第4章 坂東制覇へ 5



「攻めろ攻めろ!」

「彼奴等を鬼怒川へ押し返せ!」

 一間先も見えぬ吹雪を真正面に浴びながら、馬を駆り、或いはそれに続く国府将兵達の威勢良き掛け声が方々から聞こえていた。

 赤い長旗が雪の嵐の中に黒い影を浮かび上がらせれば兵達は奮って殺到する。向かい側から近づく群影は全て敵である。行く手の方々から剣戟の鋼触れあう音と、降る雪を逆さに飛び散る血飛沫が雪煙の中に影となって映った。

「攻めろ攻めろ!」

「このまま鬼怒川へ突き落せ!」

 しかし、いつしかその掛け声も疎らとなりつつあった。

 代わりに方々で響き渡るのは剣戟の鳴り音。あちこちで雪中の遭遇戦が繰り広げられていた。視界の阻まれた戦場で殆ど同士討ちの発生がないのは将門勢が掲げる朱色の長旗と味方識別の肩章の為であろう。玄明の懸念の通り、この印は良くも悪くも目に留まる。

「今はどの辺りじゃ?」

 白い息が頬に掛かる程に顔を近づけて副将に問う。兜の吹き返しが唸る程の突風が雪粒を舞い上げる。

「間もなく正面の防御陣地に到りまする。尤も、この猛吹雪の中の混戦じゃ。護りの陣も態を成しておりますまい。我が勢もどこまで進んでいるのか退いているのか見当が付きませぬ」

「いずれ合戦場のど真ん中か……。周囲の警戒を怠るなよ!」

 

 その時、吹雪の中を進んでいた渉ら本隊の先頭が俄かに足を止めた。

 雪を血に染め幾多も倒れ伏しているのは敵味方入り混じった将兵らの亡骸。首を失った国府軍武将の骸に目を留めて武将の一人が声を上げた。

「この軍装は先陣を率いていた橘殿か? ……御大将、この者らの有様を御覧なされ。天晴、俯せに伏すものは鬼怒川を、仰向けの者は国府側を枕に打ち果ててりまする!」

「即ち退いて討たれた者らではないということか! まだ温い遺体じゃ。物見の者によれば敵首魁は魚鱗の陣形の先頭を率いていたという。将門は近うございまするぞ!」

 歯をむき出して獰猛に笑う副将の言葉に頷くと、渉は太刀を抜き払い額に鍔を当て、足元で息絶えた兵士達の亡骸に瞑目した。

「……良く戦ってくれた。皆よ、良く戦ってくれた!」

 かァンっ! とすぐ傍で鎬撃ち合う冬雷の火花が吹雪の幕の中に閃き、皆一斉に得物を握り直す。

「――将門じゃ! 将門じゃあっ!」

 吹雪を裂くような断末魔が敵将の名を叫んで聞こえてきた。


 真っ白な混沌の気配が目の前に渦を巻き迫っている。


 吹雪の向かい風故、風上の蠢きが轟き近づきつつあるのが強い寒風に混じって足音を響かせていた。


 そして白礫の渦がうねりを伴って五文字の御旗の向きを変え、目の前に黒々と敵軍勢の群影、そして朱色の大将旗を吹雪の合間から垣間見せたのはほぼ同時であった。

 将門と国府、互いの本隊が真正面一町に満たぬ程に相向かっていたのであった。

「将門じゃ……」

「逆賊共の赤旗じゃ」

 ぎり、と背後で歯を軋らせる配下達の呟きが聞こえた。

 只今の絶叫を聞きつけた散兵達も白い息を吐き出しながら背後に集っている。

 白黒時雨を衝立に渉が薄っすらと笑みを浮かべて太刀を鞘に納め、従卒から大鉾を受け取り白い息を吐いた。


 敵勢後陣が遂に掛り鬨を上げ、総攻撃に移ったのであろう。多勢とはいえ懸け合い合戦となれば所詮は素人寄せ集めの我が勢、真っ向の鬩ぎ合いでは太刀打ちできぬ。

(……なれば、ここで敵将相見えたこの場面こそ唯一の勝機!)

