第4章 坂東制覇へ 3
彼らの見込み通り、いよいよ将門達が国府陣へ進軍を開始して間を置かぬうちに景色は一変する。
俄かに突風を伴い荒れ狂うように渦を巻く冬の嵐は、初冬の心寂しい鬼怒川の田園風景をたちまち真っ白に埋め尽くし、彼方に聳えて見えた大平山もまた青黒い雪雲に飲み込まれて消えた。
「これほどの猛吹雪には久しく遭うておらぬぞ。まるで白虎が荒れ狂っておるようですな」
「はは、我らの殿こそ坂東の虎と聞こえておられる。まさに勝ち戦の慶兆ではないか!」
経明の軽口に興世王が笑って返す。びゅう、びゅうと二人の肩を聳やかすように凍てついた寒風が鳴り響く。冬の突風が遮蔽物に当たり笛のような音を発することを虎落笛というが、まさに二匹の猛虎が互いに吠え合っているが如き荒天であった。
将門らは彼らの常の如く将門ら騎馬を正面に国府前線へ馬を進めていた。
吹雪の向かい風を正面から浴びて弓も視界も満足に機能しないであろう敵前線を騎馬隊の勢いで踏み潰し、そこへ徒兵が襲い掛かり一気に殲滅させる将門の常套戦術であったが、この日ほどその兵法が映えるであろう条件はないと思われた。敵は迫る将門勢を前に目隠しされたに等しいはずであった。
「……しかし、この赤旗は吹雪においても良く目立つな」
風に竿をしならせる朱幟を見上げながら玄明がふと呟く。
見立てでは、先頭騎馬勢が間もなく敵陣地目前付近に迫ろうとしている頃であった。
「皆が付けておる左肩の赤い印もじゃ。……おかげで敵味方が離れても良く見分けられるわい」
誰にともなく呟きながら周りの者らを見回す玄明の言動に不穏を覚えた経明が声を掛けようとした矢先、二人の耳に「敵前線発見!」と先に進んでいた斥候の報告が聞こえてきた。
玄明の顔色が変わる。
「よし、吹雪に紛れて接敵するぞ! 第一陣、気配を抑えて速駆けせよ!」
号令一下、先頭に立ち馬を走らせる斬り込み隊の背中へ玄明が忌々し気に吐き捨てた。
「馬鹿奴っ! 追い風では我らの方が目は効くが、向かい風の彼奴等の方が耳は聞こえるのじゃ。今の声で所在を知られてしもうたぞ!」
その内にあちこちで剣戟の音、やがて双方の罵声や悲鳴混じりの喧声が聞こえてくる。
「狼狽えなさるな玄明殿よ、どうせ戦の幕が切られたからには後も先もあるまいて。ほれ、見よ。こうしているうちにも先陣の幟は既に前線を蹴散らし先に進んでおるではないか」
経明の指摘する通り、吹雪の向こうの気配を聴く限りにおいては既に将門率いる騎馬一陣は敵の護りの正面を崩し、更に敵陣奥へ食い入っているものと見えた。その後を玄茂率いる徒兵達が雪煙を上げて吹雪の渦巻く中へ消えていく。
そして、吹雪の嵐の向こうから自軍の合図と思しき法螺の音が鳴り響いた。
「ようやく我らの出番が来たか。皆よ、後れを取るなよ!」
第二陣大将、将文の号令に「応っ!」と声を放つ騎馬を率いて後詰の将兵達も動き始める。
とはいえ、想定を遥かに超える荒天である。既に足元の積雪は一尺に及び、おまけに水気を含んだ雪は重く馬の足に纏わり、徒兵の進軍の足を鈍らせる。
口を開けば息が詰まりかねぬ猛烈な雪礫に襟巻を手繰り直すも忽ち装備のあちこちに氷柱が出来上がる。
「いやはや、前後両隣の赤章と先頭の旗印が唯一の導じゃて。おちおち小便に足も止められぬわい。おっと! ……これは」
鼻を啜りながら独り言ちていた年配の徒兵の一人が何かに蹴躓いて足元に目を遣ると、それは半ば新雪に埋もれた敵兵の亡骸であった。
おや、と狭い視界の届く限りを見渡せば、足元は折り重なるように討ち果てたる敵の屍の山である。
「ふん、どうやら友軍先発は見事な快進撃と見える。とはいえ、この勇士らにも帰りを待つ家族もおったであろう。……どうか冥福を」
彼らが進軍するにつれて足元に倒れ伏す敵将兵と思しき亡骸が目に付くようになる。それも、その多くが碌に甲冑も身に纏わぬ民兵達の者であった。
「故国の為に身を投げ出した者達か。その心意気見事なれど、我ら下総騎馬を相手に鍬鋤竹槍で挑むなどあまりに無謀じゃ。大人しく山にでも隠れておれば良いものを」
痛ましそうに馬を進めていた将文一行であったが、敵陣を進むにつれ、その顔色がみるみる変わっていく。
やがて背を射られ倒れ伏した自軍の先骸を目にした武文が、思わず声を上げた。
「……者共、心せよ! 此度の敵、並々ならぬ相手ぞっ!」
まさにこの時先頭を進んでいた将門達は、思いも寄らぬ苦戦を強いられていた。
「ええい、くそ! なんじゃ、こいつらはっ⁉」
喉元を鉾に貫かれ血反吐を噴きながらも、ぎりぎりと柄を掴んで離さず、こちらを燃えるような目で睨みつけながら手にした大鎌を振り回す民兵の凄まじい気迫に、将頼は馬上で慄きの悲鳴を上げた。
前線突破の時点では予想通りの流れと見込まれた。吹雪の中突如騎馬の斬り込みを受けた国府前衛は忽ち崩れ、敵陣地正面は将門側が制圧した。
