第4章 坂東制覇へ 6



 明くる十二月十三日の未明には荒れ狂っていた猛吹雪も止み、鬼怒川の水面を眩しく煌めかせた朝陽が、やがて凄惨な修羅の戦いの痕跡を照らした。しかし目を覆うばかりであった惨状は、昨夜までの豪雪に戦死者の亡骸も血を染めた血潮の海も雪に埋もれ、今、白純の雪原に立ち並ぶのは勝者側の天幕と朱色の幟旗ばかりである。

「まったく、昨日の鉄火場が夢か幻のようじゃわい」

 小用を催し陣幕から這い出た興世王が一面真っ白な雪景色を見渡しながら呟く。

「大平山の枯木立も一夜のうちに雪化粧じゃ。……おっとっと!」

 放尿しかけた足元の雪の中から青白い手首がはみ出ているのにふと気づき慌てて逸物の矛先を逸らす。


 結局、緒戦は手痛い抵抗を受けたものの、後詰の増援によって国府勢は忽ち崩され、将門側の損失は比較的軽いものであった。


 やがて幕営を畳んだ将門一群は大将将門を先頭に門前へずらりと騎馬隊を配置し、抵抗の術を失った下野国衙は為す術もなく敵を前に開門を許したのである。



 ぞろぞろと馬を引きながら入城する敵軍の将兵らを前に最早戦意も反抗の気力も喪失した国府衛兵らは皆一様に顔を落とし、或いは膝を抱えて悄然と彼らが城内へ踏み込むが儘に任せている。まだ気丈な者は衛兵然として直立不動に鉾を立てているが、将門勢に正対している者はいない。不動の姿勢とは一種の敬礼、敗れたとはいえ賊軍相手に示す礼など習わぬ、というせめてもの抵抗の顕れであろうか。

 大勢の入城に踏み固められた雪にうっかり足を滑らせて門前で引っ繰り返る兵卒がいて、周囲からどっと笑い声が上がるが、その明るい騒ぎに目を向ける国府の者らは一人もいない。


 その乾いた喧騒を執務室にて耳にしていた完行がとうとう堪えかねたように文机に拳を打ちつけた。

「……渉よ、忠国の同胞達よ。お前達が冥道へ逝くを我一人只見送るわけにはいかぬ!」

 立ち上がると慟哭を孕んだ怒声を以て側近の者に命じた。

「我もまた東男子よ! 彼奴らが皆国衙に入り次第、固く門を封じ、賊軍諸共国衙に火を掛けィ! 畏き大帝よ、下野の覚悟を御覧じろ。益荒男の荒ぶる死に様将門奴にとくと味わせてくれる!」

「はっ!」

 袖を拭い側近が席を立とうとしたその時、

「――待たれよ、前任殿!」

 と声を放って室内に踏み込んだのは新下野司、藤原弘雅である。

「公家が武賎の如き自害など、愚かな足掻きと末まで蔑まれまするぞ。何よりも我が下野の抗戦を一身に負った渉殿の志を無碍になさるおつもりか!」

 涙ながらに訴えかけるような眼差しを向ける側近の肩を宥めるように押しやりながら歩み寄る青年国司の叱咤に完行は咬みつかんばかりの勢いで食って掛かった。

「公家の矜持がどうしたというのじゃ! 我が配下達は命を投げ打って故郷の為に戦ったのじゃ。我ら官吏のみがおめおめと生き残ろうなど!」

「左様、渉殿ら勇士は故郷の為に身命を棄てた。まさに彼らの矜持じゃ。完行殿よ、貴殿の自暴自棄で彼らの命懸けの矜持に傷をつけるおつもりか? 渉殿の決別の言葉をお忘れか!」

「――っ!」

 返す言葉も見つからず完行はその場に膝をつく。側近もまた声を絞って伏し泣いた。

「我らは生きねばならぬのじゃ。生きて一刻も早く坂東の実状を伝えねばならぬ。或いは、下野を護り切れなんだ沙汰を潔く受けねばならぬ。何よりも、民や生き延びた配下達の安全を図らねばならぬ。前任殿がこれ以上御心痛されるには及ばぬ。全て某に任せられよ。……既に支度は整えておりまする故」

「支度だと?」

 涙に濡れた顔に怪訝の色を浮かべる完行に、弘雅もまたその端正な相貌を悲壮に染めながらも強いて笑顔を作るのであった。

「まこと不本意極まりないが賊徒とはいえ相手は勝ち軍じゃ。それ相応の応接をせねばなりますまいて……」

 そこへもう一人の側近が戸口にて畏まり「国司様に申し上げます」と平伏した。

「賊徒首領将門より、国衙前庭にて調停の儀整いたり。されば、速やかに国府印鎰ご持参の上国司様らに御出向願い候、との事にございまする」

 その伝言に、弘雅は凛々しい顔が歪むほどの憎悪の表情を浮かべ吐き捨てるように呟いた。

「ほれ、思った通り。完行殿、どのみち彼奴等は我らを勝手に死なせてはくれぬようですぞ。……なれば我らも何食わぬ顔で応じてやるのみじゃ!」



 前庭に陣幕を張り、ずらりと配下の従類を従えた将門がその中央に陣取り、国司らの出頭を待ち受けている。幕外にも武装したままの将門直臣の将兵達が剣山の如く鉾を立てて控えていた。

 儀礼というには物々しい舞台であったが、幕内に居並ぶ遂高は、儀式の発起人である玄明に対し「成程な」と彼にしては珍しく肯定的に呟いた。

 玄明も頷いて答える。

「左様。戦に敗れた果てに死を選ぶは武丈夫の潔さではあるが、公家官吏はそうはいかぬ。調停の儀を申し入れられたならば命懸けでこれを全うするが官僚の意地じゃ。あの決死の義勇兵らの覚悟を秘めた背中を見送った国主ともなれば、この館諸共我らを道連れに火を放ちかねぬ。印鎰が焼けてしまえば勝利の証が示せませぬでな。何としても国主様には生きて御出頭頂かねばならぬ」

 やがて、身なり良き高官数人が国衙表口より現れ、将門の前に揃って額づいた。

「将門殿、遠路はるばる良く当地へお越しくださった。広間にてお出迎えの用意を整えておりまする」

 予想外の相手の出方に怪訝な顔色を浮かべる配下もいる中で、将門は頷いて立ち上がると、

「大義である。案内せよ」

 と国府官吏達の先導に続き国衙内に足を踏み入れたのである。



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