シロ 2



 ……その冬のうちに塒を共にした童らの内の半分が寒さや飢えで死んだが、春が訪れる頃にはいつの間にか同じ数ほどの童が新たに加わった。何れもこそ泥まがいの盗みを働いて糊口を凌いだ。盗み押し込みの類は彼の方が他の童達よりも年季が入っており、すぐに彼らは自分を「シロ兄ィ」と呼び慕い、彼も童達と家族のように馴染んでいった。


 夏が訪れる前に、年長の少女が羅生門の天井裏から居を移すことを決めた。いずれ次の冬を同じように此処で越せば、また同じ数の仲間を死なせることになると判断したからであった。彼を含め、それに反対する者はいなかった。娘の言う事は尤もじゃと皆が思った。

 彼女はとにかく勘が利いた。風を読んではすぐに退けと皆に告げ、皆がそれに従った。危険を察すればすぐに手を引く潔さも冴えた。共に居れば生き延びることができる。只生き延びることが全てであった彼らにとってそれは絶対の信頼となった。

 十人ほどの童らの所帯は、都の郊外を転々と移り、時折洛中に忍び込んでは生きるために盗みを働き、時にそれに伴い仲間を失うこともあったが、いつの間にか新しい顔ぶれが加わり仲間の数は増えていき、いつしか娘を頭目とした少年野盗として京中に一端に名が知られ人々から恐れを受ける徒党となっていた。



 ……そして三年の月日が流れた、或る晩秋の頃の事であった。


 ぎい、ぎい、と危うい軋みを鳴らす橋板に舌打ちを鳴らしながら悪態を吐く。

「……相変わらず、襤褸っちい橋でやがる」

 かつてこの下で幼い命を繋いだ彼にとっての永居の塒であったが、懐かしさなど欠片も沸いてこない。

「こちとら二人分の目方があるンだ。渡る前に底が抜けやしねえか?」

 北風も冷たく水面揺らす鴨川に転落した日には冷たくてかなわぬ。しかし、彼が今背に負うている少女の亡骸も同じくらいにすっかり冷え切ってしまっていた。

「シロよ、お前ばかりに背負わせては悪い。そろそろ俺が代わろう」

 傍らを歩く頭目の娘も、表面は平静を取り繕っているが、言葉からは沈痛な感情は隠せない。

「良いんだよ。鳥辺野までしっかり背負って送ってやンのが俺なりの供養さ。皆が荷車借りようってのを反対したのも俺だしな」

 

 ――からから、からから。


 この橋の下でうんざりするほど聞いた車輪の音である。この娘の亡骸を、あの車の上に乗せてこの橋を渡らせるのだけは御免じゃ。どうせ俺もお頭もこの娘も、散々悪事を働いて来たのだから、死んでいく先は地獄と決まっているが、あの車に乗せて帰ってしまえば、地獄も極楽も来世もない、只の空っぽの空車になってしまいはせぬだろうか。

「……しかし、これで羅生門の頃からの仲間も、俺とお頭だけになっちまったなあ」

「いや、我らもよく今まで死なずに生きてこれたものさ……」

 生前は良く笑う娘であった。旋毛曲りを気取っていたシロともすぐに打ち解けた。

 それが一昨日、病であっけなく死んだ。そんな仲間は大勢いたが、幾度見送っても慣れるものではない。

 洛中で辻説法の高野聖に布施を積んで簡素な供養を頼み、今頃は先に鳥辺野で埋葬の準備を済ませ到着を待つ仲間の元へ向かう二人の影帽子が、黄昏迫る鴨川の襤褸橋に長く並んで目の前に伸びていた。

 背中の少女の死に顔は、生前のやんちゃ振りからは想像もできぬ程穏やかで、そして美しかった。



「じゃあな……」

「すぐに俺らも行くからよ……」

 墓地の片隅に埋葬を済ませ、小さな墓石を前に幾人もの影帽子が並び、口々に最後の別れを告げる。

 最後に頭目の少女が墓の前に屈みこむと、懐から紫色の一輪の花を取り出し無言で備え静かに手を合わせた。

「おい、お頭。その花って今時分に咲いてるようなもんじゃねえだろ? どこで摘んで来たんだ?」

 シロが少し驚いて声を上げる。

「さっきそこで咲いているのを見つけて摘んできた。花姿が小振り故きっと狂い咲きじゃろて。……最後まで「お頭」と呼ばせていたがのう、実はこれが本当の俺の名じゃ。あの世でもきっと覚えていてくれよ。――さらばじゃ」