 只今将門を固める騎馬らはほんの十数騎。

 おまけに、我らが掲げる五文字の錦旗を前に一瞬その表情に怯みが見えた。

「皆よ、これが最後。今一度各々兜の緒を締めよ――此処が我らの正念場じゃ!」


「ははははっ! よかろう、来るがよい! この将門から下野を護り切ってみせよ!」


 吹き付ける吹雪の向こうから獰猛に響き聴こえる敵大将の大笑に向かって国府本隊が雪崩打って殺到した。

「この距離なら矢は外さぬ! 射掛けながら突っ込めェ!」

「主様っ!」

 攻め寄せる敵勢の前に立ち塞がった美那緒ら将門腹心らの傍らを矢が掠め、射られた者が崩れ落ち白い地面を紅く染めた。

「おのれ、止まらぬかっ!」

 寒さに悴み動かぬ指に歯噛みしながら二十四本の矢を全て射尽くしても尚止まらぬ敵の勢いに弓を投げ捨てた将頼が、その隣で鉾を預けていた従卒までもが矢を受けて倒れたのを見て言葉にならぬ罵声を吐きながら腰の太刀を抜く。

「いざ敵将の首級は目の前ぞ! 一人残らず叩き潰せっ!」

 槍衾の如く鉾や竹槍を振りかざした一群が雄叫び高く将門勢の目前まで迫る。その足元で、突如パパパパパンっと煙幕のように雪が爆ぜ上がり、両勢の間を遮った。

「小唄っ⁉」

 いつの間に現れたのか、馬のすぐ足元で弓を構える小さな娘の姿に美那緒が思わず驚きの声を上げる。

 小唄の一斉掃射により突然目の前に雪煙を浴びた国府勢の勢いに、ほんの一足ではあるが怯みが生じた。


「――僥倖の追い風じゃ、放てェっ!」


 背後より経明の号令一下、踏鞴を踏んだ国府勢へ第三陣が一斉に矢を放った。

「閣下っ!」

 咄嗟に渉の前に身を挺した副将が唸りを上げ飛び来る矢に忽ち五体中を射尽くされる。

 吹雪と紛う程の矢の嵐が国府軍勢に襲い掛かり、将門陣営の眼前に真っ赤な血の雪が舞い散った。

「玄明殿の忠言通りじゃ。旗を立てて進んだ第二陣は敵の散兵に足止めを食らって立往生。お蔭で旗を伏せて進んだ我らが追い抜いてしまったわい。――間髪入れず第二矢放てっ!」

 矢を受けながらも果敢に挑もうとする者も数歩と行かぬうちに倒れ伏し、その屍もまた追い矢と雪に埋もれていく。

 雪崩の如く突進を試みた国府軍勢はまた雪崩の如くに崩れ去っていった。

 その阿鼻叫喚を前に敵事ながら腰を抜かす将門兵卒もいるほどの断末魔であった。

「将門奴――っ‼」

 その死屍累々の中から生き残った武将が単騎、猪突の勢いで猛進する者がいた。

 天晴、倒れても尚御旗に土を付けぬようしっかと手放さぬまま息絶えた副将の亡骸の影より飛び出し将門目掛けて決死の斬り込みを駆けてきたのである。

「ちぃっ! 撃ち漏らしがおったか!」

 舌打ち漏らす経明であったが今から弓を番えたのでは間に合わぬ。

「貴様だけは鬼怒川の藻屑にしてやらねばならぬ!」

 立ちはだかった従類二騎は勢いのまま武将の鉾に薙ぎ倒された。

 迫る敵将の気迫に将門もまた鉾を振りかざす。

 その時、パシュっ、と空気を弾く音と共に、渉の喉元に小さな矢が突き刺さった。

「うぐっ……⁉」

 首を抑え姿勢を崩しかける背中の主に驚いた馬が嘶きを上げ、振り落とされた渉が血を噴きながら雪上に転がった。

「……将門、……将門よ……!」

 息も絶え絶えに渉が身を起こしかけ将門を睨みつける。

「何故じゃ、……何故……我が下野を襲ったか……!」

 呪詛じみた言葉を遮るように敵将の首筋に刃が振り下ろされる。

「我らは既に放たれた嚆矢ぞっ!」

 湯気立ち昇る血飛沫を浴びた美那緒が凍てつく息を吐き出す。

「天に射かけた矢を相手に如何を問うとは笑わせてくれるわっ!」

 震える声で嘲りながら敵将の首を掲げる美那緒の顔は寒さの為か酷く強張っていた。



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