第1章 陰謀 4 


 深夜。

 営所の者が殆ど寝静まった中、将門の居室のみ煌々と灯が燈されていた。

 夜光に誘われた大きな蛾が一匹、バタバタと羽根を鳴らす音がここまで聞こえてくる程静かな夜であった。

 後は遠くの秋虫の音か。夜風が肌寒く感じる季節である。

(……お人好しめ、そんなに何もかも一人で抱え込むことはあるまいに)

 少し離れた濡れ縁から灯の方を見つめていた美那緒が心中で呟く。

 常陸への対処について態度を決めた後も、相変わらず営所の主は毎夜遅くまで部屋に籠りがちであった。時折月の明るい夜になど部屋から出て来たかと思うと、縁側の柱にもたれてぼんやりと夜空を眺めていることもある。ともするとそのまま寝入ってしまうこともあった。風邪を引いてしまうのではと、毎晩心配でならない。

 そんな時、自分が傍に寄り添っていられることが出来たら、と思う。……そして結局、それを躊躇う自分に負けてしまう。

(……ならば、俺は何のためにここに居座り続けているのじゃ)

 ふと込み上げるものにいたたまれなくなり、そっと美那緒はその場を後にした。


 自室に戻ると、部屋の前で胡坐をかいた人影が見えた。

「シロか?」

 手燭を翳すと真っ白な男の髪がぼんやりと闇に浮かび上がった。

「お頭、言われた通り調べてきやしたぜ!」



 遂高の居室に通された僦馬の青年を見て、「おや?」と部屋の主が声を上げる。

「たしかおまえは、営所に出入りしている馬方ではないか?」

「シロと申しやす。お頭のお言いつけの通り、ざっと調べを付けてきやした」

 片膝ついて畏まるシロの、名前の如く真っ白な髪と真っ赤な双眸を興味津々と覗き込んだ秋保が、相手の意外と端正な顔立ちに思わず頬を紅く染める。

「まずは早速、玄明についてですが、こいつに下された追捕令、これは調べた限りじゃ国府からの濡れ衣だ。だが丸っきりこの男が潔白ってわけじゃねえ」

 シロの物言いに美那緒と遂高は揃って眉を顰める。

「そもそもこの男は常陸国の那珂、久慈の二つの郡を跨いで広い所領を治める、近辺でも名の通った土豪だったらしい。そこそこ力のある分限者だから周りのやっかみもあって評判は分かれるが、聞いて回った限りじゃ表立った乱暴狼藉の類は聞こえてこなかったぜ。それが突然、寝耳に水の追捕令で、所領を棄ててうの体で逃げ出したってのは本人が言う通りで間違いはなさそうでさあ。……ところが、その後の振る舞いが問題だ」

 何処か愉快そうにシロが薄笑いを浮かべる。

「この御仁、逃げるついでの意趣返しのつもりか知らねえが、よりによって行方なめかた、河内の不動倉に押し入って、中の備蓄米全部かっぱらっていきやがった」

「不動倉に手を付けたのか!」

 流石の遂高も息を飲む。

「……それは只事では済まぬぞ」

 不動倉とは、太政官符で定められ国府が厳重に管理している米蔵のことである。本来は政府ないしは国守の許しがなければ開封し中身を動かすこともできず、無論これを破ったとなれば大罪となる。

「それにしても不動倉二か所分の米俵と言やあ、べらぼうな量になるはずだが、その奪った米は何処で売り捌いたんだか隠したんだか、ぱったりと消えちまった。結局、盗み出した米が何処に消えたかは判らねえ。がっちり封印された御用倉を玄明一人でどうこうできるわけもねえから、相当な手勢で倉破りを働いたんだろうが、そいつら郎党一味も何処に散ったか隠れたか、米と一緒に行方をくらましちまった。……取り敢えず、玄明絡みで判ったところは、こんなところでさあ」

 ううむ、と遂高は考え込む。

 玄明への追捕令が常陸国府の言い掛かりだということはこれではっきりした。しかし結局、玄明が大罪を犯したことには変わりはない。しかし何故そんな大それたことを働いたのか。シロの言う通り、只の意趣返しのつもりだとしても、事の重大さは書状の内容の比ではない。

 涙ながらに身の潔白を将門に訴える先日の玄明の悲壮な姿が目に浮かぶ。

(……まったく、とんだ食わせ者じゃ!)

 内心で舌打ちをする遂高を前に、シロは話を続ける。

「それと、この件に貞盛が関わっているのは間違いねえ。ここンとこ頻繁に常陸国府を出入りして国介と何やら盛んにやり取りしてるらしい。勿論、玄明がここに逃げ込んでるのも知ってるだろうよ。或いはここに逃げ込むよう仕向けたのもこいつじゃねえかな。この貞盛が殿様に因縁吹っ掛けようと維幾に何か吹き込んだんじゃねえかって俺は思うね」

「おまえもそう思うか?」

 シロの見立てに、遂高と美那緒は視線を交わして頷いた。

 元来、国府と地元豪族は決して仲の良い関係ではない。ある意味目の上の瘤ともいえる玄明のような存在は格好の生贄であろう。常陸に居られなくなったとすれば駆け込む先は限られている。何故去り際に不動倉に手を付けたかは判らぬが、事の黒幕が誰であるか、そして何を企んでいるかは大方察せられた。

「……それともう一つ気になったことがあるンだが、調べてる間中、どうも妙な連中が俺の周りをうろついてやがった。玄明の取り巻きか貞盛の手先か知らねえが、この二人のどちらかを嗅ぎ回られたくねえ奴らがいるらしい。こちとら陰謀事に首突っ込んでんだから危ねえ橋渡ってンのは百も承知だが、その連中、どうやら只者じゃなさそうだ。お頭や旦那も、念の為用心した方が良いですぜ」

「済まぬな。おまえもくれぐれも気を付けるのだぞ」

 礼を言う遂高に深く低頭すると、シロは立ち上がった。

おいらはもう少し貞盛の動きを探って見まさあ。進展があればまた報告に伺いますぜ」

 そう言って部屋を出ていくシロの背中を見送ると、遂高は再び腕を組んで唸った。

「――そうか。やはり貞盛が裏で糸を引いておったか」




 ……やがて遂高の部屋から灯が消えた頃、営所の傍の河辺を漫ろ歩く一人の人影があった。

 月明かりが騒がしく寝付けずにいた経明が、ふと思い立ち散歩に出かけたのである。

(外に出てみれば、静かな夜じゃ……)

 月光を浴びて銀色に光る薄の若穂を何気なく眺めながら歩いていると、ふと木立の陰に、間もなくその盛りを終えようとしている萩の花を見つけた。

(――萩野殿)

 蘇るのは、二度目の逢瀬の夜。涙ながらに床を立った後朝の別れ。

 思えば、あれが最後に見た美しい人の姿であったか。

(……まるで、つい昨日のことのようじゃ。未だにすぐ傍らであの人の吐息を感じられるような気がしてならぬ)

 込み上げる思いに肩を震わせながら咲き残りの萩の枝に手を伸ばす。

 その途端、ふっと月に叢雲が掛かり、経明の指先は花に触れることなく、ただ闇を掻いただけであった。



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