第4章 坂東制覇へ 9
東山道に繋がる境外の小道を、雪を踏みしめながら追い立てられるように国府官僚であった者達、或いはその身内の者らが列を作っていた。
いずれも一様に着の身着のまま府下より追い出された態であった。私財も馬も全て取り上げられ、普段なら外出は簾を垂らした車の中に揺られ寛いでいるような身分の高い官女でさえ、裸足に近い履物で凍てつく冷たさを堪えながら徒歩で京までの遠い道のりを進んでいる。
そこへ、戦を逃れ山へと隠れ潜んでいた民衆達が、玄茂ら将門兵に促され下山しているところに行き会った。つい昨日まで自分達を統治し善政を敷いていた文官たちの打ちひしがれた有様を目にした下野の民衆達は歩みを止め、皆悔しさの余り涙に咽んだという。
――略気色を見るに、天下の騒動、世上の彫弊、斯れより過ぎたるは莫し。
「……天に五衰、人に八苦。今日苦に遭うも如何せむ、か」
民らの涙の見送りを背に受け小さく呟いて顔を覆う高官もいた。
その周囲を、彼ら都落ちの行列を警護、というよりも監視するように取り巻く将門配下の者達が、馬上からむっつりとした表情で鉾や弓を肩に担いで睨みを利かせ先導している。
――幹了の使ひを差して長官を官堵に追はしむ。
因みに、この「幹了」とは体格に優れ知力の優れた武丈夫の事を意味するのだが……。
「……それが何でまた俺達なんだかねぇ?」
九曜紋の入った赤い記章を収まり悪げに襤褸袈裟に縫い付けたフジマルが何とも釈然とせぬ様子で口にする。
見れば、乗馬し警護に就いている山賊じみた毛皮の外套を纏った警邏らは美那緒の配下たる僦馬の党一味であった。
滅多にない御役目に肩肘張らせ、殊更に厳めしい面持ちで官人達の隊列を睨みまわす者もいれば、フジマルと同じく自らの場違いを感じて居心地悪そうに頻りに肩を回して見せる者もある。
「心外なのは我らも同じじゃ。護衛には健剛たる強者らを付けまする、などと将門殿は申されておられたが、それがうぬらのような盗賊風情とはな! お蔭で皆生きた心地がせぬわ!」
馬上で白い息を吐きながら独り言ちるフジマルの呟きに、件の会談の場に立ち会ったと思しき初老の官吏が傍らで毒づいた。服装から元来は相当の高級官僚のようだが、我が身の行く末を憂いてか福々しい顔に色黒く浮かんだ憔悴の影は見ていて哀れみを禁じ得ぬ。
「なに、只でさえ身包み剥がれたような為体のお前さん方から、その上尻の毛まで毟ろうなんざ流石の俺達だって業突く張っちゃいねえさ。それに、お頭が惚れ込んだ他ならねえ殿様たっての御命だ。無事に京まで連れてってやるから安心しなよ」
「はン。判るものかえ。途中でまとめて人買いに売り飛ばす腹積もりかもしれぬて」
憎々し気に吐き捨てる老公家に、やれやれと肩を竦めてすぐ後ろの同僚を振り返る。
「……それにしても、シロよう?」
その視線を向ける途中でフジマルと目が合ったうら若い侍女が「ひぃっ!」と金切り声を上げて腰を抜かした。
「だから何もしねえって!」
情けない声を上げるフジマルに代わって、「ねえ?」と一味でも年若のうちに入るネネという名の少女がシロに問いかけた。
「一体、何だって殿様はアタシらにこんな御役目を命じられたと思う? ちっとはアタシらの腕っぷしを買ってくれてるってことかな?」
「まあ、それも小ったァあるだろうがな……」
馬の首を並べながらシロが思案気に顎を撫でる。
「京までひと月は掛かる長ェ道中だ。辿り着く頃には殿上のお偉方にも常陸下野の顛末はとっくに届いて、きっと都が引っ繰り返るほどの大騒ぎになってると思うぜ。そこにノコノコ殿様直臣の従類様方が下野の役人共を連れて顔を出してみな。たちまちとっ捕まって俎板の上の鼈みたいに首を刎ねられンに決まってるだろ。だから幾ら腐れ首が飛んだってびくともしねえような俺達悪党を敢えて選んだんだろ。……っていうほどあの殿様も悪い御方じゃねえだろうよ。なにせ俺達ァ天下の僦馬の党、街道の抜け道も万が一の逃げ足にも長けてる。間違っても都の破落戸崩れの検非違使にとっ捕まるようなヘマをする奴はいねえし、とっ捕まっても大事な事なんか何も知らねえから割る口もねえ。何よりも国司様御一行を無事に京に送り届けねェことには、殿様の顔が立たねえからな。おまえの言う腕っぷしも考えれば、そりゃ俺達を選ぶのが真っ当な人選ってものだろ」
