第5章 新皇 4
「百足だと……?」
太刀の鞘に手を掛けながらも、微かな動揺をみせる美那緒の横で、シロもハッとしたように「……なっちゃんとふうちゃんが言ってたやつか?」と小さく呟いた。
「そなたら、百足を知っておるのか?」
と驚いて振り返る遂高に二人は頷いた。
「以前我が僦馬の配下にナツとフユという二人の姉妹がおった。恐ろしく隠密術に長けておってな。何処でその腕前を身につけたのか皆で問うたことがあったが、自分達は「百足」の出自故、とだけしか明かさなんだ。年若い娘らであったが、ひどく寡黙だったので印象に残っておる」
「俺ら達が野本の戦で源扶に雇われて遂高様達と戦った時に二人共死んじまったけどな……」
唇を噛むシロに玄明が然りと頷く。
「我ら「百足」は何処にでも居る。倭に敗れ俘囚に貶められた蝦夷同様、倭の手で諸国散り散りに配流されたからのう」
「その謂いから察するに、貴公ら古の「まつろわぬ民」――土蜘蛛の末か?」
「左様。
土蜘蛛とは、「土に穴を掘り籠る(居住する)者」という蔑称であり、古代において大和政権に服属しなかった者達の総称であった。既にこの時代においても昔話の中の存在である。遂高達が当惑するのも無理はない。
「大方の者は倭に屈し、辺境の地へと移住を強いられた。都から見れば未開の僻地であるこの坂東もその一つ。だが我らが本流は陸奥にて首魁
途方もない話に美那緒は眉を顰め、シロは目を白黒させている。
「しかし今より十余年前、朝廷の命を受けた俵藤太なる武夫の弓により三上山もまた討伐され、我ら百足も遂に滅び去ることとなったのじゃ」
「例の百足退治か。しかし実際にそのような官符が発せられたという話は聞いた覚えはないぞ。「百足」などという古に伝わる土蜘蛛の一派が今の御代に至るまで息を繋いでいたなどという貴公らの話も、俄かには信じられぬ」
「当然じゃ。官符とは人に対して発せられるもの。我らは人の扱いではあらなんだ。ただの百足、土虫よ。……だがのう、遂高殿。噂に聞こえる俵藤太なる者が二十余丈の大蛇に懇願され、山を鳴動させるほどの大百足を退治したなどという与太話と、我が一族に纏わる因縁、どちらに信憑を置かれるか? 実際、陸奥の悪鬼と忌避されていた蝦夷も捕まえてみれば倭の支配を良しとせぬ只の人であったではないか? それも、一部は未だに中央に抗い続け、つい近頃も秋田の国司を武力で追い払ったという。古の民の戦いは未だ続いておる。この度の将門殿を筆頭に其許ら東人が挑んだ決起にしても、我ら百足や蝦夷と同じ宿願、圧政からの解放でござろう? 千歳後には其許らの事も東夷なる虎の化け物が坂東で暴れ回ったなどと伝えられておるやも知れませぬぞ?」
冗談のような口振りだが、遂高は厳しい表情をピクリとも動かさぬ。ふっと息を吐いた玄明が言葉を続けた。
「……無論、全てを信じてもらわぬでも良い。しかし、遂高殿よ。近江を追われた我が同胞らを屈託なく迎え入れ、坂東の地に根を張る手助けをなされたのは、他ならぬ将門殿の御父上、良持公なのですぞ」
「なんだと……?」
――そなたの父上は、弱き者にあまりに肩入れし過ぎたのじゃ。
いつぞやの歓談の場で、平公雅が口にしていた言葉が過った。
「三上山の残党は中央から追われていた身じゃ。それを平一門の勢力下に匿うなどと公の兄上達は猛反発したが、良持公は意に介さなかった。それが御兄弟不和の原因となり、御子息である将門殿にまで累が及ぶこととなったのは痛恨の極みじゃ。……その後、存じておられる通り将門殿を陥れようと目論んだ貞盛らの謀略により某は郎党共々所領を追われ、常陸国掾に就いていた玄茂は官位を降格されてしまった。共に郷里を失った多くの同胞を我が連座の為に路頭に迷わせるわけにはいかぬ。さりとて同じく悪政に喘ぐ市井の民の糧物を掠めることも出来ぬ。悩んだ末に国府の不動倉を冒し、同胞に分け与え夫々の道に委ね見送った。此身一つとなり途方に暮れていた某は、かつて大恩を受けた良持公の御縁に再びお縋りするしか道はなかったのじゃ。そして、この寄る辺なき身を将門殿は快く受け入れてくださった。……この御恩に某は生涯を尽くして報いねばならぬ」
