第1章 陰謀 3
常陸国府より、長官維幾の子息、藤原為憲が使者として石井営所を訪れたのは、未だ蝉の音がかまびすしい残暑のとある晴れた日の事であった。
「単刀直入に申そう。貴殿の匿っている大罪人を直ちに引き渡してもらいたい」
将門の前に通された為憲は、席に着くなり前置きは無用とばかりに切り出した。
「それについては、幾度もそちらからの書状に返答申し上げている通り、そのような者は我が領内には居りませぬ。謂れなき言い掛かりに当方も大変困惑しているところでござる」
毅然と言い切る将門の態度に、相手の言葉にも力が籠る。
「この上まだ
使者の強い口調に、同席していた将頼ら家臣達に無言のざわめきが広がる。
将門も知らず声に怒気を孕む。
「……そこまでお疑いならば我が営所、我が領内を全て貴殿の手で直接改めて頂いても結構! 但し、他国の官吏が我が下総領内を捜索されるおつもりならば、まず下総国府にて然るべき許しを得た上で参られよ!」
「ではいずれそうさせてもらおう!」
埒が明かぬとばかりに将門を睨みつけると、為憲は肩を怒らせて立ち上がった。
床を鳴らして退出しかけた為憲が、ふと立ち止まって将門を振り返る。
「……そういえば、元武蔵の権守も一緒に食客として囲っているとか。よもや貴殿ら、再び結託して謀反の企てを図っておるのではありますまいな?」
フン、と鼻で笑いながら歩み去ろうとした使者の前に、「待て小僧!」とドスの効いた声を上げて遂高が腰を上げた。
「随分と威勢の良い啖呵を聞かせてくれたわ。しかしのう、我が君と興世王殿の無実を中央に対し解文にて証明してくだされたのは其許の国府ぞ。其許の上官たる親王殿下が印鎰を捺して御上に上申されたものに、たかが府吏風情の其許如きが異を謂うか? 身の程を知れ若造がっ!」
遂高の剣幕に大いにたじろいだ為憲は、相手を睨み据えながらも無言のまま足早に帰っていった。
ほっと一同が溜息を吐き出し、将門もどっと疲れたような顔で肩を下げながら、「もう出てきて良いぞ」と奥の間へ呼びかける。
すると、今まで事の成り行きを息を潜めて伺っていた興世王と玄明が、居たたまれぬ面持ちで姿を現した。
「重ね重ね済まぬのう。身共のせいで余計な嫌疑まで受けてしまったようじゃ」
「其許のせいではない。まあ、同席されては話が拗れはせぬかと念のため外に控えてもらったが正解だったようじゃ。――しかし、玄明殿」
興世王の隣で俯いたまま座する玄明を、将門は厳しい顔で見据える。
「――そなた、この俺に何か隠しておることがあるのではないか?」
問い詰める将門へ、顔を上げた玄明は縋るような眼差しを向ける。
「将門殿。どうか信じて頂きたい。自分には、今国府の者が話していたような大罪を被る身の覚えはないのじゃ。ましてや貴殿に隠し立てする後ろ暗き覚えもござらぬ。……もし信じて頂けぬというならば、この首召されても結構じゃ!」
涙を浮かべて無実を訴える玄明と、強面を崩さずそれを見下ろす主君を、一同ははらはらと見守っていたが、やがて、
「……そなたの言を信じたいが、それで事が収まるものでもない。仮に常陸の要求を呑んだところで、恐らく結果は同じじゃ」
じっと玄明を見つめたまま、将門は彼の前に腰を下ろした。
「そなたを我が従類として召し抱える。我が郎党の一人ならば、それを庇い立てする名目も立とう。――皆よ」
立ち上がると、一同を見回して将門が口を開いた。
「俺は常陸国府の要求に抗おうと思う。本件は最早玄明一人に対する言い掛かりではない。この将門、我ら一門に対する言い掛かりじゃ。断じて常陸の威圧に屈することはできぬ。良いな!」
主君の言葉に一同が低頭し同意を示す。
「有難き事にございまする!」
玄明は顔を覆って咽び泣いた。
(是非なき事じゃ。……しかし、相手は親王任国の官庁じゃ。真っ当にたてついて敵う相手ではないぞ)
主君の決定に同意を示しつつも、遂高の胸中は複雑な思いに満ちていた。
(……それにしても、玄明殿を一門に加えるのはちと早まった決定じゃ。未だ素性のはっきりせぬ男だというに――)
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