第2章 除目式 2


 

 同刻。飾り立てられた石井営所大広間にて、かつてそれぞれの任国において政務経験のある興世王の主宰と玄茂の采配を以て新皇将門の勅宣による坂東諸国新たな官職の除目が執り行われていた。

 

 昨年末、上野国攻略の後、石井営所に帰陣する前に軍勢を伴い武蔵、相模等諸国を巡り、各国政庁に降伏を迫った将門一行であったが、将門が大軍を率いて攻め寄せてくると聞いた国主達は一行が到着する前に我先にと印鎰を置いて逃げ出してしまっていた。その巡回の間に新皇側に帰順した有力豪族も数知れず、一行が漸く石井営所に戻り新年を迎える頃には総兵力八千を超える大軍勢となっており、最早中央すらもおいそれと坂東に鎮圧の手を出せぬ様相であった。



 ――宣旨と為して且つ諸国の除目を放つ。


 広間の床が見えぬ程に詰めかけた礼服姿の者達は、いずれも坂東八国の土豪や、今や飛ぶ鳥落とす勢いにあやかる腹積もりの者ら、中には強いて出席せざるを得ぬ旧政庁官吏らの姿も見え、宣旨を読み上げる興世王の一言一言に自分の名が含まれておらぬかと固唾を飲んで耳を欹てている。

 そして、急ぎ設えられた玉座において帝王然として皆の前に鎮座するのは新皇将門である。

 実は本日の式典に当たり、その束装に就いては本来無位無官である自身の位と本朝の皇室に対する配慮を案ずる将門と、それでは式典の場で皆に示しがつかぬと反論する玄明とで意見が対立したのであるが、結論として青緑系統色を避け、黒色の位袍とすることされた。


 除目の冒頭にて、新受領として選任されたのは以下の通りである。


 下野守 平将頼

 上野守 多治経明

 常陸介(旧親王立国) 藤原玄茂

 上総介( 〃   ) 興世王

 安房守 文室好立

 相模守 平将文

 伊豆守 平将武

 下総守 平将為

 武蔵守 (欠)



 武蔵国国司が欠員となっているのは内定していた平将平が辞退したためである。それには次のような経緯があった。


 数日前、将頼をはじめとした弟らや主だった腹心達を自室に集め、将門が除目内定を発表した際、一歩進み出た将平が将門の前に仰々しく低頭した。

「……畏れながら、此の度の御指名、謹んでご辞退させて頂きまする」

 一同が顔色を変えざわついたのも無理はない。

 自身の兄とはいえ、将門は新皇であり、その指示は今や勅命である。叙任間もない新帝の勅に異を唱える者が身内に現れるとは、それだけでも以後の執政に関わる忌々しき事態であった。

「将平よ、己が立場を弁えた上で申したか⁉ おまえ一人の我儘では済まぬ叛言ぞ!」

「待て、将武よ」

 肩を怒らせ罵る弟を制して、将門がじっと将平を見つめて尋ねる。

「……理由は、以前にお前が口にしていたことか?」

「その通りでございまする。某は此の度の決起の意義に思いを巡らすにつけ未だ胸の内の懊悩が晴れませぬ。……どうか某などよりもこの御役目、自信を持って全うできる御方に努めて頂くが適当と存じまする」

「戯けたことを。この期に及んで今更何を思い悩むことがあろうか。既に我らが賽は振られた後じゃ!」

 未だ激してやまぬ兄達が口々に弟を責めたてる。

 それを余所に、弟の答えに暫し腕を組んで考え込んでいた将門が、一同を見回し口を開いた。

「この中に同じ考えの者はおるか?」

 将門の問いに、内定を告げられた者達は異議なしと沈黙で答える。

 しかし、皆の意表を突くかの如く一同の後ろに控えていた年若い侍従が「畏れながら」と声を上げるとその場の者が驚いて振り返った。

「おまえは、名は何と申したか?」

「伊和員経と申しまする。浅慮な物言いを何卒お許しくださいませ」

「小姓風情が。おまえの発言など誰が許したか!」

「俺が許す。言うてみるがよい」

 激昂する将武を再び制して将門が促す。

「僭越ながらお察し申し上げまするが、只今武平様が御役目の辞退を請われたこと、これは兵を以て大義を通さんと言うこの度の決起の在り方に疑問をお感じになられたからに他なりますまい。それを頭越しにお叱りになられては、今後万が一――万が一にも御君が道を見誤れたとき、その危うきを諫め導く者が誰もいなくなってしまいは致しませぬか? どうか何卒、将平様のお申し出をお聞き入れになり、そのご懸念に御耳を傾けて頂きたく意見具申致しまする」

 端から聞いていても身の程を弁えぬ物言いに顔色を変える一同であったが、意外なところから援護の声が上がった。

「おい、まさかこの小姓奴を叱責する者はおらぬよな? おったならば、まさにこの員経とやらが只今勇気を以って言って見せた言葉の通りとなるぞ!」

 と、普段見せぬ程厳しい顔で睨み回す興世王であった。

不意に上座からクツクツと笑いを噛み殺す声に再び皆の視線がそちらに向けられる。

「成程、その通りじゃ。聡明な若者よ」

 久しく聞いておらぬ将門の笑い声に一同は毒気を抜かれる思いであった。

「将平よ。そなたの辞意、確かに聞き届けた。しかし武蔵守の役職は欠員としておくぞ。おまえの迷いが晴れたならば言うてくるがよい。改めて命を下そう」

「ははっ!」

 と額づいて引き下がる将平から将武へ視線を移す。

「将武よ。一つ付け加えるが、俺もこ奴と同じく未だ迷うておることがあるよ。……この期に及んでな」



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