 最後の言葉は墓の下にだけ聞こえるように囁かれた。



 弔いを済ませ、仲間たちが墓所を後にする頃にはすっかり日が西に傾き、晩秋の空が茜色から菫色に代わろうとしていた。

 すん、と鼻を鳴らすシロに仲間の人が揶揄う。

「なんだシロよ。今頃になって寂しくて泣けてきやがったか?」

 そういう声も涙混じりであった。

「悪ィかよ。こちとら、もう「シロ兄ィ」って纏わりついて来たあの鬱陶しいのが居なくなっちまって心底せいせいしてるんだぜ。それあ涙の一滴も出てくらあな」

 気が付けば、皆が鼻を啜り鳴らしているが、誰かが強がったところでこれは晩秋の寒さのせいではあるまい。

「……そういえば、フジマルの野郎、辛気臭エのは御免だってふかしてやがったが、結局最後まで面出さなかったな。ダンシや他の何人かも連れていきやがった」

「言ってやるなよ。一番可愛がってたのはあの野郎だぜ。あの鬼瓦みてえな面に泣き喚かれた日にゃあ夢に出てくらあ」

「お、噂をすれば影ってやつだぜ。何やらぞろぞろ馬を連れてやがる。あの野郎、気晴らしに一仕事片付けてきたと見えらあ」

「おうい、大層な羽振りじゃねえか!」

 呼びかける仲間たちの前に、荷馬や売り物の馬と見える上等な駿馬を引き連れながら大柄の青年が手を振りながら現れた。

「なんだ、どいつもこいつもしみったれた面ぶら下げてやがる」

 大仕事を果たしたと見えて殊更に得意満面の笑みを見せつけてきたが、それが取り繕って見えるのはどうしようもないことであった。

 この男とその取り巻き達は、つい最近ふらりとシロたちの仕事に関わるうちに仲間に加わることになった連中で、皆から度胸と腕っぷしを買われ信頼を受けてはいたものの、何処か皆と必要以上に慣れ合う事を厭う嫌いが見受けられたが、このフジマルと言う男はどういうわけか年少の古株達に特に慕われており、殊に先程弔われた娘は妹同然に互いに慕い合っていた仲であったのは皆の知るところであった。

 それゆえにこそ、と言うのは皆も察しているので、それ以上触れようとする者はいなかったものの、それにしても大層な仕事の成果である。

「京入りの馬方行列が見えたんで、皆殺しにして馬ごとかっぱらってきたのさ。護衛も手薄、馬方も奇麗な身なりしてたもんだから身包み剥いできたが、何と言ってもこの馬だ。売っ払っちまえば値千金。どうだいお頭、あの娘の餞にゃあ十分な働きだろうが、よう?」

「ほう、これは見事な馬じゃ……」

 頭目の少女も思わず歩みを弾ませて引き連れていた駿馬に駆け寄る。荷駄馬七頭に、恐らく売り物の駿馬が六頭。特に駿馬は毛並みも申し分なく、乗り手を選ばぬ良馬と見た。

 目を輝かせ馬の項を撫でていた頭目であったが、或る物を見て一瞬で顔色が蒼白となる。

「どうしたんで、お頭?」

「……お前、この馬を下手に売ろうものなら、忽ち買い手諸共首を討たれるぞ」

「……ああ?」

 怪訝そうに首を傾げるフジマルに、恐らく彼が仲間に加わり初めて見せるほど血の気の引いた顔を向けて頭目が告げる。

「この馬の表札を見よ。何処ぞの国司から摂関家への献上品じゃ。……お前、御上の貢物に手を出したな!」

 それを聞いたフジマルも流石に一瞬顔色を変えたものの、

「……へっ! だからどうしたってんだい。元々御上の献上品なんざ、俺達下々を散々いびり散らして搾り取ったようなモンじゃねえかよ。それを横から掠めたところで、文句を言われる筋合いは――」

 ひゅん、と二人の間に矢が突き刺さり、すぐに背後から多数の馬の嘶きと蹄の地鳴り、続けざまの矢が唸りを込めて掠め飛んでくる。

「チィっ! もう追手が掛かったか! フジマルよ、もうこの際荷は諦めよ! 皆よ、空いている馬にすぐに乗れ。とにかくこの場を逃げ延びるぞ!」

 少女の指示に皆が有無を言わずに手近な馬の背に一人二人ひらりと飛び乗ると、耳元に矢羽根が掠めるのに肝を冷やしながら馬の横腹に蹴りを入れ、見事な迅速さでその場から逃げ去った。

