第3章 再び貞盛追討 7



 翌日早朝。

 営所門前には二台の車を取り巻くように武装した武夫らが幾十人と身支度を整え、出立の合図を今や遅しと待ち侘びていた。

 貴人二人を送り届けるにしては物々しい様子であったが、いくら二人共気丈な振る舞いを見せているとはいえ先日不運に見舞われたばかり、幾らでも道中の不安を払拭出来ればとの提案あっての編成であった。

 随行する武士の殆どは筑波山の北東側、すなわち新治郡や池田郷近隣の出身であり、道中の地理に通じている者達ばかりである。

 こちらの準備は既に整えられ、馬も門前に引き出されているのだが、肝心の貴人二人の将門への御礼の挨拶が長引きなかなか門前に姿を現さぬ。それが美那緒は面白くない。

「しかし、偶然か? 随行の伴類は皆興世王殿配下の将兵らのように見受けるが……?」

 門前で見送りの支度を監督していた玄明がふと気づいて首を傾げる。

「別に他意はござらぬ。遠征の為召集を掛けたところが、偶々彼の地に所縁のある輩が多かっただけのことじゃで。尤も、その連中から例の不届き者を出してしまったわけだがのう。しかし心配は無用。こ奴らにもこの度の護衛随行こそ我が軍団の汚名返上の機会としっかり檄を飛ばしているでな」

 呵々大笑する興世王に呼応して随行の伴類もまた応! と長鉾を掲げてみせる。召集兵とはとても思えぬ士気の高さを見るに、前日は大将から相当しごかれたのであろう。

「……ん? おや、翁よ!」

 白い息を吐いて出立を待つ武夫達の中に見知った老兵を見つけた美那緒が気さくに声を掛けると、白い髭に朝露を湛えた老人が「おお、御前様。おはようございまする!」と腰を上げた。

 弓袋山の合戦で美那緒を介抱し、それ以降も彼女の酒肴の手配などに気を利かせるなど何かと身の回りを采配してくれる気心知れた好々爺である。

「なんじゃ翁も随行に加わるのかえ。老体にこの寒さは堪えように」

「なんの。儂も真壁で筑波颪を浴びて生まれ育っておりますでな。坂東の空っ風で吹き飛ぶ程枯れてはおりませぬわい。しかし妙じゃのう。儂と同郷で若い者達なぞ他に幾らでもおるのに、どいつもこいつも初めて顔を見るような連中じゃ」

 と何やら訝しそうに周りで空模様を気にしている風の護衛の兵卒らに顎をしゃくる。皆一様に表情の乏しい泥人形じみて見えるのは大口開けて冬空を見上げているためか。

 そこへ、漸く送還される貴人二人が門前に姿を現し、馬の周りが俄かに慌ただしくなった。

 やがて出立の合図が告げられ、二台の牛車の輪が軋む音に合わせて蹄と藁沓の靴音が続く。

「では御前様。暫しのお別れですじゃ。御君共々、お気を付けて戻られよ!」

「おまえこそ、道中よくよく用心するのですよ。先に石井営所で待っておるぞえ!」

 馬に跨った上兵の後ろを、長鉾を肩にして何度も振り返り手を振る翁を、美那緒もまた一行の最後の一人が見えなくなるまで見送るのだった。



 その日の午後、昼餉もそこそこに将門の召集により営所の広間に美那緒や将頼ら弟らをはじめ、遂高や経明ら腹心の者達や両郡の地頭ら主だった者が集められた。無論、議題は今後の新皇軍の進退についてである。

「さて、先ずは玄茂殿はじめ久慈・那珂両郡の領主諸氏の手厚い協力、誠から感謝いたす。お蔭で良き首尾を得ることが出来た」

「滅相もございませぬ。しかし、肝心の貞盛一味は取り逃がしたものの、彼奴等の確たる動向が掴めたことは誠に僥倖でございましたな」

「これで目下の懸念であったところが晴れ申した。後は公雅殿を仲介し良正様らの一味と時間をかけて和睦を進めるのみでございまする」

 貞盛妻女を生け捕った上、夫の行方を白状させるという上々の成果を得たとあって協議の空気は比較的華やいだものであった。

「そういえばすっかり忘れておったが、良正叔父奴、一体今頃水守の根城で何を企んでいることやら」

 今更のように脳裏に浮かんだ叔父の鯰顔を思い出し、誰ともなしに正為がぽつりと呟いた。

「……しかし、喫緊ではないにしろ問題はもう一つありますぞ。左様、都の討伐軍の動向じゃ。遅かれ早かれ動くには違いないが、貞盛が上洛したという事は八国内部の情勢を仔細に上申しているに違いありませぬ。城柵の守備や拠点の配置も朝廷側に抑えられているやもしれませぬ」

