第3章 再び貞盛追討 4


 東側に疾駆する敵の一群を追う将門らに気づいた一騎の敵将が、俄かに馬の首を返し鉾を扱いて名乗りを上げた。

「やい、奸賊文室好立はそこに居ろう! 千曲川で貴様に討たれた我が主、他田真樹の無念ここで晴らさせてもらうぞよ。出会えィっ‼」

 相手の勇ましい戦名乗りに馬を止めた一行の先頭で、ちらりと将門が好立に目を遣る。

「おい、御指名じゃぞ?」

 実に愉快そうな眼差しである。好立もまた久方振りに挑み甲斐ある相手に武夫の歓喜を覚えながら頷く。

「判っておりまする。買った恨みは晴らさでも、売られた喧嘩は買うまででござる!」

 愛馬に一声嘶かせながら前に進み出た好立も長鉾を振り上げ名乗りに応じた。

「新皇将門一の郎党、文室好立此処にあり! 石田侍よ、喜んで相手仕るぞっ‼」


 一方、西側に別れた敵勢を追っていた美那緒達も徐々に相手との距離を詰めつつあった。時折こちらに向けて馬上から矢を放ってくるが、騎馬の分当たりが大きいとはいえ的も動いているとなると、これまた射止めるには至難の業である。

(矢張り妙じゃ。敵の編成もさることながら、我らから本気で逃れようとするならわざわざこんな正面から打って掛かるような真似をせずともよいはず。それに二手に分かれた距離の稼ぎ方もどうも引っ掛かる。一体何が目的か?)

 美那緒の後ろに続きながら遂高は敵の不可解な挙動に再び首を傾げていたところであったが、不意にしんがりの敵武将が舌打ち交じりに振り返った。

「ちィっ! あま、猪口才な‼」

 業を煮やした敵勢のうち、鉾を手にした数騎が逃走を止め迎撃の態勢を取り、先頭の美那緒に一斉に斬り掛かった。此の女武将侮りがたしと決めてかかった様子から、もしや嘗て戦場で彼女と鉾を交えたことがある者達かもしれぬ。

 遂高が慌てて美那緒に向かって叫んだ。

「おい、殺すなよ! 生かして捕らえよとの仰せじゃ!」

 しかし時既に遅く、相手が一斉に振りかぶった時には正面右の騎馬の首は斬り飛ばされ、後左の武将達は石突に打ち据えられ、怯んだところを返しの刃で斬り倒されていたのであった。

「ああ、しまった! 皆殺してしもうたわ」

 やらかした、とばかりに額を叩く美那緒に配下の将兵達はその鉾捌きの鮮やかさに言葉を失い、遂高は呆れたように頭を抱えた。

「おまえなあ。……まあ、黒僦馬の頭目或いは長鉾夜叉姫の面目躍如というたところか。誰も本物と見分けがつかぬわけじゃ」

 判らぬことを独り言ちる遂高の前をサッと庇うように腹心の従類が目を光らせながら声を上げた。

「殿、御油断召されるなよ。弓手の敵が射掛けてきますぞ!」

 その警告に頷くと遂高と美那緒も身構えながら部下に指示を下そうとするが、突如横合いからドッと沸き上がった鬨の声に思わず言葉を飲み込んだ。

 仰天した敵の前に鉾を振りかぶった無数の軍勢が姿を現したのである。

「こ奴らは――友軍じゃ! 一里以上離れておったはずの別動隊が、戦の気配を嗅ぎつけて押し掛けてきおったか!」

 遂高が目を剥いて叫んだ。

 少し離れて矢を番えていた敵勢は不意を突かれ、忽ちの内に数百の新皇勢に飲み込まれ、最早悲鳴とも断末魔ともつかぬ声が雑兵のごった返す中に飲み込まれていき、やがて聞こえてきたのは味方同士で罵り合い、刃を打ち鳴らし合う喧騒ばかりである。