「おい、誰か弓を持っておらぬか!」

 シロが手綱を取る駿馬に跨りながら皆に呼び掛けるが、

「ンなもん墓場まで持ってくるかよ!」

「そもそも俺達ァ弓なんか引いたこともねえよ!」

 と情けない返事ばかり。

 ハッ、と溜息のような笑声を発すると、

「それなら逃げるが勝ちじゃ。ひたすら南に走って相手を撒くぞ!」



 北側から賊らの背後を追っていた摂関家直下の騎馬の一人が、敵の姿を見て思わず声を上げる。

「何じゃ、まだ年端もいかぬ小童共ではないか!」

 思わず弓の弦を緩める年若い武夫に上司である尉官が叱咤するように命じる。

「何を躊躇うておるか小次郎よ。あの娘頭目に白髪の鬼童こそ、近頃洛中を騒がせておる冷血の盗賊衆ぞ。情けなど無用じゃ、貴様の自慢の弓で残らず射殺してしまえ!」

「はっ!」

 命令とあらば是非もなし、と若武者は渾身の力を込めて白髪の少年を狙い必殺の一射を放った。


「っ! シロ、強矢が来るぞ。右に捌け!」

「よいきた!」

 手綱を捌いたシロの頬を必中で放たれた矢が掠めていった。

「っは! 読めたぞ。シロ、しんがりについて矢面に馬の横っ腹を晒してやれ!」

「よいきた! ……って、はあっ⁉」


「……っ!」

 不意に絞りかけた弓を伏せた若武夫に尉官は目を剥いて怒鳴りつけた。

「おい、何故射掛けぬか!」

「駄目です。これ以上射掛けては御献上の御馬に矢が当たってしまいまする!」

「くそっ! 者共、決して逃がすなよ、いずれ挟み撃ちじゃ!」



 背後からの矢掛けが収まったと見た一味が馬上でホッと息を吐く。

「駿馬を盗んできて良かったな。まったく、御弔いの帰り道に仏を出したんじゃ洒落にもならねえよ」

 ぼやくシロの後ろで厳しい眼差しを前に向けたままの頭目が声を上げる。

「この先にも最前の奴らの仲間が待ち構えておるぞ。来るときに通った手前の橋にも検非違使共が陣取っておる!」

「何だってんだよ⁉ あの破落戸連中、こんな時に限ってまともに仕事しやがって!」

「もう一度先頭に着け! 俺が皆を先導する!」

「どっちに進むつもりだィ。どっちも敵さんのお出迎えだぜ⁉」

「検非違使共は徒兵じゃ。馬にものを言わせて押し通る!」

「よいきた!」


 襤褸橋の上には、十数人もの検非違使達が長鉾を扱きながら待ち構えていた。

「この橋を渡り、鴨川沿いに洛外へ逃れる。闇夜に紛れ込めば流石にもう追ってはこれぬ!」

「どいつも摂関家の褒美に目が眩んだって面してやがらあ。行くぞお頭!」

 一斉放つと皆を率いて怒涛の勢いで立ち塞がる検非違使達を蹴転がし、或いは川に突き落としながら死に物狂いで橋を渡った。

 しかし、最後の手前で突如縄を張られ、咄嗟に跳び越えようとしたシロの馬が姿勢を崩した。

「きゃあ!」

「お頭っ⁉」

 シロの背後から頭目が落馬し、橋の上に叩きつけられる。そこへ検非違使の一人が太刀を抜き放ち、ふらつきながら身を起こした少女の項目掛けて白刃を振りかぶった。

「てめえっ!」

 寸でのところで馬から飛び降り男に組み付いたシロが腰の短刀を男の喉に突き立てた。

「ぐえっ!」

「っ! あんたは――」

 押し潰されたような悲鳴を上げて検非違使の長――かつてシロを羅生門へと導き、その後の運命を大きく変える契機となった男が、血の泡を噴きながら大きく見開いた眼をシロへと向け、やがて白目を剥いて後ずさりしながら川へと落下していった。

「シロ、助かったぞ!」

 呆然と血に染まる川面を見下ろすシロに頭目が肩を叩く。そこへ後に続いてきたフジマルが追い縋る検非違使達を長鉾で追い散らしながら叫ぶ。

「早く馬に乗れ! さっきの連中までじきに追いついてくるぞ!」



 伏見の辺りまで落ち延びた頃には、もう既に夜更けであった。

「よう、……死んだ奴ァいねえか?」

 くたくたにくたびれた様子の皆に、杉の木に凭れながらフジマルが問いかける。

「死んだ奴が何て返事すんだよ馬鹿……!」

 と、喘ぎながらシロが返した。

 失笑が漣のように広がっていく。

「よく誰も死なずに此処まで逃げてこられたものじゃ……」

 ほう、と息を吐きながら頭目の少女が呟く。

「そりゃいつものようにお頭のお蔭だろうよ。しかし、当分京には近づけねえわな。……これからどうするよ」

「馬があるぜ。最高の馬がよ。流石関白忠平様の献上品だぜ。これだけ走ってびくともきていねえ」

「それじゃあ、暫く俺達も当世の流行りに乗って僦馬の党を気取ってみるか」

「はは、それも悪く無いのう」

「とんだ御弔いになったもんだぜ」

 乾いた笑いが一仕事終えた後の彼らの中に沁み込んで消える。

「それよりも、シロ。おめえ、その頭何とかしろ。矢の的になってたぜ」

 フジマルがぶっきらぼうな口調で彼の頭を指さす。

「何だよ、丸坊主にでもしろってのか?」

「何か頬被りでもしろって言ってんだよ」

 ともすれば喧嘩腰に聞こえるが、仲間からすればいつもの彼らの殺風景な遣り取りである。

 そこへ頭目の少女が口を挟む。

「いや、シロだけではない。我らも皆これを揃いで被ろう」

 そう言ってパサリと彼の頭に黒い手巾を被せた。

「俺達は多分既に検非違使や京の連中に顔を知られておる。揃いの被り物で仕事を働けば、いずれ我らの徒党に箔も付こうというものじゃ」

「黒頭巾の僦馬の党かよ……」

 頭に被された手拭いを手に取りまじまじと見つめ顔を近づける。

 微かに頭目の少女の懐にあった温もりが感じられるようであった。


「……は、確かに悪くねえや――」




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