相当数の国府兵力の存在を知らされていた将門達は、ある程度は身構えて攻略に挑んだものの、予想以上にあっけない緒戦の勝利に拍子抜けする思いで後詰へ合図の法螺を鳴らしたのである。
しかしそれに味方勢より先に答えたのは敵陣側であった。
平地で雪崩の音を聞くような思いで西から迫る怒涛の如き敵影に驚いていると、味方の周囲から止んでいたはずの剣戟や悲鳴が再び聞こえてきたのである。
「将門じゃ、将門じゃあっ!」
将頼達が泡を食って振り返ると、逃げ散っていたものと思っていた前衛の敵兵らが再び将門騎馬達に躍り掛かっていた。
「こいつら、吹雪に紛れて隠れておったか!」
すぐさま応戦し残兵は残らず駆逐したものの、一寸の油断を見せた味方勢は思いがけぬ痛手を被った。
「肩に赤札付けておる奴らは逆賊の印じゃ! 一歩たりとも先へ進ませてはならぬぞ!」
吹雪の中、大太刀を掲げ吠えたてる官軍武将と思しき騎馬の号令一下、徒の民兵達が群がるように赤幟を掲げた一群に猿叫を発しながら討って掛かる。
「馬鹿な……! 本来ならば国府常備軍は国衙の守備で手一杯であるはず。……こんな前線まで遠攻めを繰り出す余力などないはずじゃ! どこからこれだけの雑兵が湧いて出たのじゃ⁉」
下野より転向した平何某が、吹雪に翳む視界の中で寄ってたかって串刺しにされていく配下の将兵の断末魔を耳にしながら馬上で蒼白となって震える。
「……その声、聞き覚えがあるぞ、我が国府軍校尉にあった裏切り者奴が!」
「ひぃっ!」
白盲の雪煙の中からひゅうッと繰り出された竹槍に思わず悲鳴を上げて飛び退る。
気が付けば、吹雪を纏い自分を取り巻く敵影が数騎。よく目を凝らせば顔馴染みの町人達であった。
「待て、正気か⁉ 俺はおぬしらを都の悪しき支配より解放し、新しき坂東の歩む道を啓蒙しに参ったのじゃぞ! その先達に槍先を向けるとは何事じゃ!」
太刀を収め嘗ての旧友らを諫めようとする武将の言葉を皆せせら笑いながら竹槍を突き出した。
「その有難い啓蒙様とやらが弓矢携えてお導きに来るとは御大層な出で立ちよ! 我が故郷を朱の色には染めさせぬ、地獄で赤旗振るっておるがよい!」
「愚か者共奴! 我らが敢えて兵を以て立たねばやがて坂東は徒に戦火に焼かれるばかりぞ! それが判らぬかっ!」
叫び声も虚しく四方八方から竹串刺しにされた武将が血の泡を噴きながら祈るように最後に呟いた。
「将門様……何卒、我が故郷を、この者共らをお導きくだされ……!」
「主様……っ!」
荒い息を吐きながら血に染まった鉾を片手に美那緒が将門へ駆け寄る。彼もまた血塗れであった。
「返り血じゃ。大事はない。……しかし、こやつらの死骸を見よ。誰一人我らに背を向けて死んでおらぬ。楯を放り出して逃げ散りおった常陸の連中とは大違いじゃ」
「それも多くは民兵、年端もいかぬ娘らさえおりまする」
カッと目を見開いたまま息絶えた少女の亡骸を目にした美那緒に、ふと過るものがあった。
かつて彼女が将門と敵同士であった頃の野本の戦にて、僦馬の党の仲間であった二人の姉妹を失ったことがあった。丁度この娘と同じ年の頃であったろう。若輩とはいえ彼女達もまた他の仲間と同じく野盗同然の業深い生業の中に生きていたゆえ、どこで野垂れ死のうが予め悔いのない生き様であったはずである。
しかし、この娘らはなぜ逃げることもせずに敢えて我らに挑みかかってきたのか。
(わからぬ。この娘など本来武器など手に取る必要もない只の民共ではないか……)
俯く美那緒の心中を思ってかその肩に将門が手を遣る。
「常陸国府の顛末は坂東中に知れ渡っておろう。次は我もと意気込む者らもおれば、次は我が身と身構える者らもおる。いずれの者らも炎に燻され初めて己が何に根を生やしているかを知る。焼かれるのを前に根を張らすか、枝を伸ばすか、或いは諦めて薪になるを選ぶかの違いじゃ。――見ろ、美那緒よ」
指さす先には吹雪の嵐の中でも尚黒々と迫る下野国府軍の逆さ雪崩の如き大群が、一竿の幟を軍勢の中心に掲げ目の前にまで迫りつつあった。
「彼奴等の眼の色、尋常のものではありませぬぞ! まるで常陸府下を焼き払った狼藉者共と同じ目つきにございまする!」
「いや、きっと真逆じゃ。彼奴らには我らこそ狂気の熱に目の眩んだ下総のならず者に映っておるだろうよ。だから目の色を変えて故郷を護ろうとするのじゃ。女子供年寄りまでな」
息を飲み身構える美那緒の言葉に首を振る。
「成程、この戦こそ本の合戦。我らが行く道程の分け目の戦いとなるか……」
五文字の幟を目にした将門が笑みを浮かべ、やがてそれは吠えるような大笑となって響き渡った。
「よかろう、来るがよい! この将門から下野を護り切ってみせよ!」
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