第3章 再び貞盛追討 6



 翌日、那珂郡藤原営所。

 

遂高、経明両人に伴われ、件の婦女二人が将門はじめ、両側に居並ぶ新皇陣頭や主だった従類の前へ姿を現した。いずれもその出で立ちは国府官女の正装である。この衣服一式は将門の命により玄経ら地元在所の者らに仕立てを急がせた俄仕立ての物であるが、官服の仔細に通じるものが周囲に誰もおらぬが故、意匠装飾も何もあったものではなかったが、二人はそれをまるで自然なものに着こなし新皇へ拝謁の儀礼を示して見せる様子に生粋の貴人の物腰が垣間見える。

 昨日、二人の辱めの場に立ち入ったところ、思わずハッとされる射竦めるような眼差しを受けた際に矢張り相当な高級武官の妻女らであろうと察していた美那緒もまた、然りと無言で頷きながら席に列して二人の居住まいを見つめていた。

やがて、重そうに言葉を紡いだ将門の口から出た言葉は、なんとも意外なものであった。

「……やはり、貴殿とは以前何処かで必ずお目に掛っておられるはずじゃ。まさか斯様な処で再会を迎えることになろうとは」

「いえ、妾は今や新皇ともなられた尊い御方の御目に掛るのはこれが初めてと心得おりまするが。いずれにせよ、敵味方、主人の仇敵同士がこのような思いも寄らぬ場面でばったり出くわすなどまことまこと、奇遇な巡り合わせと妾も驚いておりまする」

 新皇の意味深げな問いに、二人の中でも年嵩と思しき貴婦人が、言葉とは裏腹に何処か旧知の親しさを感じるような物言いで口を開く。

その様子に、一座の者らの一部は意外そうな様子で一様に視線を交わし合った。何しろ昨日手籠めにされかけた女子らである。それが一夜明けたばかりで、尚且つ敵対勢力には荒ぶる虎の如く恐れられている将門を知古を相手にするかのように言葉を交わし合うとは、この女子ら一体何者か。

 しかし彼女らの素性を知る従類らは流石の肝の据わり様と頻りに互い頷き合っていたのである。

 その無言のざわめきにいたたまれなくなったわけでもあるまいが、将門は今一度低い唸りを漏らすとスッと黙礼を相手に返したのであった。

「ではお初に御目に掛る。――関御前殿。並びに、そちらは野本の一戦で見事な武勇を我らに示して見せた益荒男、源扶君の御細君であられるとか。……この度我が軍勢の規律至らぬ事ありて御二方に恥を与え占めたこと、深く陳謝いたす」

 謝罪の言葉の中で初めて名を呼ばれた関御前――即ち平貞盛妻女関は再び平伏する。

「勿体なき事。無論、武骨な男達の前で乱暴にこの身を裸に剥かれ、あわや下賤な兵卒共の狼藉を覚悟した時には、流石の妾ら二人抱き合うて身も世も非ず白粉を涙で濡らしたもの。この辱めは未だ胸を焼き心を締め付ける思いにございまする。されど、この苛政と戦禍に乱れた末法の世、国の内外を見渡せば婦女子の凌辱など、哀しきことなれど何処に耳を傾けても聞こえてくる悲劇。偶々それが我が身に降りかかったとして、誰のせいかと責められましょうや。ましてや、その乱れた治安を正そうと天に抗った新皇様を御怨みするなど、以ての外にございまする。昨日の些末事など、お気に留めなさいまするな」

その様子は慎ましやかなようでいて、その声は何処か嫣然とした不思議なものも含まれているように聞こえるのであった。

 続いて関御前は、陣頭として座に並んでいた興世王に穏やかな目を向ける。

「ときに上総介様。昨日はあわやという処を助けて頂き、有難う存じまする。昨日は御見苦しいところをお見せしてしまいました」

「ははっ! ……いや、しかし――」

 不意に水を向けられた興世王は大慌てで相手に額づいた。何しろ相手は主君の仇敵の女房とはいえ高望王の孫、将門ら桓武平氏宗家の三代目嫡男の細君であるから姓素性の格が違う。

「……残念ながら、御二人を手に掛けようとした不届き者二人は目を離した隙に取り逃がしてしもうた。この興世王、一生の不覚にござる」

 忸怩たる思いに歯軋りを漏らす興世王を慰めるように関御前が微笑を深める。

「良いのです、良いのです。先程も申し上げた通り、人を怨んで何になるのでしょう? 人は只その生前の行いにより己が報いを受けるもの。他者の応報を望むものではありませぬ」