「へえ」
シロの言葉にまんざらでもない顔を浮かべる娘であったが、すぐにシュンとした顔で「でもさ」と続ける。
「アタシは元の盗賊稼業が好きだよ。そりゃあさ、殿様の下で働くようになってから、暖かい営所の屋根の下で寝られるし、おまんまに食いっ逸れることもないしさ。……でも、アタシは戦なんか嫌だよ。アタシらより強いお侍が相手だし、あいつら誰も彼も、おまんまの為に殺すんじゃなく、殺す為に殺すんだもの。戦ってのは人の喧嘩に乗っかって稼ぐもんさ。間違えても片棒担ぐもんじゃない、潮時が来たらとっとと帆畳んでずらかるもんだってお頭も言ってたじゃないか」
すん、とネネが鼻を啜る。
「……お頭、早くアタシらのところに戻って来ないかなあ。また昔みたいに、皆で街道中を暴れ回りたいなあ。……なんで、こんなことになっちゃったのかなあ」
今にもぐずり出しそうなネネの様子に、あーあまた始まったか、とシロはこっそり溜息を吐いた。
元々、この娘は商家の末っ子で割と何不自由ない身分の生まれであったのだが、詰まらないことが原因で家を飛び出し、ふとしたきっかけで美那緒に懐いて一味に加わることになったのである。シロやフジマル達のように、生まれながらの地獄を知らぬ故、時々こうして弱音を露わにする。そういう甘ったれたところが憎めぬ奴でもあるのだが。
それに、先日の常陸の略奪の光景が未だ目に焼き付いていることもあるのだろう。
しかしシロとて本音のところはネネの謂う処とそう変わるものでもない。
「俺らだって、別に戦がしてえわけじゃねえ。ただお頭が殿様を信じて付いて行くっていうから、俺らもその後ろにくっついてくってだけさ」
(詰まるところが結局皆が皆誰かの背中を、そのまた背中を追っかけてここまで来ちまったんだよなあ)
つらつら考えを巡らせていたシロの耳に素っ頓狂な仲間の叫び声が聞こえ思わず手綱を引いた。
「おい、……あれは何じゃ⁉」
丁度国衙周辺を見下ろせる峠の中腹に差し掛かっていた。
しかし、麓に目を遣れば、濛々たる黒煙で府下の市街地一帯が真っ黒に覆われ、その隙間から所々真っ赤な炎が覗いているのが此処からでも見えた。
「火付けか、やりやがったな!」
徒党の一人が血相を変えて叫ぶ。
「なんと恐ろしいことをする。降伏し、館柵を明け渡した無抵抗の我が民草らに追い打ちを掛けるような狼藉に及ぶとは!」
「筑波の人喰い虎奴! どこまでも貪欲な輩じゃ!」
慣れ親しんだ府下の街並みが焼け落ちていく様を見下ろしながら、官吏達が皆地に伏して嘆き咽んだ。
しかし大いにどよめいているのは護衛の僦馬の者共も同様であった。
「一体どうなってンだ⁉ 町人や街中の警護は下野から加わった連中や、それに玄茂とかいう殿様の直臣が就いてるはずじゃねえのか? あいつら一体なんで手前ェらの国で乱捕なんか始めやがったんだ⁉」
憤激の声を上げながらも首を傾げる徒党の一人にダンシが青ざめた顔で答える。
「おめえ、常陸の戦を忘れたかよ。あン時もいの一番に分捕りに走ってったのは地元常陸の兵隊共だぜ? それも俺達でさえ暫く飯が食えなくなるようなエゲツない残虐振りでよ。それにここに来る途中でどこの馬の骨だか判らねえ連中も何千と殿様の軍隊に加わってたじゃねえか。その中にゃあ端からこんな魂胆だった奴も大勢いただろうさ。玄茂様の手勢なんざ、せいぜい何十人ってところだろ。止められるわけがねえ」
呆然と馬上から見下ろすばかりの僦馬の盗賊達に、怒り狂った完行が掴みかかった。
「この人非人共奴っ! 何が矜持に掛けてお約束致すじゃ! 舌の根も乾かぬうちに、貴様等の大将は下野の民の安全を守ると約束したのを忘れたか‼」
激昂し胸倉を掴む完行を乱暴に突き放したフジマルが、雪の上に尻餅をついた前国主に怒鳴りつける。
「うるせえな! オメエらが負けたのが悪いんじゃねえか。手前ェの国民も護り切れねえ腰抜け国司共が、手前ェが弱ぇのを棚に上げてぴいぴい泣き喚くんじゃねえっ!」
