第3章 再び貞盛追討 2


 郡の境付近で新皇軍の行列を見つけた出迎えの者達十余騎は、余りに長蛇の行軍に目を瞠り、先頭より近づいてくる将門らを前にしても暫し下馬を忘れるほどであった。しかし、先に馬を降りようとする将門の気色に顔表情を引き締め鐙を鳴らして片膝をつく。

「貴公らが久慈・那珂両郡の一行か?」

「ははっ!」

 彼らの返答に続いて玄明が頷いて口を開いた。

「左様。当地に根を張る我が一族の地頭らでござる」

「ほう。名主質各位自ら出迎えとは足労を掛けたな。大義であった」

「勿体なき事にございまする。斯様な処まで遠路御足を運び遊ばされたこと、この地に住まう者として身に余る誉というものでございまする!」

 涼し気に笑いかける将門の前で畏まる地頭達であったが、

「――然り。我が義兄弟たる玄明を陥れくさった小憎らしい貞盛ら国府の残党共を、これほどの大軍を以って討ち果たしてくださるというのであるから、誠に頼もしい限り。今宵は心を尽くして饗応させて頂きますぞ!」

 と、その中の一人が不意にふてぶてしい程の不敵な笑いを浮かべながら顔を上げた。その様子に将門の眉が微かに蠢く。

「……玄明よ、そなたの一族ということは、この者らは?」

「は。百足の者らにございまする」

「百足か。先日そなたから正体を聞いた時は、そのような古の民が未だ命脈を繋いでいることに驚いたものだが……」

 そう呟いた将門は改めて使者の者達を見回してみる。

 そこへ、将頼はじめ将門の弟ら、腹心の遂高、経明、興世王。――そして美那緒が駆け付けた。

 いずれも新任の各国国司、或いは新皇の右腕として名の知れ渡っている者達が目の前に集うのを見て、地頭らは更に顔色を強張らせたものであるが、一人何やら不遜な様子の例の男はおもむろに立ち上がると「いやはや、それにしても」と手を翳して軍列を眺めやりこれ見よがしに嘆息する。

「まったく、凄い大軍じゃ。……しかしながら、新皇様よ。折角これほどの軍勢連れてお越しくださっても、遺憾ながら此度の御出陣、牛刀で鶏一羽裂くが如き詰まらぬ結果になるかもしれませぬぞ?」

 何やら含みのある物言いに将門はじめ皆が揃って眉を顰める。

「玄経殿!」

 と地頭の一人が諫めるように声を上げる。

「それはどういうことじゃ?」

 遂高が不審そうに問いかけるが、

「まあ、いずれ今宵の宴の場にて仔細を申し上げよう。……これより我が郡まで先導仕る!」

 と、問いの答えを口に含んだままに飄々と笑うのであった。



 同日、夜半。


 ――時に、奈河、久慈一両郡の藤氏等、堺に相迎へ、美を罄して大饗す。


 出迎えの国境に程近い邸宅にて地元郷士らより持て成しを受けた将門一行であったが、宴も頃合時と見た玄経が「……さて!」と手を打つと、一同、待ちかねていたかのように揃って杯を置き顔を向けた。酌に立ち回っていた女達もそれを察して静かに退出していく。

 思いを巡らせてみれば、平貞盛とは長い因縁であった。しかし、その消息は彼が陸奥との境界を越える手前で捕らえ損ねて以来、遂に途絶えたままであったのである。

「我が常陸国に旧国府残党俄かに勢い起ちたり、とは先に遣いの馬を走らせた通りにござる。だが新皇様よ、御君が本日御到着あそばされるまでの間に我が百足一党の探索したところによると、残党首魁は貞盛のみに非ず。則ち、弟の繁盛、それに加えて何と旧国府の若殿様、藤原為憲じゃ」

「っ! 何じゃと⁉」

 玄経の口からさらりと並べ立てられた錚々たる名を耳にし将門はじめ新皇軍幕僚達は皆色めき立って声を上げた。

 その話が真であれば、亡き良兼をはじめとした伯父一派を除く坂東における反将門勢力の主たる頭目がこの地に一同に期したこととなる。

 新皇軍勢五千と旧常陸・下野国府連合軍が正面からぶつかり合うとなれば主戦場となる奈河・久慈郡が戦火に焼き尽くされるのは必定、周辺諸国への戦禍の被害も計り知れぬ。何よりも、大軍を抱えている分兵粮に限りのある将門達には非常に不利な戦いとなるであろう。

