第1章 都の動揺 5



 その年もまた例年にない厳冬であった。

 未だ都に春の訪れは遠い様子である。

 

 将門の文が届けられた夜更け、灯を消して青白い冬の望月を眺めながら一人物思いに耽っていた忠平の元を訪れる者がいた。

「父上……」

「……実朝か? 良いぞ」

 失礼仕る、と一礼しながら入室した大納言藤原実朝が憚るように辺りを見回した。

「他に人はおりまするか?」

「おらぬ。なんじゃ、内密の用か?」

 顔を向ける父の前で、実朝はがばと低頭し声を震わせた。

「……何卒、父上の御力で、将を救ってやることはできませぬか?」

 流石の忠平も厳しい面持ちで息子を睨み据える。

「今の謂い、外で漏らすでないぞ」

「承知しておりまする。今や平将門は大君に仇為す逆賊一党の首魁。このまま野放しに出来ぬことも重々承知しておりまする。……なれど、将は我らの兄弟分、父上とてお気持ちは同じにございましょう? されば何卒、我が摂関家の威を以て酌量を求めることはできぬものでしょうか?」

 顔を上げ、とめどなく頬を伝う涙を月光に光らせながら実朝が懇願する。

「あれは優しい奴じゃった。我が身を損のうても弱き者を庇うて止まぬ涼しき奴であった。あんな男、後にも先にも己の目先の欲得しか考えぬ殿中において一度も出会うたことはない。だから身共はあれが好きじゃった。奴があのような大それたことをしでかしたというなら、それ相当の已む無き理由があるはずじゃ。父上も同じお気持ちにございましょう? ……何卒、将に酌量の慈悲をくださいませ!」

 涙ながらに訴える実朝に、忠平は「ふむ……」と眉間の皴を戻すと、いつもの福々しい顔に思案気な表情を浮かべて口を開く。

「一つお前に問うが、此度の騒動、おまえが庇い立てする将門の天道を踏み外した所業であると考えるか?」

「それは勿論でございまする。此度の前代未聞の叛乱大逆、帝君の赤子として正道に外れた許されざる謀叛にございまする! ……あ、いや。しかし将は……」

 意気込んで答えるが、そこでハッと気づいた実朝がぐっと言葉に詰まる。

 それを見てホホと忠平が笑った。

「実朝よ、父は今の言葉を聞いて安心したぞ。……なればこそよ、執政を司る我らが道を誤ることはできぬ。よいか、公私混同は許されぬぞ」

「ははっ!」

 深く恥じ入った様子で平伏する息子に、「それにのう」と父が言葉を続けた。

「摂関家の威を以て、とおまえは言うたが、おまえも将門と長い付き合いじゃからあれの気質はよく存じておろう? あの頑固で生真面目な東男子が、果たしてそれを望むかえ?」

 実朝は顔を伏せたまま、袖で涙を拭い押し黙る。

「倅よ、白状するがおまえの案じている気持ちはこの父も同じじゃ。だがのう、誰が道を違えたというのではない。たった今、我らと将門と、それぞれの行く道が分かたれたということじゃ。なれば我らも己が道を正し勤めを全うするのみじゃ。友を案ずるなれば只それだけを考えよ。……よいな?」

 父の諭す言葉に頷くと、実朝は鼻を啜りながら一礼し退出していった。



「――さて。……おるか?」

「御前に」

 忠平が暗がりに向かって声を掛けると、いつから控えていたか、長年仕えている老侍従の姿が浮かび上がった。

「先日任命した追捕使の塩梅はどうなっておるか?」

「は。まだ幾日も立たぬというのに何かと理由を付けて出立を渋っておる方々が見受けられまする。……主上の読み通りにございまするな」

 暗闇に隠れた表情から声に出さぬ含み笑いが感じられる。

「とっとと解任せい。役立たず共奴。尤も、端から役立たずばかりを選りすぐって命じておるからまあ仕方ないがのう」

 ホホ、と可笑しそうに忠平が声を潜ませながら笑い声を上げて続けて問う。

「次はいよいよ中央軍指揮官の人選じゃが。翁よ、参議の中で頗る付の東国嫌いは誰かおらぬか?」

「それならば、式家藤原忠文様を置いて他におられぬでしょう。東人を都人を取って食うような野蛮人と言い放って憚らぬ御方じゃ。最近二人目の御孫にも恵まれ大層お喜びとのこと。そこにつけて寝耳に水の坂東遠征などたちまち震え上がって及び腰となられるでしょうな。ぐずぐずといつまでも出立為されぬ事受け合いまする」

「よし、その男に決めたぞ。これで暫しは時を稼げようぞ」

 ぱちん、と指を鳴らす太政大臣を前に、翁は呵々と声を上げて笑う。

「全く、我が主上は日ノ本一の狸であそばされる」

「ホホ、お前までそれを言うてくれるな」

 二人して忍び笑いを交わしながら、忠平は在りし日の将門に思いを巡らせる。

(済まぬのう。麻呂がしてやれるのはせいぜいここまでじゃ。……小太郎よ。麻呂が食い止めていられる今のうちにそちの行く道の結末を確と見定めよ――!)


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