第3章 再び貞盛追討 3
十日後。吉田郡蒜間の江付近。
坂東平野の空っ風から逃れようと、吹けば飛ぶような藁小屋が竹林の中で身を寄せ合うように集まった小さな集落である。
その南側を、将門率いる新皇軍と、先導を務める玄経ら久慈勢の騎馬がずらりと取り囲んでいた。
「元居た住民らは皆逃げてしもうてな。今あそこに居るのは例の三十足らずの武士と、従者や女人と思しき幾人かのみじゃ」
「成程」
玄経の指し示す先を、遠目の利く経明が目を凝らして見つめてみる。
人の姿はないが、微かに馬の潜む気配が窺えた。
所在を抑えているのも関わらず此処に至るまで十日の日数を費やしたのには無論それなりの理由があった。
まずは遂高らの懸念の通り、万が一これが何らかの策略であり、近辺に伏兵を忍ばせている可能性が捨てきれぬからである。その為、五千の兵力を辺り近辺に散開させ虱潰しに捜索させていたことがある。しかし、この散兵にしてもまた別の理由があった。
それは兵達の首の取り合いを恐れての事である。実はこれが一番の懸念事でもあった。
出立の前に将門の勅命が下された通り、この度の出征では乱捕を厳しく禁じている。その為、戦功を挙げ恩賞を得る他に戦の元手を得る真っ当な手段はないこととなるが、敵勢が三十足らずとなるとその機会も非常に少ない。つまり三十足らずの敵首級を五千余りの将兵が奪い合う結果となろう。そうなれば、立ち上がってまだ日の浅い新皇軍の間で、敵の首を巡った味方同士の諍いが発生する可能性が極めて高いと考えたのである。そのような醜態を統一したばかりの新地で晒す事態は避けなければならぬ。
そういった思惑もあり、今将門達の直下に付いている将兵はざっと三百程度といったところであった。
「さて、どうなさるか? 数を散らしたとはいえほぼ十対一。蹴散らすには十分じゃ。楽勝事じゃて、このまま一気に捻り潰されまするか?」
鉾を肩にほくそ笑む玄経であったが、「いや」と将門は首を振った。
「貞盛殿には色々因縁があってな。出来れば生け捕ってその消息を問いたい。降伏を勧告しよう」
「ほう?」
意外な答えに玄経が片眉を上げてみせる。
「経明よ、鏑矢を放て!」
「はっ!」
主の命を受けた軍団一の弓の名手がサッと上空に向けて高らかに矢を放つ。
「好立よ、使者に立て!」
「ははっ!」
続いて命を受けた文室好立が馬の手綱を握り直した、まさにその時であった。
「――っ⁉」
ひゅうっ! と耳元を鋭い風が鎌鳴りに薙いだかという刹那の後に「うげぇっ!」という悲鳴を上げて後方の武将が喉仏に矢を生やして馬から崩れ落ちた。
その瞬く間にもひゅん、ひゅん、と次々と竹林の影から矢笛が鳴り響き、次の一拍には兵が倒れ、或いは武将が鞍から転げ落ちる。
「諸共、伏せよ! 盾を前へ!」
咄嗟に将門が声を張り上げて命じるが、その声からは隠しきれぬ驚愕と感嘆の色が滲み出る。
「まさか、此処から射手の姿も見えぬぞ。なんという弓の腕前よ!」
思わず総大将の口から敵への称賛の呟きが零れたのを聞きつけて、黙っておられぬと身を乗り出したのが経明である。
「やいやい、この坂東八国に俺と弓の手並みで張り合おうとは笑わせる! 可愛い配下を八人も射殺しおって。……言うておるうちにもう二人か! もう口上は無用。これでも食らえ!」
言うが早いか目にも留まらぬ鮮やかな矢捌きで敵影も見えぬ竹の茂みへ唸りを帯びた一射を放つ。
確かに聞こえた手応えに経明は会心の握り拳を振り上げ、その様子に将門将兵も沸いたが、直後藪の中から猪突の勢いで続々と騎馬が飛びだしてくるのを見て皆が目を剥いた。
「備えよ! ――あれは決死隊じゃっ!」
己の十倍を優に超える相手を前に捨て身を晒す敵の挙動に察した遂高が顔色を変えて叫ぶ。
その間にも続々と踊り出す敵の騎馬、ざっと二十数騎は左右横一列に判れ猛進しながら矢継ぎ早にこちらに矢を射かけてくる。
ぴっ! と矢羽根の鎌鼬が頬を掠め、生暖かいものが滲むのを感じた経明の顔色はつい今までと打って変わり蒼白に近いものであった。
現代の流鏑馬をご覧いただければ想像に易いと思われるが、馬を駆けながら矢を射るとは余程の至近距離の用法なのである。十数間も先の距離の標的を正確に狙うのは馬を止めていても至難であるところを、疾走しながらこなしてみせるなど、経明にすら為せぬ妙技。相手は精鋭中の精鋭揃いと見た。
「……あれほどの弓上手達を棄て駒同然に繰り出すなど、一体彼奴等の頭目は何を考えておるのか……っ⁉」
自尊心を打ち砕かれた経明であったが、同時に別の疑問も口をついて出て、わなわなと肩を震わせる。
「経明殿っ、しっかりせい! 的になっておるぞ!」
呆然と立ち竦む友軍武将に慌てて駆け寄った将頼が屹と玄経を振り返って睨みつける。
「おいお前、敵は三十と言ったな? 生え抜きの騎兵が二十以上も見えるがどういうことか⁉」
本来であれば騎馬は単騎のみで行動することはない。一騎を取り囲んで複数人の徒兵が随行し、場合によっては馬の口取役が予備の馬を引き連れるのが普通である。徒を含めて三十と聞けば、せいぜい騎馬は四から五騎と見込んでいたのが予想に反してぞろぞろと現れては流石に顔色を変えるのも無理はない。
怒りの籠った視線の先で玄経も予想外の事態に気色ばんで答えた。
「確かに三十と報告は受けたが内訳までは判らぬぞ。どうせ追い詰められた駒鼠じゃ。自棄になって何を被って出てくるかなど知れたものではないわ!」
そう吐き捨てた後で将門を振り仰ぐ。
「で、どうしかけるか新皇様よ? このまままごついていては四方八方に逃げ散られてしまうぞ!」
問われた将門は既に従卒から鉾を受け取り手綱に手を掛け臨戦態勢を整えていた。
「無論、叩き潰す!」
しかしその顔色は、久々に手強き相手を目の当たりにしてか何処か気色を帯びてさえいる。
「だが出来得る限り生かして捕らえよ。いいか殺すなよ! ――俺に続け‼」
「おい――」
応おおおおおっ! と鬨の声も高らかに直下の兵士らが得物を振り上げると、将門を先頭に一斉に打って出た。
当初こそ想定外の敵の動きに及び腰になっていた伴類将兵達も、新皇自ら正面切って斬り込む姿に鼓舞されたか、或いは手柄を立てるまたとない機会を逃すものかと奮い立ったか、雄叫び上げながら後に続く。
「……なんと、まあ。総大将が矢面に立って仕掛けるとは」
その背中を見送りながら呆れたように呟いた。しかし最前までの人を食ったような薄ら笑いは消え、やがて心底愉快でたまらぬという風で声を立てて笑う。
「さて、我らも後れを取ってはならぬぞ! 続けェっ!」
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