第3章 再び貞盛追討 8



 一方、関・泉両御前を護送した一行は、まもなく筑波・真壁郡境付近というところに差し掛かっていた。

 この数日曇天の底冷えする日が続いていたが、その分地面も固まり馬の足を取られることもなく順調な道行きであり、この分で進めば石田郷へは一日程度早い到着になると見込まれていた。

 息も白く凍る冬の行軍とはいえ、馬の後ろを付いて歩みを進めていれば脇に汗の滲む心地よい道行きである。えっちらおっちらと長鉾を担いで牛車の傍らを歩んでいた翁が、先頭が馬を止めたところでホッと息を吐いた。

「なんじゃ、ようやく小休止か? また昼飯返上かと思うたぞ」

 兵糧節約とはいえ一日二食の行軍は何とも情けないものだと終始愚痴を聞かされていた傍らの若い兵卒が苦笑して答える。

「どうやら桜川に差し掛かったようですな。先頭で迂回の道を探しているのでしょう。爺殿、今日の昼餉もあまり期待せぬ方がよろしいぞ」

 護送勢の内で数少ない顔見知りの若者に揶揄われて戯れに悪態を口にしかけた翁であったが、

「……はて、迂回の道も何もすぐ先に巡検の際にも渡った橋があったではないか。新皇軍の、それも此の地に通じておるものならば迂回を考えあぐねることもないであろうに」

 


 桜川の川岸を前にした先頭集団を率いる上兵の騎馬武者が馬上で暫し無言で腕を組んでいるのを見て、このまま川を渡ったものか、上流で橋を渡ったものか思案しているものと合点した徒兵の一人がおずおずと進言する。

「将官殿。冬季故川の水嵩は少のうございますが、見えぬ深みがございまする。馬はともかく車は無理がありましょう。日時にも余裕がございますれば迂回して橋を渡った方が無難かと……」

 それを聞いた騎馬の武将は顔も向けずに答える。

「貴様のような逆賊が口を挟むことではない」

 一瞬萎縮して「ははっ!」と畏まった徒兵であったが、即座に今の謂いを反芻し目を剥いて顔を上げた。

「……今、何と?」

「それに貴様等はこの川を共に渡る必要もない」

 覆い被せるように言葉を続け武将が振り返った時にはその兵卒の首は武将の長鉾に斬り落とされていた。

 古馴染みの首が血を噴いて転がり落ちる様を目の当たりにしたもう一人の従卒は、続けざまに武将の刃が自分の首を落とす前に咄嗟に警笛を口に咥え渾身を込めて吹き鳴らした。


「――敵襲じゃ‼」

 突如響き渡る呼子の音と叫び声にサッと隊列の空気が変わる。

「敵だと⁉ 野盗か? それとも例の悪名高い黒僦馬が現れたか⁉」

 意気込んで弓を手にする若兵に泡を食った翁が思わず声を上げる。

「まさか! 黒僦馬の頭目殿は我らの御味方ぞ、こんなところで儂らを陥れるような真似をなさるはずが――」

 実はとうに美那緒の正体に気づいていた翁が咄嗟に口走った矢先、目の前で応戦の構えを取っていた若者が矢に撃たれ呻き声を洩らして倒れ伏した。

「……何の真似じゃ、貴様等⁉」

 見渡せば、随行に就いていた者の殆どが己に刃を向け、こちらを睨み据えながらにじり寄ってくる。その背後には、見知った将門従類の屍が点々と転がっていた。

 ふと、その敵兵の中に、関御前ら二人を凌辱しようとしたとして手配を受けていた不逞の脱走兵の姿を見つけた翁は、背後の車を庇うように長鉾を振りかざした。

「裏切り者共奴……っ! 御婦人方の身柄をどうするつもりか知らぬが、儂の目の黒いうちは決して車には近づけんぞ――うぐっ⁉」

 鬼の形相で多勢を相手に睨みを利かせていた翁が、不意に背中から心臓を刃で貫かれ、崩れるように息絶えた。


 血に塗れた短刀を手に車の御簾から姿を現したのは、翁らが身を挺して賊から護ろうとしていたはずの関御前であった。

 その姿を前に、今まで刃を振りかざしていた護衛の将兵が刀を収め一斉即座に膝をつく。俄か召集の将兵の身のこなしではない。

 この場に生き残るものは皆、新皇軍に紛れていた石田勢はじめ、反将門を胸に誓う精鋭の武夫達であった。

「皆よ、ここまで大義であった」

 辺りに散らばる将門将兵の死骸を見渡し満足そうに関が哂う。

「御前殿、御召し物が賊の血に汚れておりまする。直ぐにお替えをご用意いたしまする」

 歩み寄りかけるのは、先日自分を手籠めにしようとした兵士の一人であったが、気にした様子もなく関は血に塗れた袖を艶然と微笑み見下ろした。

「気にせぬで良い。田舎拵えの野暮な御仕着せも、逆徒の血糊が利いて幾らか着れる代物になったところじゃ」

 と、もう一台の車からも泉が降りてくるのを見て、関がにっこりと微笑みかける。

「おお、そなたも怪我がなくて何よりじゃ」

御姐御前あねごぜも御無事で。……しかし、骸を見るのは恐ろしいものにございまする。妾は未だに慣れませぬ……」

「ほほ。何を言うやら。そなたから夫君を奪った者共ぞ。妾から全てを奪った者共ぞ。憎んで憎んで余りあるぞえ。これっぽちの死骸を転がしただけでは尚足りぬわいな」

 言葉に憎しみの炎が燃え立つにつれ、その艶然たる微笑は更に艶めかしいものになる。それに見惚れる石田将兵の中にはごくりと生唾を飲み込む者すらいる。

「……将門奴、装束一揃い与えて逃がしてくれたところで妾の恨みが晴れたと思うたか。我が領地を焼き尽くされ、義母を人外魔境に陥れ、我が夫を幾度も流浪の身に追い詰めた怨み、譬え七代先まで因果が続いたとて決して忘れ得ぬわ。……それにのう、将門よ。貴様は知らぬであろうが、貴様の天命も実はあと残り僅かよ。最後の最後の末期まつごになってから、初めて己の運命を悟るがよい、己の因業の深さを惨たらしい死の間際にせいぜい思い知るがよい――‼」

 妖艶たる微笑には似つかわしからぬけたたましい哄笑が冬靄に谺する中、いつしか桜川の川面にちらほらと雪が舞い始める。血塗れのその様はまるで冬の化生を前にしたように見る者らを慄然たらしめるのであった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る