 そうしてふと真顔を正面に向けた関御前が、まっすぐに将門の双眸を見つめて問う。

「それで、この後は妾らをどうなさいまするか? ……人質として捕え置きまするか?」

 そう尋ねられた将門は此処に来て初めて二人に笑顔を見せたのであった。

「……遠く枝を離れた花びらも、その行方の薫りを辿って懐かしみ、安否を思い胸を痛める者もおられよう。――御二人は明日にも支度し石田郷にお帰し致す」



 ――よそにても風の便りに吾ぞ問ふ枝離れたる花の宿りを


 将門の恩赦に、関御前は感極まったとばかりによよと泣き伏した。

「おお、有難う。有難う存じまする!」

「明日早朝には御二方が出立できるよう支度をせよ。……皆もそれで良いな?」

 列席する配下を見回す将門に異論を唱える者もおらず、関御前ら二人の貴婦人は頻りに額づいて礼を言った。

「このような雅やかな御召し物まで賜り……新皇様から受けた御恩、此処より遠き石田の郷で妾二人共に寄り添うて孤独を託つとも決して忘れは致しませぬ」

 

 ――よそにても花の匂ひの散り来れば我が身わびしとおもほえるかな


 風雅な一首を添えたお礼の一言であったが、それを遂高は聞き逃さなかった。

「ほう。石田で御二方を待つ御方はおられませなんだか? ……貞盛殿はともかく、弟君の繁盛殿や従類達は御当地におられませぬのか?」

 鋭い遂高の問いかけに、関御前も観念したかのように居住まいを正すと、「はい、仰る通りにございます」と顔を上げた。奇妙なことに、既にその顔には涙の痕も残っていない。

「……白状致しまする。夫貞盛は、新皇様が北三国攻略後の巡検の隙を突いて、その弟や従類、また主だった武夫達を率いて既に上洛しておりまする。新皇様の挙兵に呼応した民らの残党狩りを避けるため石田を離れ、我らは与えられた精鋭に護られ坂東各地を流転しながら陸奥守平維扶様の元へ身を寄せようと逃避の機会を伺っていたのでございまする」

 座の者達から白々とした溜息が漏れた。

「……ああ、やっぱり思った通りじゃ。もう坂東には居らなんだ」と諦め混じりに呟く経明を「これ!」と将頼が小声で窘める。

「まあ、あながち徒労ではあるまい。これで最後の懸念も払拭されたのじゃ。後はこちらの貴婦人らを無事に石田まで送り届けて差し上げるのが第一の務めじゃ。な?」

 そもそも将門一行を呼び出したのが自分達であることに気が咎めたらしい玄経が無理に明るく声を放って見せる中、将門は改めて関御前を見つめ返し礼を言った。

「よくぞ申し伝えてくださった。貴殿の進言、この将門心より感謝申し上げまするぞ!」

 冠を下げる新皇の様子に、「勿体なき事」と関御前は再び艶然と笑みを返すのであった。

 そんな一連の諮問が取り交わされる中、終始自身に向けられるもう一人の女の視線があったが、美那緒はずっと素知らぬ振りを決め込んでいたのであった。



 同日夜。

 自身にあてがわれた営所の離れの一室にて、もう日付も変わるというのに美那緒はまんじりともせず火桶に当たっていた。

 思い出すのは昼間の遣り取りである。

(……どうもあの関とかいう女房、信用できぬ!)

 昨日まで、これみよがしに屈辱と憤怒に般若の相を浮かべていた当の本人が、今日は菩薩の微笑を浮かべて誰彼の行いを責めてはいかぬなどとは。

 一度同じ目に遭ったことのある美那緒だから猶の事思うところがあるが、男達に力ずくで犯されそうになった恐怖と屈辱は到底あのように一昼夜で忘れられるものではない。況してや、近頃ではよく聞く話だから仕方がないなどとは同じ女として断じて許せぬ物言いである。

(それにあの関とかいう女、矢鱈と主様に薄気味悪い色目を使いおってからに!)

 これは半分美那緒のやっかみもあろうが、半分は女の感もあるだろう。ああいう手合いの女性は、男の前にしゃしゃくり出て口を開いた日には舌の数が頬に収まり切らぬ程生えてくる。とは彼女の所感である。

 こういう時、酒を汲みながら愚痴を零すついでに相談役にうってつけなのが遂高なのだが、生憎件の二人の出立の準備で今日は暇がないという。しかし、あの目敏い遂高すら艶気にほだされ関御前の話を鵜呑みにするとは、これだから男という生き物は愚かなのだ。

(そもそも、昨日の出来事にしても、何か出来過ぎていはしまいか? あの直情型の興世王のことじゃ。裸の女人二人が兵士に囲まれていたのを見たら怒りに逆上するのも無理はあるまい。一体あの二人がこの地に潜んでおった目的は何じゃ? 謂いの通り陸奥へ逃げるとしたら、わざわざこちらが大軍を寄こしてくる程の噂が何処から誰の口づてに流れたのじゃ? ……そして何故今まで此の地に右往左往と留まっていた?)

