第4章 坂東制覇へ 8


 同じ頃、美那緒は国衙の柵の周りを一人所在なさげに歩き回っていた。

 流石に国司との会談の場に同席することはできなかったので、美那緒は将門らが戻る間、ぶらぶらと国衙の柵内を漫ろ歩いて時間を潰しているうちに、いつの間にか冬の太陽が西に沈みかけていたのであった。とはいえ、その胸中は決して穏やかなものではない。

 

――何故じゃ、……何故……我が下野を襲ったか……!


……武将の断末魔が、頭から離れぬ。


――我らは既に放たれた嚆矢ぞっ! 天に射かけた矢を相手に如何を問うとは笑わせてくれるわっ!


 ……己の口から発した言葉が、耳から離れぬ。


 下野に到る道中で民衆達から喝采を受けて進軍したのが遠く隔てられた昔の出来事のように思えた。

 その行き着いた先に目の当たりにしたのは、民衆の凄まじい拒絶と怨嗟、そして血に塗れた荒れ狂う吹雪のような慟哭であった。鎌輪宿を発つ際に、このような惨状が行く手にあると誰が予想できたであろうか。

(……いや、将門はきっと、この行路が修羅の道と既に予期していたのじゃ。だから、あの夜、あのようなことを俺に語って聞かせていたのか)

 出立の前夜に睦み交わしたあの将門の言葉は、自分の覚悟を確かめていただけではない。美那緒にも同じ覚悟を求めていたのであろう。その上で、自分も彼と共に在ることを望んだ。その上で、将門を受け入れたのであったはず。

 しかし――あの夜、実は結局、二人は最後まで想いを遂げることが出来なかったのである。

(はは、肝心なところで俺はいつも怖気づいてしまう。……まったく、僦馬の頭目の名が泣いておるわ)

 自嘲の笑みが零れ落ちる。今まで己が生きる為だけに女子供年寄りなど散々拐し売り飛ばし、或いは殺めて来たものを、今更何の臆病風か。どのみち自分はとっくに神仏にも見捨てられた者、死ねば地獄に堕ちるものととうに腹を括っている。

 なのにどうして、自分の手が血に塗れていることを今になってこれほど悍ましく、まるで取り返しのつかぬことを働いたかのように恐れを覚えるのか。

(ようやくあの男の背中を捕まえたというのに、なぜ俺はまた、勝手に一人で悩みをこさえておるのか……)


――馬鹿みてえなことで悩んで泣きべそ掻いてンのはあんた一人だぜ?


 それはいつの事であったか、呆れたように背中越しに諭してくれた者の言葉が、ふと過った。

(……そういえば、彼奴の顔も暫く見ておらぬ気がするな)

 無性に昔の仲間達が懐かしかった。


 土倉の近くを通りかかると、戦装束を解き狩衣に綿入れを羽織った玄明が配下に指示を与えながら蔵の貯蔵品を改めていくところに出会った。

「あら、国司との調停の儀は終わられたのですか?」

 声を掛けられ顔を上げた玄明も、先の場面の四人と揃えたような、何とも渋い表情を浮かべたものであった。

「おや、これは御前殿。なに、調停などという和やかなものではございませなんだ。散々恨み言を承ってきたのでござるよ。まあ尤もなことさな、彼らからすれば我らは他所から土足で踏み込んで来た無頼者じゃ。将門殿なら経明殿を連れて明日の具足を整えに厨の辺りに居られるぞ」

 そう話す間にも彼の腹心らが検分結果を報告に絶え間なく彼の元を行き通いしている。そういえば、玄明の配下らはほぼ彼の独立した直臣、玄明以外の将門従類の誰ともやり取りを交わしている姿は見たことがない。

「その蔵の中身も民から搾り取った宝物なのかしら?」

 書面に目を落とし顎髭を撫でながら玄明は首を振る。

「いや、ざっと検分するに下野国府はまことに善政を敷いていたようじゃ。中身はほぼ必要最低限の備蓄米や塩の類。それも万が一の救民の為にと大切に保管していたものらしい。……さすがの某も、この不動倉には手を付けるわけにはいきませぬな」

 といってチラリと一瞥を向ける。何の含みかとふと思ったが、すぐに美那緒は動揺を表に出さぬよう堪えることになった。

 玄明が石井営所に転がり込んでくる以前に働いたという大それた所業については、シロから報告を受けたその場に居合わせた美那緒と遂高達しか知らぬはず。問い詰めるのは尚早と考えているうちに詮議の機会を逸し、将門へも伝えていない。それなのに彼女がそれを知っている、という事を何故この男は知っているのか。

(……此奴、一体――)

「此奴、一体何者か、とお思いか? 何やら秘密の配下を使って某の身辺を嗅ぎ回っておられたようだが、その疑念はお互い様ですぞ、御前殿? それとも真の名でお呼びした方が宜しいかな?」

「知っておるのか……?」

 仮に正体を見破られていたとしても、僦馬の党の仲間内においてすら、余程の古馴染みでなければ知らぬ名のはず。

「貴方様こそ、将門殿に取り入って何を目論んでいるかは知らぬが、まあ良い。お互い隠し事の多い身じゃ。某は気に致しませぬ。安心なされよ」

 顔色を失う美那緒の様子を何処吹く風といった様子で部下が差し出す調書に目を通したままで語りかける。

「御館様!」

そこへ、白い息を吐きながら駆け寄って来た兵卒が彼に耳打ちし、「何?」と眉を寄せた玄明が彼女の方へ顔を向ける。

「御前殿、後味悪い物事とは、どうしても最後まで後味悪く終わるようじゃ。民の護衛に向かったはずの兵共が乱捕に転じたようですぞ」

「何だとっ⁉」

 驚いて府下の方へ顔を向けると、市街地から幾筋もの黒い煙が濛々と立ち昇っている。

「止されよ、無駄足じゃ。止められはせぬ。いかな大義名分の旗を打ち立てたところで、戦に酔うて血に狂うた輩の前では暖簾と変わらぬ。わざわざ寝覚めの悪いものを観に行くようなものですぞ」

「ここで大人しく煙を見上げているほうが余程胸糞悪いわっ!」

 悟り顔で窘める玄明の言葉に吐き捨てるように返すと、美那緒は近くに立て掛けてあった兵卒の鉾を掴むと門の外へと駆け出していった。


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る