登校の人を否定するつもりも勿論ない。応援する気はある)。
ましてその頃、ニュースで中学受験を子どもに強要した父親が、勉強しない息子を包丁で刺し殺す事件もあり、そうならなくて良かったと安堵した。
今で、公立で、本当に良かった。有難うとお礼を言いたいくらいだ。不登校なんて今時珍しくもなんともない。体裁もどうでもいい。
幸いにして私にも不登校経験があり、人生はいかようにもなると学んでいる。不登校に関する本をたくさん読み、その本から「安心」を学んだ。
何より、子どもが学校に通うのは決して当たり前の事ではなく、奇跡だという学びがあった。
もっと言えば生きている、元気だ、これも奇跡だ。
家の中でいつも本を読む私の姿を見て夫は言った。
「本をよく読むね」
それを聞いて、昔母が自分の友達に向かって、あなたは中卒なのに本を読むのかと侮辱していた事を思い出す。あの時まさか自分の娘が中卒になるとは考えもしなかったのだろう。
お母さん、中卒でも本を読んでいいし、生きている価値もあるんだよ。
大人になってから引きこもる人は、子どもの頃に我慢し過ぎた人と言うし、ならば今で良かった。
失敗しても、何もしないよりいいし、そこから学ぶ事は多いし、それが息子の財産になる筈。まだまだじゅうぶん若いし幾らでもやり直せる。
息子よ、「今」荒れてくれて有難う。
罵詈雑言浴びせてくれて、暴れてくれて、学ばせてくれて本当に有難う。
痣になるほど蹴ってくれて、小さい頃一緒にバトミントンをして遊んだラケットで殴ってくれて、私の業を落としてくれて、本当に有難う。
私もラケットで親を殴ったよ。
もしかして君は幼かった私の代わりに不登校をしてくれているのかも知れないね。
私は小学生の時に過活動膀胱になり、授業中にトイレに通う子どもだった。先生にもみんなにも不審がられ、仮病と言われ、おばあちゃんにもおむつさせると脅され、登校拒否(当時はこのような言い方をした)したかったが勇気がなく出来なかった。
おばあちゃんは自分の理想通りでない私を忌み嫌っていたけど、私は君にそもそも理想を求めていないから、君が元気に生きていてくれるだけで幸せを感じるよ。有難うね。
ニュースで子どもが命を落としたと聞くと、うちの子は不登校でも何でも生きているから良いと思える。そう、暴れるという事は、そして不登校でいるというのは、生きているという事だ。
生きてさえいれば、命さえあれば、どんな風にもなる。必ず良くなる。
そしてこういう考え方は、元恋人の桜井正一さんが事故死したからこそ生まれたという気もする。
私は君が生後半年から司会の仕事で急に売れ出し、忙しくなり、毎週末仕事へ行き、平日も発声練習や活舌、リハーサルで時間を使い、普通のお母さんではなかった気がする。
君はずっと理解しながらも、我慢してくれていたのだろう。申し訳なかった。本当に悪かった。
君は出来ない我慢をし続けた結果、どんどん耐えられなくなり、私があらゆる仕事を辞めたのを機に力尽き、不登校というサインを出してくれているんだろう。君なりに考えて、気を使ってくれているのだろう。
気付かなくてごめんなさい。
今気付かせてくれて有難う。
君は確かに小さい頃から人に気を使う、優しくて思いやりの深い子だった。
司会の仕事はいったん受けると家族が病気になっても、自分が病気になっても休めない。
風邪ひとつ引くまい、怪我もすまい、いい加減だった私が健康管理に人一倍気を使い生活するようになれたのは、婚礼司会のお陰だ。
高熱に見舞われた君を、病児保育院に預けてまで仕事をしてしまった私。私を気遣い
「早く仕事へ行きな」
と言ってくれた君の熱に浮かされた赤い顔を思い出すたびに胸が痛むよ。
本心では、こんな時くらい仕事を休んで家で看病してくれと思っていただろう。仕事を優先する私を許し続けてくれていたんだろう。
初対面の保育士や看護師に看病されながら、君はどんな思いで知らない部屋の天井を見ていただろう。どんなにさびしかったろう。
本当に申し訳なかった。ごめんなさい。
毎週土日になると
「今日休み?」
と聞いてきた君。
「仏滅だから、休みだよ」
と答えると、嬉しそうに
「どこか行こう」
と無邪気な顔で誘ってくれた。
「ごめん、仕事だよ」
と言うとそのままウンと頷き、それ以上何も言わなかった君。
遊びたい盛りの君とじゅうぶん過ごせなかった私。可愛い盛りの君より、自分のキャリアを積み重ねる事しか考えていなかった私。
