第3章 動乱の勃り 常陸国府の攻防 1


 同年霜月、常陸国府。

 

 それはまさに要塞の態であった。

 国衙周辺を囲むように幾重にも柵を巡らせ、それらを更に取り巻くように盾を負った兵を配し、各所に陣取る弓隊数千の照準を定める双眸、そして彼らを率い馬上にある武将の眼差しも一様に険しく数町隔てた将門一群を揃って睨み据えている。

 薄氷が如き緊張を孕む国府軍総勢はざっと見渡しただけでも三千は下らぬであろう。

「おいおい、あれは仮にも政所ぞ。この物々しい出迎えの様子では交渉の余地も知れておるのう」

 大将の傍らで金棒を肩にした興世王が肩を竦めてみせるが、その顔色は流石に青い。

 常陸国府軍三千超に対し、将門勢一千。相手の三分の一にも満たぬ兵数である。

「この様子では貞盛捕縛の試みも先方に知れておるでしょうな」

 唯一の切り札を取り逃がした悔しさを滲ませながら経明が呟く。

「今更嘆いたところで始まらぬ。まだ解決の糸口が全く潰えたわけではあるまい」

 そう言ってちらりと遂高が馬上で沈黙を続ける主に視線を向ける。

 皆の注視の中で、将門は腕を組みながら国府側へ差し向けた使者の帰還を押し黙ったまま待ち受けていた。


 

 ――件の玄明等を、国土に住ましめて、追捕すべからざるの牒を国に奉る。


 それまで常陸国府に対し玄明の在居の事実を一貫して否定していた将門であったが、玄明を郎党に加えたことでその主張を一転し、右の旨を書状にしたため常陸へ申し出たのであった。しかし、これに対する常陸国府の回答は皆の予想通り「断じて承引せず」というものであった。

 更に常陸は、「直ちに玄明の身柄を引き渡さずば武力の行使も辞さず」という極めて高圧的な最終通告を示してきたのである。


 貞盛を捕らえ交渉の切り札とする目論見も外れた将門らは、最早自らも武力を前に推しての直接交渉に臨む他選択の道は残されていなかった。


 常陸へ赴くにあたり、将門の弟らをはじめ、一族郎党の主だった者らが石井営所に集められた。居並ぶどの顔ぶれも皆、かつてない緊迫した面持ちで協議に臨んだ。

 相手となるのは野本、川曲、子飼渡で競り合った良兼や良正のような身内争いのそれとはまったく規模も性格も比較にならぬ、中央政府に直接連なる親王任国の国府である。互いの間に矢の一本が飛び交うだけでも国家への反逆となる事案に直面しているのであった。ほんの一歩誤れば一族郎党諸共に逆賊となる事案である。一座の緊迫の度合いは計り知れない。

「改めて申すまでも無き事であるが、この期に及んで玄明を責めることは許さぬ。事は我らが一門全てを陥れるために貞盛奴が仕組んだことは既に明白じゃ。交渉が如何なる結果になろうとも、坂東にある我が一門の結束、事の最後まで一蓮托生であることを忘れてはならぬ。良いな!」

 応! と皆が声を揃えてそれに応えた。

 それに満足そうに頷いた将門が一座の中に控える興世王へ顔を向ける。

「権守殿。貴殿には済まぬことになった。これは我らと隣国との揉め事である故、貴殿をこれ以上巻き込むわけにはいかぬ。心苦しいが、貴殿に火の粉が降りかかる前にこの地を離れた方が賢明じゃ。折角この俺を頼ってくださったのに、このような思わぬ事態となり、誠に申し訳ない」