「やれやれ、懸念の通りじゃ。たった数騎の首を百有余の兵共で奪い合うておる」

 遂高の呟きも虚しく掻き消さんばかりの狂騒を、美那緒とその配下達は只呆然と眺めているばかりであった。



 幾度も火花を散らし合った後、遂に軍配上がった好立の足元に満身創痍の石田武将が膝を屈した。

「投降せよ。悪いようにはせぬ。貴公ほどの達者であれば我が主も喜んで一門に迎え入れてくださるであろう」

 馬上から降伏を呼びかける好立に敵武将は血反吐の呻きを漏らしながらかぶりを振る。

「天下の大奸、それも我が主の仇敵に仕えよとか? 笑わせてくれるよな。国賊共奴!」

 ペッと血の唾を吐き捨てながら嘲笑う。

「いやしくも下野国府の皇軍武夫たる某が、まさか敵将に俘虜の辱めを推されようとはな。……貴様が如き不埒者の刃に掛かったこと、我が生涯の不覚となったわ!」

「……っ⁉ おい!」

 ハッとした好立が止める間もなく、いつの間にか仕込んでいたらしき鉄爪を自らの喉笛に突き立てた敵将は血飛沫上げながら崩れ落ち、霜に凍えた白亜の土を紅く染めて果てた。

「下野国府だと……? さっき石田の侍と名乗っておらなんだか?」

 思いも寄らぬ言葉を断末魔の中に聞き取った好立が当惑の呟きを零していると、東の方より何やら騒々しい気配が聞こえてきたのである。



「チィっ!」

 手綱を引き馬を止め強い舌打ちを放った将門の十数間先にて、こちらも突如出現した新皇軍別動隊に取り囲まれ忽ちのうちに血祭りに挙げられていた。

 久々に手応えある者らと遣り合えるものと張り切っていたところに水を差され、不愉快を露わに牙を剥く兄の元に将頼が追いついた。

「や、これは興世王殿の率いていた者らではないか。確か数町先に配置していたはずだが?」

 恐らく褒美の匂いを嗅ぎつけて無断で本隊を離れた連中であろう。

「この分では反対側に逃れた敵勢も同じ有様であろうな。虚け者共奴、兄上から生かして捕らえよという命のあったものを。お蔭で折角の貞盛の手掛かりが、遥々此の郡まで軍を進めたものが無駄骨になってしもうた!」

 将頼もまた歯軋りしながら自棄のように鉾をブンと一振り鳴らす。そこへ敵将首を馬に括り付けた経明と好立が面目なさげに現れた。

「相済みませぬ。敵の自害を許してしもうた」

「仕方あるまい。うかうかと手加減など出来ぬ強兵達であったもの。とはいえ、これ以上捜索の為の長逗留はもうできぬ。奈河、久慈の者達には悪いが、明日にも石井営所に引き返さねばならぬだろう」

 申し訳なさそうに視線を向ける将門の様子に、やんぬるかなと玄経もまた肩を竦めて帰す。

「寧ろ潔き引き際にございまする。拙者改めて感服仕ったところじゃ。些か騒々しい幕引きであったが、お蔭で目障りな国府の残党共を一掃することが出来ただけで十全じゃ。今宵送りの宴にて改めて御礼申し上げまするぞ!」

 そこへ、血相変えた様子で一人の兵士が駆け込んで来た。

「何事じゃ⁉」

 只ならぬ様子に一同が向ける視線の先で、白い息を整えながら年若の兵卒が苦しそうに口を開く。

「申し上げまする! 興世王様がっ――!」

 戦功の奪い合いに興じていた者達もその名を聞いて思わず諍いの拳を止める。何せ彼の人率いる陣を勝手に抜け出し首泥棒を働いている輩共であるから。

「と、とにかく偉い剣幕で手が付けられませぬ! なにとぞ、何卒お助けくださいませっ!」

 言葉にするのももどかしく兵が指さす先は、つい今しがた敵の騎馬隊が飛び出してきた竹林の中の集落であった。



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