第6章 君が行く道のながてに 6
端から数百もの大軍を相手に真っ向から挑み掛かるつもりなど毛頭ない。
正面突破を仕掛けると見せかけ、その実は前衛配置の手下達に時間を稼がせ、その隙に本隊を後方に退かせるのが狙いであった。いわゆる「捨て
味方の一人でも将門陣地に辿り着き、北側からの良正勢奇襲を知らせることが桔梗達にとっての勝利であった。
幾度も離集を繰り返し、幾人もの仲間を討ち取られ、また幾人もの仲間達と散り散りになってしまったが、冬期で水嵩の減った飯沼川を馬で越えては戻り、行く手を撹乱するうちに、当初八十も喰いついて来た敵の追手を十余騎となるまで撒くことが出来た。
しかし、残った僦馬勢は頭目含め僅か三騎。人馬共に満身創痍であった。馬足も相当に鈍りつつあった。
「……よし、射界に入ったぞ。横列で射掛けィっ!」
桔梗の号令一下、手下二人が続けざまに放った矢が敵騎馬四騎を射貫き落とした。
「はあ、……はあ、……良くやった。残り七騎じゃ!」
「へ、……へへ。……いつだったか、御上の兵隊に追われてたときなんか、弓なんか触ったこともねえって泣きべそ掻いてたオメエが、一丁前になったもんだぜ!」
「はあ、……はは、昔の事蒸し返すんじゃねエよ。しかし今のが最後の矢だぜ、どうするよ?」
「へ、何言ってやがる。矢なら俺ァあと四本、テメエも肩と腹に三本しっかり握ってンじゃねえかよ!」
「あ? ああ、こいつか! ……へへ、大事に取っておいて良かったぜ!」
自分の身体に突き刺さった矢を苦痛を堪え引き抜くと、ダンシは「食らえ!」と叫び敵向けて射放った。
「うげェっ!」
たちまちダンシはその身体に四五本の矢を増やし、呻き声を上げて倒れ込んだ。
「はあ、……はあ、……まだ追ってくるか?」
「は、……お前、今もすぐ耳元を矢羽根が音立てて掠めていくのが聞こえぬか?」
「あ? ……悪いな、お頭が何言ってンのか、良く聞こえねエ――」
掌を耳に当て首を傾げたフジマルが、そのまま身体もゆっくりと傾け疾走する馬から転げ落ちた。
「フジマルっ⁉」
慌てて馬を止めた桔梗の左肩を敵の矢が貫いた。
「ぐうっ!」
呻く桔梗の脇腹に更に矢が突き刺さる。
(……しまった、今のは深手じゃ!)
馬上で蹲る桔梗に次の矢を番えた敵の追撃が迫った。
「くそ、もう追いつかれたか!」
悪態吐く桔梗の前へ、のそりと立ち上がったフジマルが、ペっと地面に血唾を吐いて敵の前に立ちはだかった。
その身体に次々と矢を受けるが、フジマルは顔色一つ変えず敵を睨みつけている。
「お頭、……今のうちに逃げな」
脛を射られ片膝立ちになるフジマルの傍に馬を寄せながら桔梗が涙を浮かべて手を伸ばす。
「フジマル、もう良い。一緒に退け!」
フジマルは差し伸べられた手を掴む代わりに自分の弓を差し出した。
「鉾をくれ。そして殿様のところへ行ってやんな」
「――!」
その覚悟を酌んだ桔梗は弓を受け取ると将門から贈られた長鉾を躊躇わずフジマルに手渡し、後は振り返ることなく馬を走らせた。
未だ矢が絶え間なく飛び来る中、フジマルは遠ざかる蹄の音を振り返り、その背中にニッと笑いかけた。
「今まで楽しかったぜ。……あばよお頭!」
手下の最期の笑顔に涙を拭いながら、桔梗は馬を走らせた。
「はあ、……はあ、……」
被っていた黒手巾を脱いで傷口を押さえてはいるが、それでも脇腹の深傷からの出血が馬の鞍まで濡らしている。既に左腕に力が入らぬ。未だ敵は三騎食いついて離れぬ。
