第5章 新皇 2
国衙の前庭に山と積まれた酒樽や魚、菜物の束を前に、従類ら一同は暫し呆気にとられた。
「……これは一体どこから湧いて来たものじゃ?」
酒樽だけでも牛馬を使って一日二日で運びきれる量ではない。
「上野国の無血攻略を目の当たりにした領内の郡司、並びに噂を聞き及んだ武蔵をはじめ近隣諸国の土豪達がこぞって祝儀に訪れた際に置いて行った祝いの品々じゃ。其許らは府内の混乱の収拾に忙しく立ち回っておられて気づかれなんだろうが、某も引きも切らぬ来客の応対に随分苦労したのですぞ」
得意げに語る玄明を面白くなさそうな顔で遂高が睨む。
「貴公、先程は国府の蔵に余裕なぞないように嘯いておらなんだか?」
「おや、最前は蔵の中身の話しか問われておりませぬが? いずれにせよ、この祝儀の品々をご覧になられて各々方も少しは心が晴れましたろう? 苦い思いも致したが、我らの三国進駐を全ての民が迷惑がっているものではないと」
そう語られてはぐうの音も出ぬ。
先日の下野の攻略において、歓迎を持って迎えられるものと見込んでいた民からの猛烈な拒絶と抵抗、そして国府攻略の後に繰り広げられた目を覆いたくなるような惨劇は、従類皆の心に容易に拭えぬ暗い影を落としていたのである。
「何はともあれ、これで我が将兵らの働きもようやく労うことが出来ましょう。三日三晩酌み続けても飲み干せぬほどの酒じゃ。興世王殿が申されていたとおり、酒を出してやるのが兵卒らの心を掴むに最も肝要なことにござろう」
「おお、それは良い考えじゃ! 兵共も日を置かぬ行軍と戦続きでクサクサしておるから大それた狼藉などに及ぶのであろうよ。この上野が一先ずの区切りじゃ。ここでせいぜい賑やかに連勝の宴を催すのは大変結構なことじゃて」
ぽん、と興世王が手を打って賛同した。
「とはいえ、あの酒席嫌いのお堅い殿が、この決起の詰め時に宴など御認めになるかのう?」
「なに、我らの勝利に貢献した将兵らの慰労の酒宴に目くじら立てるほど将門殿も無慈悲ではあるまいよ」
悩まし気に腕を組む経明の肩を興世王がバンバンと叩く。
一方で、直臣を差し置いて勝手に来客を出迎え無断で引き出物の受領まで対応していた玄明の態度に憮然とする者も少なからず見えたが、無類の酒好きである遂高からすれば痛いところを突かれたものである。
「……ところで、先程から気になっておったが、そこに控えておるあの者達は何じゃ?」
皆が案内される前から進物の山を囲むように畏まっていた異様な風体の者達を差し示して好立が尋ねる。
十数人ほどであろうか。その身なりはまことに多様で、派手な柄の着物もいれば、女装した男、反対に男装した娘もいるようだが、皆揃えているのは簡素な木彫りの面を被っていることであった。銘々が手鼓や鉦など鳴り物を携えている。
「この者らは流浪の
玄茂が紹介すると、片膝ついて控えていた木面の者達が揃ってすっくと立ちあがった。
(こ奴ら――⁉)
今の所作を見た遂高が危うく出かかった言葉を飲み込んだ。
「
掛け声とともに鼓が打たれ、座長と思しき物腰の柔らかな男が前に進み出て一礼する。
「この度は我が一行をお招きいただき忝うございまする。この度の目出度き御祝宴、全霊を以て寿ぎを務めさせて頂きまする! それっ!」
座長が合図をすると、木面の男女が扇を片手に鉦を鳴らし篠笛の音に合わせヒラヒラと舞ってみせた。
「なかなかに見ごたえがあるようじゃのう。宴が楽しみでござるな!」
意外にも堂に入った技量の高さに、玄明の先走った言動に渋い顔をしていた従類らも思わず魅入る。最早誰も宴の催しに異を唱える者はおらぬ様子と見える。
ちなみに祝い人とは、元々は古来より神仏の儀式やハレの行事に寺社或いは家々を回っては祝いの言葉を述べ舞いや一芸を披露し、布施を受け取ることを生業とする者達のことを指し、これが後にいう芸能の起源と言われている。
(※作者注:「ほいと」という呼称は現在では一部地域で差別的な意味にとられる場合がありますのでご注意ください。もちろん本作ではそのような意図は一切ありません)
……なお、これは全くの余談になるが、後世の元旦では著名な大御所が傘を回しながら「おめでとうございます!」と芸を披露してお茶の間へ新年の祝賀を伝えていたものだが、実はあの一幕こそ本来の芸能のあるべき姿に最も近いものである。
「それでは、某は早速酒席の支度を整えてまいります故、各々方も御仕度の後広間へお集まりくだされ。将兵らには某から周知させておきまする」
そう言って背を向ける玄明、玄茂らの後を、鳴り物を鳴らしながら祝い人らが舞いながらぞろぞろとついて行く。
後に残された者達も当初の困惑や不審顔から一転して久々の酒宴に心浮き立たせる者、改めて酒肴の山を見上げて呆れ顔で溜息を吐く者など様々であったが、やがていそいそとそれぞれの持ち場へと戻っていった。
只一人遂高のみが、酒の誘惑など忘れたような厳しい顔で思案を巡らせていた。
(あの所作。……まさかとは思うが)
「ひゃあ、すげえご馳走と酒樽の山じゃのう!」
そこへ、素っ頓狂な声を上げながら現れたのはコヅベンと美那緒であった。
「何やら今宵は宴が催されると聞いたが、勿論俺達エミシ衆も御相伴に預かれるのであろうのう?」
舌なめずりしながら浮かれた様子のコヅベンとは対照的に、眉間にしわを寄せた美那緒が小走りに駆け寄り遂高に耳打ちする。
(遂高殿! つい今しがたすれ違った妙な輩じゃが……)
遂高も頷いて答える。
(やはりそなたも何か感じたか。……済まぬが、頭目殿に急ぎ頼みたいことがござる!)
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