第3章 再び貞盛追討 5



 敵勢が陣取るより以前に住民達は逃げ去ってしまったのだろう。

 うら寂しき村落に戦の後の気配も寒々しく病葉に埋もれる家辻を、二人の兵士が顔を恐怖に引きつらせながら、季節外れの蟋蟀の如くけつまろびつ逃げ惑っている。しかし、相手の弩の付く激怒振りを前に腰砕けになったと見えて無様に後退るばかりであった。

「ひいぃっ! 介様、何卒お許しを!」

 とうとう痩せた雑木を背に尻餅をついた二人が涙ながらに助命を乞うたが、怒髪天を突かんばかりに憤怒を浮かべた鬼武将の形相は本物の鬼でさえも顔色青くしてたじろぐ程である。

「がははっ! 許せじゃと⁉ 往生際に笑わせてくれるわ! なれば貴様等が身共の金棒を脳天に食わぬで済む理由を何か申し開いて見せよ、この新皇軍の面汚し共奴!」

 吠え猛る興世王が唸りを込めて横一閃に振るった金棒は二人が背を預けていた雑木をものの見事に吹き飛ばし、その旋風の煽りを食った二人は口から泡を吹き股間から湯気を立てながら揃って失神した。

 怒り心頭に発したままの彼の元に、ぞろぞろと味方の蹄の群れが駆け付けた。

「興世王殿、これは一体何事じゃ⁉ そ奴ら貴殿の配下の兵らではないか!」

 押っ取り刀で駆け付けた将門一行が、金棒片手にした興世王が熟柿に青筋がびっしり浮いたような形相で振り向くのを見て「うっ……⁉」と思わず足を止めた。

(……これは、足立郡の争乱調停の折に、介経基の早計によって和睦に水を差された時と同じご様子ではないか。今度は一体何が起こったか⁉)

 一見すると人の好さそうな父っちゃん坊や然としている興世王が、実はとんでもない雷親父であったという記憶が印象強く残っている好立は、当時の件を思い出し不安を過らせる。

 それも、きっと不届きを働いたのであろう部下の頭を今にも叩き割りかねぬほどの怒り様ともなれば、余程の不祥事を目撃したに違いない。

「主様!」

 そこへ、味方同士の乱戦も一段落したと見える美那緒達一行も馳せ加わる。

「各々方、これは全体、何の騒ぎにござるか?」

 只ならぬ様子に不穏な慄きを堪えながら遂高が尋ねると、火焔のような熱い溜息を吐き出しながら興世王が顔を歪め口を開く。

「この不届き者ら奴、捕らえた敵勢の婦女子らを納屋に押し込んで慰みものにしようとしておった!」

 その言葉に将門はじめ随行の将兵らが一様に言葉を失った。

「済んでのところで身共が割って入ったから大事には至らぬで済んだが、嬲りものにされんとした女人らは見るも哀れな有様じゃ。……相済まぬが御前殿、女性にょしょうである貴方様がまず先に中を改めてもらえぬか。我ら男子おのこがぞろぞろと踏み込んで、あの女人らに更に辱めを加えることになっては忍びない」

皆痛まし気に顔を伏せる中、美那緒もまた頷き答える。

「……承り申した。様子を伺ってまいりまする」

 白い息を吐きながら馬を降り、辻向こうに歩みを向ける彼女の背中に、憤懣やるかたないと言った様子で皆の前で語気を荒げる興世王の怒声が聞こえてくる。

「各々方よ、確か、我が大君は我ら将兵に遍くこう仰せられたはずじゃ。皆も覚えておられよう。

 ――曰く、女人の流浪は本属に返すは、法式の例なり。又、鰥寡のやもめ孤独のひとりひとに優恤を加ふるは、古帝の恒範なり――とな。どうやら新皇陛下の勅よりも己の欲得の方が有難いという不届きな輩が今も尚我が将兵の中に少なからず居るようじゃぞ。そこで引っ繰り返っておる二人の他は、皆逃げてしもうたがな」