 ぐるぐると、疑い出せばきりがない。パチリパチリと音を上げる火桶を掻き回しながら考えあぐねていた美那緒の手が止まる。

「――誰か?」

 

 簾の向こうに声を掛けると、気配を殺していた女の影が衝立の横に滑り込んで来た。

「……起きておられましたか」

 その声に微かな殺気を感じた美那緒がそっと手元の火箸を握り直す。

 ゆっくりと燭台の影に身を移した美那緒の前に、額づいた女の姿が浮かび上がった。

「貴殿は、……確か昼間、関殿と共に諮問を受けておられた御方か?」

「泉と申しまする。御前殿。昨日は窮地を救って頂き改めて御礼申し上げまする」

「その話は既に済んだことでしょう。この夜更けにわざわざ出向いて来らとは、何か別の用向きがあってのことではなくて?」

「はい。……ではお尋ねいたしまする。我が主人、源扶のことは御存じでしょう?」

 す、と泉と名乗る女人が顔を上げる。切れ長の目に燭台の炎がキラキラと揺らめき、その真情は伺い知れない。

(源扶。……ああ、あの男か!)

 辛うじて記憶に残っている名であった。野本の戦で美那緒ら一党を大枚払って傭兵として迎えた雇い主であったか。思えば、あの戦が将門と直接刃を交えた最初の戦いであった。

「無論存じております。ですが御顔を拝見したのはほんの僅かばかりでしたが」

なにしろ出陣前に本陣で一度顔を合わせただけである。正直顔も碌に思い出せないが、あの合戦は最後まで成り行きを見届けていた。彼ら兄弟がどんな最期を遂げたかもこの目で目の当たりにしている。

しかし、たかがそれだけの関係のはず。この女の宿す殺気の理由が知れない。

「ほんの僅かばかりと仰られまするか?」

 泉が微かに眉を寄せる。

「はい。妾は我が主人と侍女の傍らに居りました故。只、扶様が我が陣へ斬り込んでいかれる最期の御勇ましい御姿を目の当たりにしたばかりでございまする」

「直接お顔を合わせたことは一度もないと仰られるか?」

 実際は陣中で覆面を被ったまま相対しているが、この場合男女の関りの有無を暗に匂わせる問いかけである。受け取り様によっては聊か不躾な質問と取られかねぬが、美那緒はさして気にした素振りもなく首を振って一蹴した。

「まさか、そのような大それたこと。なれど、御主人の天晴な勇猛振りは妾の目にも未だにしっかりと焼き付いておりまする。きっと、先に討たれた弟君ら、そして細君である泉殿への想いを来世一蓮のものと背負って決死の刃を振るわれた事でしょう。……立派な御主人じゃ」

 彼女の言葉に偽りはなかった。

 静かに答える美那緒の様子に泉の眉間の皴がますます深められる。

 それと共に、彼女の気配から殺気が消えていった。

「……どうして」

 居住まいを正したまま、ぶるぶると肩を震わせる泉の様子に今度は美那緒が眉を寄せる番であった。

「どうなされたのじゃ? ……御気分でも優れぬのか?」

 歩み寄ろうとした美那緒の前で遂に泉がボロボロと双眸から滂沱の涙を流すのを見るに及び、思わず美那緒は握り直していた火箸を取り落とし、彼女の肩を抱いた。

「どうしてあの人を……!」

「ちょ、ちょっと! 一体どうなされたのです⁉」

 驚いて彼女の肩を抱く美那緒の胸に顔を埋めながら、泉は声を殺して泣いた。


「どうしてあの人を信じてあげられなかったのだろう――!」


 全ての大乱の発端であり、将門と僦馬の党が初めて邂逅した野本の合戦。

 それが源扶とその妻泉らが、将門の伯父良兼の策略によって夫婦を引き裂かれたことに端を発した悲劇的な戦いであったことは、今の美那緒は露も知らぬことであった。

 


 ――花散りし我が身も成らず吹く風は心もあはきものにざりける


 一頻り美那緒の胸を涙で濡らした泉は、明け方近くに右の一首を残し彼女の部屋を去っていった。



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