仕事の予定で埋め尽くされている私の手帳を見て、黙り込んでいた君。君の気持ちを考えず、自分の事ばかり考えてしまった私。
悪いお母さんでごめんなさい。
仕事と顔の手入れは手を抜かなかったが、育児は手を抜いた気がする。そう、君のおばあちゃんのように。
そして息子はぎりぎり気を使っているのか、私の顔だけは殴らない。
あのまま仕事がうまく行き続けていたらどうなったかと思うとぞっとする。辞めてよかった。パワハラされて良かった。
愛社精神を持って働けた会社も、大好きだった婚礼も、尊い葬儀も、学んだ派遣も、全部の仕事を辞めて良かった。
全部、いちばん良いタイミングで辞められた。それぞれの仕事で、それぞれの定年を迎えられた。本当に今のこの状態で良かった。神様がそうしてくれた。
ただね、君を生めたのは私だけなんだよ。君の母は世界で私だけなんだよ。
ママを嫌いでも、パパを嫌いでも、自分だけは好きでいて。自分の人生だけはたいせつにしておくれ。
私も懸命に生きている。賢明ではないにしても。
ああ私はやはり幸せだ。
君はやっぱり私の最高の先生だよ。不登校でも、細かくて神経質でも、私は君が好きだよ、大好きだよ。
今日のモラハラはたったの15分で済ましてくれたし、蹴りも「加減しながらの一発」でやめてくれた。
高校が決まるまでは4時間も5時間もモラハラしたし、蹴りも殴打も一発では済まなかったし加減もなかった。
扇風機で殴られた事もあった。扇風機はバラバラに壊れ、私も痛くて、悔しくて、惨めで、情けなくて、張り裂けそうになった。
だが、それさえ考えようによっては良い事だった。
扇風機は私の身代わりになり、バラバラに壊れてくれたのだ。幸いもう一台あったので、何も困らなかった。私がバラバラに壊れるよりずっと良かった。
ああ、良かった。ああ、恵まれている。
母は父や私に暴力を振るわれると、わざとらしく吹っ飛んで見せたり、さも助けて欲しそうに悲鳴を上げたりしていた。そして父に暴力を振るわれ、やめさせようとわめき散らした私の口を股で塞いだ。
だが私は息子にどんなに殴られても一言たりとも悲鳴を上げなかった。近所に息子が私に暴力を振るっている事を知られたくないからだ。ましてや自分の股で息子の口をふさぐなど、間違ってもしない。
そうだ、私も杜子春の母のような母親になろう。どんなにムチ打たれても、それでも子どもの幸せを願って激痛に耐える母親であろう。
母もしまいにはそんな母親になってくれていたし、教えてくれて有難うと言ってくれた。
私に出来ない筈はない。
息子よ、だから私に暴力を振るって良いよ。
外で誰かを殴るよりずっと良い。
さあ、息子よ。私を好きなだけ殴りなさい。
ずっと耐えられなかったんでしょう?
私は耐えられるよ。耐えてみせるよ。
そして君が一度だけこう言ってくれた言葉を忘れないよ。
「俺だって本当はこんな事したくねえんだよ!」
ああ、そうだったんだね、君は本当はこんな事したくないんだね。したくない事をさせて悪かった、本心を言ってくれて本当に有難う。
私は親に「娘として認めない」と言われて育った挙句、息子から「母親として認めない」と言われているが、考えようによってはそれさえ幸せだ。
それは、私は息子を自分の子として「認めている」からだ。
自分の生んだ子に向かって「子どもとして認めない」と言うよりずっと良い。
悪い方ではなく良い方を見れば、幸せは必ずある。
本人がそこに気付くかどうかだ。
来年の今頃は落ち着いてくれているだろう。暴力もモラハラもなくなっているだろう。
ああ有難う、君以上の子どもいないよ。君は千人分親孝行だよ。
君が何と言おうと、君は私と私が尊敬するパパさんの愛の結晶だよ。
君は不登校を貫き、卒業式にさえ行かなかった。
私が代理で行き、担任や学年主任が見守る中、校長先生から卒業証書を受理した。
他の子は自分で受け取るのに、何故私がここまでしなくてはならないのか、という考えもよぎったが、それも考えようによっては「必要な経験」だった。
そう、私は自分の中学の卒業式に出なかったのだから。
だから神様が代わりに卒業証書を受理させてくれたのだ。息子にも、息子の通った中学にも感謝している。
ああ、これで私もやっと中学を「きちんと卒業した」のだ。
息子よ、間もなく行われる高校の入学式にはきちんと出ておくれ。
そしてまだ見ぬ孫よ、お父さん(息子)を代わりに卒業式に出さないでおくれ。
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