 頭を下げる将門を前に、驚いたように興世王が腰を浮かせる。

「おいおい将門殿、まさか身共を除け者にして常陸に挑もうというのではあるまいな!」

 心外だとばかりの興世王の様子に目を剥く将門と一座の視線を浴びて彼は腹の底から呵々と笑いながら片目を瞑ってみせた。

「身共はのう、貴公と武蔵国府で初めて相まみえた時、堪らなく嬉しかったのじゃ。隣国に良き友を得たと思うてのう。生涯の友を得たと思うたものじゃ。白状すれば、貴公の人柄に惚れておる。その友が窮地に陥らんとしているときに我一人おめおめと逃げ出して何が友じゃ! 将門殿よ、どうかこの身共を爪弾きにしてくれるな。この興世王、将門殿を兄と慕い最後の時まで共に居ろうぞ。譬え御上を敵に回そうとな!」

「興世王殿……!」

 将門よりも先に感極まった一座の者達が彼の手を取り握り締める。

 その様子に遂高もまた涙を浮かべながら頷いた。

「まだ望みは失われたわけではない。交渉の結果など、一度直接詰めかけて見なければ判らぬものじゃ。皆よ、必ずや我ら一門の安寧を再び取り戻そうぞ!」

 将門の宣言に、一座は再び力強く答えたのだった。



「それにしても、常陸からの兵がこれほど多く集まるのは少し予想外でしたな」

 今更ながら意外そうに遂高が呟く。


 ――部内の干戈を集め、堺外の兵類を発して


 この度の最終交渉が決して一筋縄には解決せぬものと見込んだ将門は、対抗武力を固めるために予め下総のみならず近隣諸国に密かに兵を募ったのだが、その大部分は常陸国からの志願兵であったのである。

「自国の国府への強訴というのに、これ程兵を占めるとは……」

「……これが我が国の実情じゃ。遂高殿、今にきっと民が抱く国府への真情をその目に垣間見ることになりましょうぞ」

 独り言じみた遂高の言葉に不意に玄明が思わせぶりな答えを口にする。

「ときに遂高殿。万が一常陸勢と事を構えることになろうとも、御案じ召されるな。我らは必ず勝ちまする」

 そう言って敵の頑強極まる布陣を指さして見せる。

「あれは一見防備を凝らしたように見えて、抜けだらけじゃ。堀もこさえていなければ、柵も徒兵を防ぐばかりの低いものにござる。我ら虎の子の騎馬勢の機動攻めを想定しておらぬ。後は御大将のお手並み次第じゃが、安心なされよ、御君の手腕なれば多勢が相手とて物の数にはなりますまい」

「これ、まだ使者が戻っておらぬうちに何を言うか。戦になどなって堪るか!」

 そう叱責しながらも遂高の中では玄明の評価は少なからず変わっていた。


 ――邪魔立てすれば国守とて容赦はせぬぞ!


 貞盛追討の場面にて、そう凄みながら維扶へ刃を振りかざした玄明の胆力は並大抵のものではなかった。

 内心、玄明が貞盛と結託し将門を陥れようとしていたのではないかと疑っていた遂高であったが、あの出来事以来、彼の中では別の意味での疑惑が膨らんできていたのである。

(この男、只の田舎分限者ではないな。……一体何者じゃ?)


「伝令!」

 その声に一同がハッとして顔を上げた。

「常陸国府からの回答状であります!」

 馬の息を切らせて馳せ参じた使者の帰陣に皆が注目する。

 しかし書状を手に畏まるその顔色を見た将門は、それを開く前に内容を察した。

「殿……」

「わかっておる。……既に覚悟を決めていたことじゃ」

 将頼の声に頷きながら、震える手で差し出された書状を開き、一同が固唾を飲んで見守る中、将門は国府の回答を読み上げた。



 ――合戦すべき。



「……相分かった。――鏑矢用意! 全軍正面からの矢に備えよ!」


 将門の号令と同じくして、国府陣地より高らかに法螺が吹き鳴らされ、最前列の弓手が一斉に弓弦を引き絞った。




 時に天慶二年十一月二十一日。


 ここに古に謳われし坂東の動乱、将にその戦緒を解かれん。




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