蹲って慟哭する老公家に忌々し気に背を向けると、
「けったくそ悪い事ばっかり続くぜ。……おいシロ、とっとと先進まねえと日が暮れちまうぞ!」
と吐き捨てるように先に馬を進めた。
(……は、弱ェ奴はああなるか。知らねえうちに、俺ら達ァ随分強くなっちまったもんンだな)
これ以上府下の惨状を見るに忍びず、フジマルの後に続こうとするシロを、ふと引き留めるように娘が袖を引く。
「アタシらは加わらないの?」
何処か言外の含みを感じる問いかけだった。
「……もう、俺ら達はとっくにあン中に加わってンのさ」
縋りつく手を振り払うでもなく、ただ一言だけシロは呟いた。
陽の落ちかけるのを追いかけるように煙を上げる市街地へ向かって疾駆していた美那緒であったが、やがて喧騒が耳に入る程の郊外に近づいたところで歩みを止め、白い息を荒げながら鉾に寄り掛かるように膝をついた。
(……ここまで駆け付けてきたところで、狼藉に及ぶ数多の兵共を前にして、俺に何ができるというのじゃ……)
ふう、と冷静な思いが過り最後に深い溜息を吐く。
すぐ数町先で乱捕に熱狂する雑兵共の中に、もし自分の姿を見つけたとしてもきっと驚かぬだろう。
何のことはない。今目にしているのは、天に放たれた嚆矢が嘗ての己が地上に這う様を見下ろしているだけの光景である。
「頭目殿よ!」
そこへすっかり酔いも吹き飛んだ様子の遂高が、蒼白な表情で馬を飛ばしながら彼女の元へ駆け寄って来た。
「またしても惨いことになりおったな。しかし不幸中の幸いじゃ。大平山に逃れていた民衆の多くは市内に帰還させる前に玄茂が機転を利かせて麓に留まらせた故、災禍に巻き込ませずに済んだようじゃ。それにしてもそなた、よく寸でのところで踏み止まれたな」
「俺も一味を連れて戦に雇われたことがあるから彼奴らの考えがよう判る。碌に褒賞もない戦じゃ。自分の稼ぎ扶持を自分で分捕りに行こうとする者が一人出てくれば、我も我もと忽ち皆の目も眩んで御覧の有様となる。どの戦でも敵側の士気や勢力も削がれるものと寧ろ奨励されていたほどじゃ。……しかし、既に打ち負かした相手の民草に対してこの様な狼藉は余りなことじゃ……」
「そなたの申す通りじゃ。勝敗の決まった戦で焦土戦法を行うは外道の兵法、軍規に関わることじゃ。されど、無理にこの場を諫めようとすれば欲に囚われた三千余りの俄か志願兵共が幟を翻して我らの寝首を掻きに掛かるであろうな。いずれ規律を正さねばならぬ時はあろうが、今は堪えるのじゃ」
「坂東の民らを導くはずの篝火が、坂東の家々を焼いておるとは、皮肉なことじゃ……」
暫しの間、二人は無言で東国有数に栄えた街並みが夜空を焦がし燃え尽きようとしている様を眺めるばかりであった。
(成程。これが我らの行く道の長路の行く末か。俺は確かに今、貴方の肩越しに修羅の道を目の当たりにしておるのだ……)
国衙の一角で、きっと同じ炎の夜景を見下ろしているであろう主の心中を思い美那緒は胸の内でそう呟いた。
――斯の如く騒動するの間に、館の内及び府の辺り、悉く虜領せられぬ。
都落ちの人々が涙を流しながら後方より馬に追い立てられ麓の景色を後にする中、最後まで歩みを止めたまま府下を見下ろしていたのが国主弘雅であった。
「哀しき事よ。善伏し悪起りて、神仏験なく天道は此処に失われた……。将門奴――」
ぶるぶると震えながら呪詛の言葉を麓の敵首魁に向けて吐き出した。
「――いずれ貴様等一党、餓鬼畜生地獄の三悪道に堕ち果て必ず報いを受けよう。剣の山に苛まれ灼熱に身を焼かれるが良い。今からそれを楽しみにしておるぞ……っ‼」
――国内の吏民は眉を顰めて涕涙す。堺の外の士女は声を挙げて哀憐す。昨日は他の上の愁へと聞く。今日は自が下の媿を取る。
将門決起とその快進撃は坂東の現状を憂慮する者達にとって快挙として迎えられることとなり、これに坂東の民衆達は熱狂に沸き立った。
その一方で、この常陸国に続く下野国の惨劇は瞬く間に近隣諸国に伝わり、坂東のみならず都の官民までもを恐怖の底に陥れたのである。
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