 楽観的な雰囲気に水を差すのを恐縮の態で遂高が釘を刺すが、これを興世王が呵々と笑い飛ばす。

「おいおい、目付殿よ。我が新皇軍は全兵力八千、即応兵力は御覧の通り五千の大軍じゃ。昨今西国でも陸奥でも乱が起こり火消しに手が回らぬところを、こちらにまですぐ差し向ける手勢がすぐ揃えられると思われるか? 抹香臭い護摩でも焚いて神仏頼みが関の山じゃて」

「しかし、これから田耕の季節じゃ。我らとて農作に人手も取られる。常に幾千の兵が揃えられるとは限りませぬぞ」

「それは向こうさんも同じであろうが。貴公は少々心配症に過ぎようぞ?」

 二人が互いの意見を交わし合う中、

「それについて意見具申がござる」

 と上座に膝を向けたのは玄茂であった。

「只今遂高殿が申されたように、間もなく伴類はじめこの度の遠征に召集している将兵の殆どは自田の耕起が始まるでしょう。いつまでも兵役に縛り付けていては今年の秋の実りに影響致しまする。加えて、この遠征の為に揃えた兵糧が思いの外底をついておりまする。此処は一旦、この場にて軍を解散し、各陣頭の指揮の下にそれぞれ故郷へ帰しては如何でしょうか? このまま五千の軍をまとめて引き連れ一度石井営所を経るよりも兵糧を浪費せずに済みましょう」

「ここで各国ごとに兵を分けてそれぞれ帰路につかせるという事か?」

 成程、と将頼が頷く。

「特に今回集めた兵の多数はこの常陸国から召集したものが多うございます。各々方も既に任地を振り分けられているとはいえ未だ国衙や府内の様子を巡覧されておられぬ方も多いはず。かく言う自分も恥ずかしながらその一人。民が田植え仕事に慌ただしくなる前に一足早く任地へ赴き政務に手を付けておきたいと思っておりましてな」

「うむ。確かにそなたの申す通りじゃ。いつまでも玄経殿らに厄介を掛けておっても悪いしのう。皆よ、異存なければ明日にでも出立の支度をしたすぞ」

 と頷き笑う将門に、慌てふためいて地頭達が膝を立てる。

「いやいや、そんな急なお話はございませぬぞ、まだお見送りの宴も仕込んでおりませぬのに! お名残り惜しゅうございます!」

「いや、思い立ったが吉日じゃ。貴殿らの領地でも田植え支度があろう? 我らよりも領民共に田植え前の祝い酒を振舞ってやるがよい。それに、」

 皆を見渡しながら将門が続ける。

「我らは此の坂東八国を平定して未だ三か月足らずじゃ。焼けた人家は野に晒されたまま、寄る辺を失った民は今も凍え飢えておるだろう。一刻も早く各々の任地に赴き、備蓄米の整理と分配を施し、手の足りぬものには耕作を助けてやるのじゃ。加えて各国府内の城柵と武具の揃えを改めて検分し、何時いかなる時に討伐軍が攻め寄せようとも迎え撃てるよう常に連携を固めよ!」

 新皇の命令に、一同は声を揃えて応じた。


(※作者注:作品上、違和感のないように一月末の真冬の最中のように描写しておりますが、作中の月日は旧暦表記なので実際は現在で言うところの三月上旬頃、間もなく農家さんが耕運機で田んぼの田起こしを始める季節です。当時は鋤や鍬を牛や人力を用いて行っていたのでとても人手が掛かりました)



 同日、夜更け。


 遂高居室の火桶を車座に囲んで酒杯を酌み交わしているのは三人。しかし、今宵の面子は意外な人物が加わっていた。

「……しかし、こうして貴公と差しで呑み交わす夜が来ようとはのう」

 感慨深げに銚子を向ける遂高に杯を差し出す玄明が、

「まあ、普段酒は嗜む程度に留めておるが」

 と慎み深げに笑いながら口に運ぶ。

「正直に申せば、貴公が仲間に加わったばかりの頃など、そこの御前殿と差し向かいで飲み明かしながら、一体どんな素性の者が転がり込んだものじゃと随分勘繰り合うたものであったな」

