第4章 坂東制覇へ 4
「なかなかお呼びが掛からんのう……」
第二陣が出撃して暫く経つが、未だ二つ目の法螺の合図が鳴らず金棒を揺すっていた興世王が二の腕を摩りながら呟く。肩を震わせているのは武者震いからではあるまい。吹雪の勢いはいよいよ増している。
「何しろ伝令の話では我らを優に上回る軍勢との話じゃ。余程手こずっているのではあるまいな」
「ならばこそ援軍要請の合図があって然るべきじゃ」
経明の問いかけに、本陣に残り軍監を担っていた遂高が厳しい面持ちで答える。
「いやいや、あまりに快進撃過ぎて我らの出番が回ってこぬだけかもしれぬ。常陸の戦は我が軍の三倍が相手であったが、この度の兵力差は倍までいかぬ。それはそれで物足りぬことじゃて」
と呑気な予想を口にしかけた将為が「おや?」と声を上げた。
「何やらこちらに近づいてくる者らがおるぞ。先陣からの伝令か?」
と指さす先の他にも、あちらこちらから複数人の集団と思しき人影が将門本陣に近づいてくる。それも向かい風の吹雪の突風を物ともせぬ突撃の如き勢いである。何やらこちらに向けて口々に叫んでいる気配がした。
「なんじゃ、雪が邪魔で良く見えぬが只事ではないぞ! おーい、おーい!」
「っ⁉ 待――」
何らかの事態で帰陣した自軍の分隊と見て取った興世王が声を上げて手を振ってみせるのを慌てて遂高が制止しようとする。
その両者の間を矢が唸りを上げて掠め、朱幟を手にした兵士の胸を貫いた。
「何っ⁉」
それと同時にはっきりと遂高の耳に相手の声が届いた。
「――攻めろ攻めろ! このまま彼奴等を鬼怒川へ追い落としてしまえっ!」
そう口々に叫びながら弓を構え鉾を振りかざす相手の姿がようやく目前にして姿を露わにした。……味方ではない!
「そんな! 先陣に発った友軍らはどうしたのじゃ⁉」
思いもよらぬ敵の襲撃に色を失う将為の後ろで、「やはり視界制限下でも赤旗は目立つか。この向かい風でも格好の標的じゃ」と玄明が舌打ちを漏らす。
しかし敵勢がその姿を見せたのも束の間、突如雪を噴き上げ両陣営の間に割って入った白い塊の群れに忽ち阻まれ、悲鳴と血飛沫が飛び散った。
「何、僅かばかりの小勢じゃ。そんなに声を上げて騒ぐほどの事でもない」
白い毛皮の外套を纏ったコヅベン率いるエミシ衆が刃の血を拭いながら笑いかけた。
「おぬしら、どこに隠れておったかと思えば、目の前に伏せておったのか。気づかなんだぞ」
「お国柄、冬戦での偽装伏兵は慣れておる。それにしても、敵の分隊がこんなところまで迷い込んで来るとは、前線は混乱を極めておるようじゃのう」
ふん、と鼻を鳴らすコヅベンの言葉に、興世王はじめ幕僚達が顔色を変える。
「……そうじゃ! 殿は、先陣の者達は一体どうなったのじゃ? ……まさか」
遂高も流石に息を飲む。
「斥候が相手兵力数千余と言っておったが、そもそも国府の常備軍は普通ならば千人程度じゃ。よもや今になってあの百足退治が国府側に加わったのではあるまいな?」
下野有数の藤原勢が加勢しているとしたらこの戦の形勢は大きく変わることであろう。
しかしその懸念の声を、玄明は首を振って否定した。
「あの男は国府の為には動かんよ。五月蠅がって矢倉に案山子を立てる程度の事はしてみせるかもしれぬがな」
「ほう。貴公、百足退治と知古のような口振りに聞こえるが?」
耳聡くジロリと視線を向ける遂高に玄明は肩を竦める。
「狼藉が祟って国府から幾度も官符を食らった挙句、今は唐沢山の居城に引き籠っていると聞いておりまする。当の国府が攻められると知ったところでわざわざ兵を動かしたりせぬでしょう。この兵らの様子を見たところ、恐らく国府側は前衛が破られたのを見てとり、自軍の守備状況が不利と見極めて一気に全軍上げて総攻撃に打って出たのでしょう。大方、こやつらは勢い余って我が先陣を素通りし本陣まで迷い込んだものと察しまする。この綾目分かたぬ天気じゃ、無理もあるまい」
「いや、どうやらこやつら正規兵ではないようじゃぞ。甲冑も何も身に着けておらぬし、鉾も竹槍の先に刃を括りつけたような代物じゃ。地元の義勇兵であろう」
コヅベンが何とも言えぬ複雑な表情で足元の亡骸に顎をしゃくる。
「民兵か……」
遂高が難しい面持ちで腕を組む。
(第二陣には下野の志願兵らが加わっておる。……後味の悪いことにならねば良いが)
「いずれにせよ、敵は護りはおろか戦術も布陣もかなぐり捨ててぶつかってきておるようじゃ。我らも逐次兵力を投入しておっては先の者達が持たぬ。これより総員出撃するぞ!」
応! と遂高の号令に答える将兵らに玄明が付け加えるように口を開く。
「我らの朱幟、並びに各々の肩章は敵にとっても識別となる故くれぐれも気を付けよ。この吹雪じゃ、左肩に赤いものを付けていない者は即座に射よ! 敵に先に打たせるな!」
「おい待て待て、我らエミシ衆も赤いものは何も身に付けてはおらぬぞ。射掛ける前にせめて一拍欲しいところじゃて」
まあ東人に射られるような間抜けは陸奥におらぬがな、と憎まれ口を叩いてコヅベンは呵々と笑った。
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