「それで、敵勢力は一体如何ほどと見積もるか?」

 この遂高の問いに新皇側の将らが固唾を飲む中、何故か奈河・久慈の地頭達はバツの悪そうな顔色で口籠る。

 そんな両者の様子にフンと鼻を鳴らしながら玄経が口を開いた。


「聞いて驚くなよ。――なんとたった三十じゃ。どうだ驚いたか?」


「……はあっ⁉」

 と暫し間を空けて素っ頓狂な声を上げたのはまさかの玄明である。

 普段なかなか見られぬ堅物の反応に驚いたものの、将門側は皆同じようにあんぐりと口を開け、一様に己の耳を疑った。

「念のために今一度申すぞ。三十騎ではない。徒を合わせても精々が三十じゃ。則ち、この残党共の中に今挙げた三人はおるまい。きっと大軍が迫るのを見て既に何処か他所に逃げたのでござろう。御足労をお掛けしたのう」

「玄経殿!」

 と再び地頭の一人が諫言の声を上げ、済まなさそうに将門に平伏した。

「お許しくだされ。何分、彼奴等は常に宿地を変え、陣を分けては合集を繰り返し、浮雲の如く一処に留まりませぬが故に、なかなか全容が掴めませなんだ。この玄経が推察の通り、恐らく件の小勢には貞盛奴はおらぬ事でしょう」

「……まあ、そのようなこともあり得るであろうとは考えぬでもなかった」

 と、あわや大合戦かと思わず肩肘を強張らせていた将門も流石に頭を抑えて息を吐いた。

「な。先に言うておった通りじゃ。折角の御出陣誠に忝いが、この大軍、まさに『割雞焉用牛刀』とならぬと良いが、とな」

 と玄経が肩を竦めてみせるのを、何とも言えない白け切った様子で一同が無言で見やる。

 しかし、その乾いた空気を笑い飛ばすように呵々と興世王が声を上げた。

「何、聖人曰く『前言戲之耳』、そもそもその故事は孔子様が弟子を試さんが為に問うた戯言とのことではないか。此度の行軍もこの地に御君の威光を示す良い機会となった。そう思えば良き事じゃ!」

 だが折角興世王が白けた場を取り繕おうとした謂いに水を差すように玄経が皮肉な嗤いを浮かべる。

「俺が心配でならぬのはな、その余分な牛刀の切っ先がよもや我が領民の鼻先を掠めはせぬかとそればかりじゃ。こう申しては何だが、どうせ貴軍ら糧食など幾日分も持ち合わせておりますまいて。北三国の天晴な戦功は領民皆が聞き及んでおりまするぞ。昼間の地を轟かす程の蹄音に次は我が身かと震え上がっておる民も少なからず居りまする」

「これ、いい加減になされよ!」

 先程諫めていた地頭が堪りかねて声を荒げる。

「話を戻すが、……玄経とやら?」

 玄経達の遣り取りに眉一つ動かさず成り行きを見届けていた将門が問いかける。

「貴公らの御陰有って敵状は判った。無論、その現在の所在も押さえておるのであろうな?」

「は。それは勿論にございまするぞ!」

 流石に新皇相手に不遜な物言いは差し控えてはいるものの、相変わらず不敵な笑みを絶やさぬまま低頭した玄経がそれに答えた。

「あれだけころころと居所を変えれば却って目に付くというもの。彼奴等は只今吉田郡蒜間の江付近に陣を伏せておりまするぞ」

「――よし。相分かった」

 満足そうに頷くと、配下一同を見回し声を放った。

「この玄経の指摘の通り、兵糧は限られておる。所在の知れた以上、全軍を以って一気に片を付けるぞ!」

 応っ! と威勢よく声を発しながらも、内心に未だ釈然とせぬ思いを抱えている者達もいた。

(どうも妙じゃ……)

 遂高が傍らを見やると、同輩の経明もやはり何やらモヤモヤした面持ちで眉間に皴を寄せている。恐らく胸中には同じ疑問を抱えていることであろう。

(まるでこちらに見つけてくれ、攻めてくれと誘い込まんばかりの敵の挙動。しかし、罠を張るには小勢に過ぎる。伏兵を潜ませるにも、隠密に秀でた百足の本拠地では無理がある。狙いがあるのは確かじゃが、……一体何が目的か)

 やがて、思案を諦めたようにふっと肩で息を吐く。

(……いずれにせよ、貞盛は此処には居らぬようじゃ。とはいえ、手ぶらで帰るわけにもいかぬ。藪を突いてみねば始まらぬか)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る