「はあ、……はあ、……ゥぐっ⁉」
不意に背中に焼けるような激痛が走った。だが致命傷には浅い。
桔梗は左肩の矢を引き抜くと、振り向きざまに矢を放ち、敵の一騎が落馬した。残り二騎。
弓を射るために足を止めた桔梗目掛け次々と矢が襲い掛かる。馬も気丈なものじゃ。これ程攻め立てられて未だ怯む様子を見せぬとは。つくづく俺は良馬に恵まれた。
こちらの矢が既に尽きたと見た敵が射程を縮めようと近づいてくる。しかし、まだとっておきの矢が手元に残っている。
桔梗は脇腹に刺さったままの矢を、ぶるぶると震える手に力を込めて引き抜きに掛かる。抜き方を誤ると即死するか腸を破って悶死しかねぬ。何とか矢は抜けたが、途端に血が噴き出した。
油断した敵は既に射程。たちまち桔梗の矢の餌食となった。
最後の一騎は既に矢を撃ち尽くしていたらしく、弓を収めると腰の太刀を抜いてこちらに迫った。
間合いの手前で敵騎馬は足を止めた。兜から覗かせる顔から察して将門と同じくらいの齢であろうか。相手もまた改めて目の当たりにする女頭目の素顔にハッと息を呑んだ。
「他人の空似とはいえここまで姫様に瓜二つとは……!」
独り言ちた武将が桔梗の目を真直ぐ見つめて呼びかける。
「……僦馬の頭目よ、此処までの奮戦ぶり、某は実に感服した。我ら一門は女人は手に掛けぬ掟故、出来ればそなたを生かしたまま連れ帰りたい。良正様は大層お怒りであったが、公雅様を通し某からも助命を申し出よう。そなたは公雅様の妹君によく似ておられる故、決して悪いようにはなされまい。どうじゃ、刀を収めて投降してはくれぬか?」
武将の申し出にフンと鼻を桔梗は鼻を鳴らして答えた。
「その褒美に俺を囲い者にでもするつもりか? さてはお前、その美那緒とかいう主君の妹君に岡惚れでもしておったか!」
無礼な突っぱね様に武将は顔を真っ赤にして憤った。
「口の利き方に気を付けておけよ、後で散々に泣き喚いても容赦せぬぞ。大人しく投降せぬなら、力ずくで生け捕るまでじゃ!」
武将が太刀を構え直し眦強く相手を睨みつける。桔梗も弓を投げ捨て右手に太刀を握る。左腕は半ば感覚を失い、右手に大振りが酷く重い。
「敵前で弓を投じるとは、……そなた死ぬつもりか?」
聊か鼻白んだ様子の武将に桔梗が微笑を見せる。
「死にはせぬさ。俺の行く道は最初から片道と決めておった。最後に邪魔なものを手放しただけのことよ。……それよりお前、俺の名を聞いておったか?」
「何を言っておるか、そなたが自ら名乗っておったではないか?」
「ふん。――なら死ね!」
「っ⁉」
突如人馬一体で打ち込まれた武将が咄嗟に太刀で受けきろうとするが、そこに受けるべき刃はなかった。
空滑りした武将の首筋に緋色の横一文字が走る。
「がヒっ!」
頸動脈を切り裂かれた武将が真っ赤な噴水を迸らせながら馬の背に仰け反り倒れ、驚いた馬が主を背負ったまま何処かに駆け去り消えた。
「――俺の名は死人への手向けの花じゃ。聞いたからには死人になれ」
一人呟いた桔梗は、改めて辺りを見渡した。冬枯れの荒野には己唯一人。
これで追手はすべて消えた。
「はあ、……はあ……」
深い深い息を吐きながら刃の根元を右掌に深く食い込ませたままの太刀を払い捨てると、桔梗は馬の鬣にしがみつくように先を急いだ。
後には幾つもの血痕が続いた。
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