 唾棄するような興世王の非難に皆が唇を噛む。此の度の常陸遠征は、いわば新生坂東軍の華々しき初陣を飾るものであったはずである。無論、新たに八国へ遍くもたらされるべき秩序を示すと同時に、その要たる新皇軍の鉄の規律を内外に誇示される意味もまた必然的に伴う。にも拘わらず緒戦から味方同士の首争いなど見苦しき事甚だしい所業を久慈・那珂藤氏はじめ当地の住民の目に晒した上、あまつさえ予め下令されていた新皇勅すら末兵らに軽んじられてしまうとは。

「何、戦など何処でもそのようなものじゃ。まさか貴殿ら配下の兵卒全てが敵憎たらしさ故に刃を握って軍門に加わっているとは思うておられぬだろう? 農閑期に戦は良い稼ぎ口じゃて」

 と玄経が慰めとも何ともつかぬ様子で肩を竦める。

「寧ろ路銀の元手を取ろうという五千の友軍に片っ端から火を掛けられずに済んで拙者大いに安堵致したところじゃ。あまり気に病まれぬがよろしい」

 


 まるでそれが目印のように赤く熟れ残った柿の実を垂らした裸木が、件の納屋の傍でギイギイと軋みを上げている。

納屋の引戸が半ば開け放たれたままになっているのは内部の異変に気付いた興世王が顔色変えて踏み込んだのに仰天した狼藉者達が泡喰って飛び出していったままであるからだろう。

 引き戸に手を掛けるまでもなく踏み込んだ美那緒が目の当たりにしたのは、無残なことに皆が想像していた通りの光景であった。暗がりの奥に二人の女人が、裸身を寄せ合いながら忍び泣きを堪え震えている気配が伝わる。

ふと顔を上げた女人の一人が、冷たい憎悪も露わな眼差しで戸口に立つ敵の女武将の姿を睨めつける。

「……殺すがよい」

 発せられた声は意外にも女官言葉、教養の伺えるしっかりとしたものであったが、その声音は拭い難い屈辱の為か震えて響く。

「貴殿も女人なら、妾らが受けた恥辱が如何なものか判ろう。……最早この穢れた姿で主人や子らに逢う事は出来ぬ。……なれば慈悲と思うて貴殿のその鉾で一思いに刺し殺すがよい……っ!」

 懇願を帯びた敵女官の嗚咽を耳にしているうちに、美那緒の胸底に突如或る光景が重く迫り蘇る。


 ――ぎゃああ! 嫌じゃ、嫌じゃああーっ! 


 仰向けに組み敷かれ泣き叫ぶ自分の身体を幾本もの毛むくじゃらの不潔な野盗共の腕が弄び、乱暴に露わにされた乳房を嬲られ今まさに純潔を踏み躙られんとした刹那の恐怖と屈辱。

 そもそも彼女は泣く子も黙る黒僦馬の頭目である。配下の男達が略奪稼業のついでの役得に何をしているかも知らぬふりを決め込んでいたし、己も娘子の身なればいつか仕事でしくじれば手籠めの辱めを受けることもあるにせよ、それは殺されるよりましなこと、と高を括っていた。

 しかし、今も尚あの敗走の夜に我が身に受けた凌辱の記憶は忘れることは出来ぬ。

 何よりも、今の彼女は新皇平将門の妻女であり、新皇軍幕僚の末席に身を置く身である。

 美那緒は鉾を下げるとその場に膝をつき深々と低頭した。

「旧国府の貴き官女の方々とお見受けいたしまする。某、新皇将門妻女美那緒。……此度の不始末、我が軍門に連なる末卒共が貴殿らに取り返しのつかぬ無体な振る舞いに及んだこと、我らが軍規不徹底が招いたものにございますれば、我が君に代わり、深くお詫び申し上げまする!」

 首を垂れ詫び口上を述べる美那緒の言葉に、暗がりから身動ぎする気配があった。

「……待て、そなた今何と申したか?」

 今まで恨み言を口にしていたのとは別の者が、同じく裸身を晒したまま顔を上げ、こちらに向かって獣のように鋭い目を光らせる。


「――そなた、今、美那緒と名乗うたか?」



 ――新皇、此の事を聴きて女人の媿を匿さむが為に、勅命を下すと雖も、勅命以前に夫兵等の為に悉く虜領せられたり。


 久慈・那珂郡にて貞盛残党捜索中、将門勅命を無視した新皇軍兵士らによる女性達への凌辱事件は、『将門記』においても当時の戦禍における悲劇の象徴として描かれている。



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