一頻り語り終えた玄明の後に、玄茂もまた意気込んで言葉を継ぐ。
「それに加えて、御君が歩んでおられる道は、我が一族の宿願にも通じておる。則ち、中央の支配からの解放じゃ。我ら百足も、殿――いや、新皇様の為に死力を尽くして戦いまするぞ!」
二人の語った内容に、遂高は深く考え込んだ。
(この男の語ることがもし本当だとしたら、なんと数奇な巡り合わせじゃ。御先代様が百足の者達を匿い、それが遠因となって野本川曲、そして子飼渡に到る一族の争いが起こったという。当代では、殿がこの玄明という百足の者を匿ったが為に本朝を敵に回す戦となった。何れも弱き者を救うための御父子の御志、血によって受け継がれたか、或いはこれが宿命とでもいうものであろうか)
「……貴公の話全てを鵜呑みにするわけではない」
やがて顔を上げた遂高が、じっと玄明を見つめながら口を開いた。
「だが、貴公が我らの敵ではないことはよく承知した」
ホッと玄茂が息を吐き、清音と吹雪が短刀を下ろした。
「有難く存じまする」
玄明も深々と首を垂れる。
「何だい、手打ちかよ。これじゃあ、そこの女にやられた俺の肩の傷が報われねえや!」
少々面白くなさそうに太刀を鞘に納めるシロの憎たれ口に、吹雪が「なにを!」と再び剣呑な顔色を浮かべる。その様子に「怪我の功名じゃ。堪えよ」と遂高が窘めた。
「一つ問うても良いか?」
「何なりと」
「殿は貴公らの正体を存じておられるのか?」
「某からは今の話はまだ打ち明けてはおりませぬ。しかし、御聡い殿の事じゃ。薄々気づかれてはおられる様子にござる。先刻の宴での御宣託も、某らが仕込んだものと見破っておいでであろう。有難き御仏の口寄せと謳ったところで、曇りを払うて見れば巫女か比丘尼か知れぬ娘の一人芝居じゃ。怪力乱神を畏れる御方とは到底思えませんでな」
「成程。殿はそれと知った上で新皇の位を受けられたか」
再び考え込む遂高に、玄茂が語りかける。
「いずれにせよ、新皇様が御即位なされたことは目出度き事。これにて我らが大義も盤石たるものとなり、懸念されておられた将兵らの軍規結束も不動となり士気は益々高揚することとなりましょうぞ。この北三国を手始めとして、坂東の統一、ひいては中央からの解放独立に向けて事は大きく動き始めることとなろう!」
「そんな都合良く事は運ばぬ。この状況を中央がいつまでも見過ごすはずがなかろう。天下二分、帝王両立など、本邦開闢以来の大事態じゃ。……おい、頭目殿、いつまで太刀に手を掛けておるか?」
ハッとして美那緒が腰の柄から手を離す。
「お頭、どうしたンで?」
怪訝な表情で覗き込むシロの顔も今の美那緒の目には映らなかった。
(……知っていて、その上で将門は新皇の位を授かったのか。なのに、何故あんな――)
上座で清音を抱きかかえていた美那緒だけが、はっきりと見ることが出来た。
――蔭子将門、謹んで新皇の位、承りまする
そう言って深々と額づいた将門の表情。そこにありありと浮かんだ彼の胸中が、確かに美那緒の目には言葉となってはっきりと映ったのである。
――俺は何処で
……それは、まるで血を吐くが如き無言の独白であった。
――下総国豊田郡の武夫、平将門並びに武蔵権守従五位下興世王等を奉じて謀反し、東国を虜掠す(「日本紀略」)
同月二十七日、中央政府に右の如き急報が届けられた。更に年を跨いで下野、上野から追放された国司一行が次々と都に到着し、その詳細が伝えられるに及んで、天慶三(九四〇)年、朝廷は遂に坂東の叛乱鎮圧に動くことになるのである。
第三部 終
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