「まったく、不動倉を破る程の大悪党など一体どれほど肝の太い奴じゃ、我ら皆寝首掻かれるのではないかとハラハラしたものじゃ」

「はは。某も貴公らの警戒の眼差しは日頃背中に突き刺さる程感じていたさ。切れ者で通った大目付殿にこうも警戒されてはと生きた心地がせなんだわ」

 と苦笑交じりに杯を返す。

「何はともあれ一段落か。支度の早い者らは既に明日出立の準備が整うておるそうな。玄明殿も明日には玄茂殿と共に常陸国府に向かわれるのであろう?」

 美那緒の問いにばつの悪そうな顔で玄明が頷く。既に三者には以前の猜疑の欠片も残ってはいない。

「私情を持ち出すようで恐縮だが、矢張り領民が心配でな。府下もあれほどの焼け野原になったのじゃ。荒廃の傷跡は未だ深かろう。一刻も早く復興の為に尽力したい。我らが始めた戦じゃ。我らの手で後始末を着けねばならぬ」

「ふん。殊勝な事じゃ」

 と胡坐をかいた美那緒が空の銚子を振るう。

「なんじゃ。もう皆飲み干してしもうたか。どれ、秋保は、……と。気の利く娘御がおらぬのは不便、……あ、いや、寂しいものじゃのう。ところで遂高殿は主殿と共に石井営所に直帰するのであろう? 娘御にも暫く逢うておられぬであろうし、悪い虫が付いていないと良いがのう」

 意地の悪い笑みを向けられた父親が聊かムッとしながら、

「あれももう良い年頃じゃ。そろそろ通うてくる男でも出てくれねばそちらの方が父親として心配じゃて。……ところで、これが最後の一本。回し飲みながら聞いてくれよ?」

「おお、隠しておったか。意地の悪い」

 喜んで杯を突き出す美那緒に溜息を吐くと、表情を改めて遂高が口を開く。

「また心配性奴と興世王殿のように笑うてくれるなよ? ……好立から聞いた話じゃが、先日の小勢り合いで討ち取った武将の中に石田の者ではない他国の武夫が加わっていたとのことじゃ」

 二人の杯の手が止まる。

「……あの関とかいういけ好かぬ女、たしか主だった従類を搔き集め旦那を都に逃がすのがせいぜいであったと申しておらなんだか?」

 端から疑わしい奴と毛嫌いしていたため、あの場の言い繕いが綻びたとて今更大して驚かぬ。

 しかし別の勢力の影がちらついたとなれば事は穏やかでは済まぬことになる。

「……そういえば、某も噂ばかりの事を小耳に挟んでおる」

 杯に目を落としたまま告げる玄明に二人が顔を向ける。

「吹雪らの報告によると、去る一月十一日付けを以て中央政府より我が主君の捕縛を命じる官符が東山道、東海道諸国に向けて下令されたそうじゃ。……それによると、坂東叛乱軍大将、並びに副将を討ち取った者は身分を問わず官位に加え永代の領地を与賜し、更に武功を立てた者らにも莫大な褒賞が与えられるものであるという。これに目が眩んだ一部の身の程知らず共が目の色変えて兵や武具の徴発を勧めているのだとか。これから農繁期と言うのに、民に負担を強いる馬鹿領主共が既に手柄を立てたつもりで舞い上がっているらしいぞ」

「ほう。……その手で来たか」

 遂高も美那緒も、この噂は初耳と見えて目を丸くして聞いていたが、やがてフンと鼻を鳴らした美那緒が胡坐を崩して頬肘をついた。

「馬鹿馬鹿しい。幾らその身の程知らず共が一人二人で舞いを見せたところで八千の軍勢に太刀打ちできるものかよ。神仏頼みの続きのようなもの、今度は路頭に生えた民草頼みじゃ。普段人から好かれぬ奴らがこんな時ばかり人に頼ろうとするとは浅ましいことよ!」

「しかし、安易に聞き捨てならぬ事じゃぞ。一匹二匹の羽虫の舞いも、もしそれを率いる秀でた者が現れれば忽ち咬竜のうねりに化けるやもしれぬ」

 不吉な懸念に遂高が苦い酒を飲み干したところで最後の銚子が空となった。

「……おや、丁度お開きとなったな。いずれ玄明殿も明日は早かろう。……皆、今宵はもう休まれよ。続きは一同が一仕事終えて石井営所に揃ってから、改めて祝宴を致そうぞ」

 そうして二人が部屋を退出していくのを見送った遂高が、ふと空を見上げると、雲間も分かたぬ分厚い晩冬の夜空が冷たく坂東平野を見下ろしているのであった。


 翌早朝、玄茂、玄明ら常陸勢と、興世王率いる上総勢が一足早く出立することとなった。後日日を改めて将頼ら弟達の軍勢その他各地の軍勢も引き揚げていくため、全員が顔を揃えるのはこの場が最後となる。


 将門はじめ後発の者達や地元地頭らの見送りを前に、五千余りの将兵は声を揃えて大地を震わす程の勝鬨を上げ、それを余韻に玄明、興世王達は将門の元を去っていった。



 ……そして、これが新皇将門軍最後の勝鬨の声となったのである。





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