第6章 君が行く道のながてに 1
天慶三(九四〇)年卯月一四日未申刻、下野国猿島郡島広山(北山)付近。
この日の早朝より、石井営所に布陣する秀郷勢に使者を送り挑戦を発した将門勢四百余は、営所より東の湿地帯、菅生沼の畔に陣を敷いた。
明け方より強い風が吹き荒れ、新皇軍が掲げる「南無八幡」の旗竿が折れるばかりにしなり、幟は千切れんばかりに音を立ててはためいた。
「順風じゃ。この戦、風上に立つ我らに利があるぞ!」
気色を浮かべる美那緒に将門も笑顔で頷き、皆へ声を張り上げる。
「使者の報告では、石井営所に進駐した敵勢は寝返った我らの従類を加え四千余りにも上るという。ざっと我らの十倍じゃ。だが、思い返してみるが良い。野本の戦然り、この美那緒を救い出した香取湖畔の大騒動然り、我らが圧倒的に劣勢な状況において、常に天は風となり雲となり、雨となって我らを勝利へと導き給うた。此の度の決戦においても、八幡大菩薩の御加護がこの順風となって我らについておる。――心してかかれ!」
総大将の檄に、最早今生の未練も吹っ切れた様子の配下達が声を枯らしてこれに答えた。
「コヅベンはおるか?」
「応!」
将門の呼びかけに答えた蝦夷の頭目が前へ進み出る。
「手筈通りじゃ。エミシ衆は山の反対側へ回り、沼の北側、飯沼川の川上から寄せ来る敵を警戒せよ。あの大軍に後ろから回り込まれたら一巻の終わりじゃ。敵に迂回の動きがあれば速やかに知らせよ!」
「相分かった。死なずにおれよ!」
エミシ衆四十余りを引き連れながら、コヅベンは山の北側へと走り去っていった。
その背を見送って幾らも経たぬうちに、西の方角から地を響かせる程の戦鼓の音が辺りに響き渡り、やがて視界を埋め尽くすほどの蒼旗、朱旗を靡かせた大軍が将門勢の前に姿を現した。
その軍勢の只中から、弓手を引き連れ一人の武将が陣の前に進み出た。
将門達がずっと行方を追っていた男、平貞盛である。
「逆賊首魁将門よ、此処に出でいっ!」
名を呼ばれた将門が単騎馬を駆け対峙する。
「貞盛殿よ、ようやく会えたな……!」
感慨深そうに呼びかける将門を前に、様々な思いが蘇り双眸をぎりりと光らせながら貞盛が怒りを込めて叫ぶ。
「……将門よ、今更私情を此処で口にするつもりはない。我らは中央の使命を執行するために此処におる。今日こそ再び坂東の秩序を取り戻す為に貴様を討ち果たし、この叛乱を平定致す。……将門殿、貴公に恨みはない。恨みたくはなかったが、坂東の為じゃ、この手でその首討ち取らせてもらうぞ!」
堪え切れずに真情を吐露する貞盛を前に、将門も眦鋭く相手を睨みつける。
「貞盛殿。俺も貴公と一度直接話をつけねばならぬとずっと願っておったが、それも今更叶わぬ。……良かろう、我らもまた坂東の為、永年我ら坂東人を苦しめ続けた中央の手先たる貴公らを裏切り者諸共残らず地に敷いてくれる!」
二人が火花を散らせる中、遅れて前に現れた一騎の老将が将門に呼び掛けた。
「おお、貴公が新皇将門とやらか! 某は下野国藤原秀郷と申す。この度押領使を仕り、この若者達と共に貴殿を討ち取りに参ったのじゃ」
名乗りを聞いた将門がちらりとそちらに顔を向ける。
「貴殿が噂に名高い百足退治か。お初に御目に掛る」
「挨拶が遅れて済まぬのう。貴公の戦い振り、この老いぼれ深く感銘を受けましたぞ。この戦を此処で終わらせてしまうのが残念でならぬて」
「俺もじゃ。此の度は貴殿の首級も頂戴したいと存じておる」
眼光に力が籠る将門の凄みを帯びた視線を秀郷は呵々と笑い飛ばした。
「はは。面白いことを仰られる。では、どうぞ此処まで受け取りに参られるが良い。のしを付けてお待ち申し上げておるでな!」
秀郷の高笑いを締めに、名乗りを終えた三騎はそれぞれの陣へと引き揚げ、代わりに弓隊、盾隊が配置された。
「向かい風じゃ。あまり矢を射るな。虚仮脅し程度に留めよ」
既に弓掛りは不利と状況を判断していた秀郷が前陣に指示を下す。秀郷側の前線は盾隊が前に出た。その背後には斬り込みを控えた騎馬勢が幾重にも配備され、長鉾を構えながら出陣の合図に備えていた。
「狙うは今の二人の首じゃ、根の定まらぬ浮草共は相手にするな。矢を風に乗せて本陣へ射かけよ! 矢合わせ用意!」
将門の指示を受け弓手が前線にずらりと配置される。いずれも弓上手であった経明から指南を受けた名手揃いであった。
「放てっ!」
将門の号令と共に天高く鏑矢が放たれ、此処に平将門最後の激戦の火蓋が切られたのである。
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