第3章 動乱の勃り 常陸国府の攻防 4


 将門と為憲が戦いを繰り広げていた頃、城柵の内側においても大きな騒動が起こっていた。


「き、貴様等、一体何の真似じゃっ⁉」

 城柵を警護していた兵らに突如として鉾や矢を向けられ、恐れ戦く国府官僚達を背後に庇いながら高官の一人が声を震わせながら怒鳴りつける。

「まさか……貴様等、常陸に反旗を翻すつもりか⁉」

「まさしく貴殿らが御覧の通りじゃ。我ら国府守備隊、将門様に帰順いたす!」

 隊長格と思しき武者が大刀を突きつけながら宣言した。

「お前たち、気でも触れおったか! 今貴様が刃を向けておる相手が何か心得ておるのか⁉ 玄茂よ、今お前は常陸国府に、畏れ多くも大君の代官に対し弓を引いておるのだぞ!」

 蒼白な面持ちで目を剥きながら金切り声を上げる高官の警告に微塵も動じた様子も見せず玄茂と呼ばれた武者が答える。

「その御上に愛想が尽きた故、御覧のように寝返るのじゃ。木っ端役人ども、流矢に当たりとうなければ国衙の土蔵の奥にでも引っ込んでおれ!」

 配下に命じて官僚達を引き立てさせると、城門周辺を固めていた守備隊将兵らに大刀を振り上げて指示を飛ばす。

「これより我らの敵は為憲、国府勢じゃ。法螺の合図と同時に開門し、騎馬隊は国府本陣の背後を叩け。矢倉の者共は敵陣地へ矢の雨を降らせよ。――かかれ!」



 不意を突くが如く陣の背後より国府の櫓や城柵から雨霰の如く矢を射かけられ、加えて自軍の虎の子であるはずの守備隊騎馬に後ろから攻め込まれた国府陣地は大混乱に陥った。

 何より、守るべき国府の櫓に将門一党の朱幟が翻っているという事は即ち常陸国府は既に敵の手に落ちているという事に他ならぬ。それが国府将兵の動揺にさらに拍車を掛けた。

「御大将! こりゃあ一体、何がどうなっておるのじゃ⁉」

 あまりの事態に為憲へ縋りつかんばかりの様相で泣きべそをかく副将が、顔の横を掠め飛ぶ矢に悲鳴を上げて身を竦める。混乱している間にも敵の矢は頭上から降り注ぎ、背中を任せていた国府騎馬は今や敵となって次々と自軍の兵らを蹴散らし陣に迫っている。

「訳が分からぬのは俺も同じじゃ! それよりもまずいことになったぞ。三方を敵に囲まれた上に帰巣の術を失うてしもうた。一体城柵の中で何が起こったのじゃ⁉」

 為憲の顔には既に今までの優勢の余裕は微塵もない。

 あまりに唐突に崩れた自軍の形勢に慄然としながら自陣を見渡す。国府将兵の多くは混乱に呑まれてしまい、騎馬の蹄に追い立てられて逃げ惑い、或いは矢雨を避けるのに精一杯で最早兵としての軍律がなされていない状況であった。

「ええい狼狽えるな。者共よ、我らの使命は国府の守護であることを忘れたか! 敵の旗が櫓に上ったのであればそれを引き摺り下ろしにかかるまでじゃ。見よ、正面の将門にせよ、北からの新手にせよ小勢ばかり。我らの優位は未だ揺るがぬ! 前列の者は敵の進軍を食い止めよ。後方の者らは俺と共に背後の裏切り者共を成敗し、国衙を奪還する。後に続け!」

 国衙には為憲の父である常陸国長官維幾や中央から遣わされた詔使らが残されているのである。一刻も早く安否を確認せねばならぬ。

 木偶の如き有様の配下達をなんとか叱咤しながら手綱を引きかけた為憲の頬を唸りを上げて金棒が掠めた。

「――っ! お前は、興世王⁉」

 寸でのところで一撃を交わした為憲は、鬼の如き形相で挑みかかる相手の正体を知って愕然とした。そこへもう一騎の武者が近づいてくる。

「……また会うたのう若造よ。どうした、何時ぞやの威勢は何処に仕舞ってきたのじゃ、ええ?」

 そう言って馬上から国府武将の首級を片手に掲げて見せるのは以前石井営所で為憲の態度に立腹し食って掛かってきた遂高である。

「そんな馬鹿な……将門一味が我が本陣まで踏み込んでいるだと⁉」

 見れば、正面に展開していた先陣の将兵は既に悉く討ち取られ、徒兵の骸が地を覆っているばかり。一方、騎馬を正面に据えて進撃を果たした将門勢は目立った損害を見せぬまま揃い踏みして国府本陣へ直接攻撃を加えるまでに至っていた。堪らず逃走を図る国府の敗走兵らは真樹率いる加勢の騎馬勢に行く手を阻まれ一人残らず血祭りに挙げられた。

(まさか、将門の騎馬勢がこれほどのものであったとは!)

 すぐ傍で耳をつんざくような悲鳴が迸り、思わず振り向くと、命乞い虚しく敵武将の刃を受けた副将が、血の泡を吹きながら今まさに馬から崩れ落ちるところであった。

「お久しゅうございますな為憲殿よ。……お会いしとうございましたぞ!」

「ひ――」

 顔に浴びた返り血もそのままに凄みを利かせた敵首魁の笑みを前にして悲鳴のような引き攣った声が漏れる。此処に於て為憲は常陸国府の敗北を悟ったのであった。



 ――仍て彼此合戦するの程に国の軍三千人、員の如く討ち取られぬ。将門の随兵は僅に千余人。府下を押し塘むで、便ち東西せしめず。


 完全に包囲された国府軍三千は全て討ち取られ、為憲ただ一人のみ辛くも戦場から落ち延びえたのであった。



 此処に、常陸国府との合戦は将門側の勝利に終わったのである。

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