第3部

間章 天慶の動乱



 天慶二(九三九)年皐月、出羽国秋田城。


 戦の爪痕生々しく残る秋田城の傍に布いた官軍陣地周辺では、焼け残った城内の営倉へ甲冑や弓矢など武具類を搬入する人足達が忙しく行き来していた。

「受領様、押領使様御一行が着陣致しました!」

「おお、待ちかねておったぞ!」

 砦の焼け跡を忌々し気に見上げていた出羽守藤原興世は、腹心の報告にぱっと目を輝かせる。

 本陣を出て出迎えると、陸奥の援軍を引き連れた藤原梶長らが、丁度馬を降りたところであった。

「梶長殿、遠路はるばるよう参られた。これほどの陸奥の大軍を率いて駆け付けてくださり、まことに心強い限りじゃ!」

 手揉みして労う国守に、押領使も畏まりつつ破顔する。

「何の。山の一つ二つばかり越えて来ただけのことにござる。ざっと搔き集めて来たばかりの手勢にございまするが、貴殿の軍勢と合わせて五千は下らぬであろう。この大軍にて不埒な俘囚共を蹴散らさば、此度の争乱も程なく鎮圧できることでしょう」

「実に頼もしいことじゃ。彼奴らの小賢しさは舌を巻くばかり。おかげで幾度煮え湯を飲まされたか知れませぬわい。だが、今度こそ逆賊共も、これで終いよ。後は権守殿の着陣を待つばかりじゃ」

 そう言って興世は再び焼け落ちた秋田城に目を遣る。この砦の焼失は彼にとって屈辱以外の何物でもない。


 同年三月十五日。秋田城に程近い男鹿、八郎潟近辺十二村の俘囚らが突如蜂起し、秋田城、並びに周辺の官舎、民家を悉く焼き払った。

 阿弖流為アテルイの大乱以降、特に大きな騒乱には見舞われず平穏な治世の続いていた秋田城においては、本来規定されているはずの常備軍すら置かれておらず、為す術もなく官勢は敗走、住民達は津軽に逃げ散った。

 当初は政府側も穏便な解決策を図ったものの、騒乱はみるみるうちに拡大し、津軽の俘囚が大挙してこれに加わったのを受け、同年四月四日、陸奥国に二千人の援軍派遣が命じられたのである。

 しかし、焼山の合戦にて千を超える俘囚勢を相手に官軍六百のうち五百を超える戦死者を出し敗退するなど苦戦を強いられていた。

 事態を打開するために、政府は上野、下野に援軍派兵を命じた上、指揮官として藤原保則を出羽権守に任じ、秋田城に軍勢と物資を集結させていたのである。

 

 その決戦に備えた物資が、続々と城内に運び込まれていく。担ぎ手の人足達は、皆周辺の村々から強制的に徴発された住民達であった。

「うむ? お前ら、それを何処に運ぶつもりじゃ?」

 人足達を監督していた武将が、城柵の傍に矢を入れた箱を並べているのを見咎めて声を上げた。

 監督の咎めが聞こえぬ素振りで備品をあちこちに持ち運ぶ人足達に憤った武将の傍を、甲冑を着込んだ人足が横切るのを見てとうとう怒りの声を上げかける。

「おいお前ら、何勝手なことを――ぐえっ!」

「……悪く思わねェでくれよ?」

 背後から口を塞がれ背中を抉られた武将の耳元で、血の滴り落ちる刀の柄を握り締めながら人足の一人が囁いた。

「……あんたらの横暴に腸煮えくり返ってンのは、何もお隣さんたちだけじゃねェんだよ」


「おや? おい、城内に展開しているのはどこの部隊じゃ?」

 城柵の傍にたむろしていた兵士の一人がふと気づき、城の方を指さす。

 問われた兵士がその方向を見れば、甲冑に身を固めた将兵がずらりと配置に付き、弓に矢を番えている。

「いや、儂は聞いておらぬぞ。まだ我らの編成の指図も受けておらぬが?」

 首を傾げる兵士達に向けて城の兵士達から矢が向けられるのを見るに及び、初めて彼らは驚愕に目を見開いた。


 突然城の方から上がった悲鳴と怒号に、本陣で酒杯を交わしていた興世と梶長は驚いて腰を浮かしかけた。

「一体何の騒ぎじゃ⁉」

「人足共です! 人足共が俘囚に寝返りました!」

 息せき切って駆けこんできた兵卒の報告とほぼ同時に、城の方から高らかに法螺の音が響き渡った。

 それを合図に、陣の正面、真北の方から、怒涛の勢いで俘囚勢の騎馬隊が蹄を鳴らし攻め寄せるのが見えた。

「彼奴、一体何処に隠れ潜んでおったのじゃ⁉」

「敵襲じゃ! 者共、備えよ!」

 陣の前に待機していた官軍勢が速やかに迎撃の態勢を取る。

「押領使様、矢が足りませぬ。手持ちの他は全て城の中でございまする!」

 悲鳴のような部下の声に梶長が余裕の笑みで返す。

「狼狽えるな。我らは五千、兵の数で圧倒しておる。敵が正面から挑むならば、我らも正面から騎馬で踏み潰してやるまでじゃ! 受領殿、城の鎮圧は任せましたぞ!」

 陣頭に立った梶長が配下の陸奥軍に号令を下す。

 しかし軍勢が一斉に陣を立つ中、一個部隊が微動だにしない。

「おい、貴様等、只今の号令が聞こえぬか!」

 戦を前に怖気づいたかと見た副将が先頭の毛皮を纏った騎馬に詰め寄った。

 叱責を受けた騎馬武者がおもむろに兜を脱ぎ捨て――白刃を閃かせた。

「な――」

 余りの斬撃の重さに馬が悲鳴のような嘶きを上げる。

 咄嗟に受けた太刀ごと兜を断ち割られ、副将は血を噴いて馬から崩れ落ちた。

「ヒャハハハ! 脆い、脆いのうやまとの剣も甲冑も! 胆沢いさわ川の蟹の方がまだ歯応えがあろうて!」

 白狼の毛皮を翻し哄笑を響かせる武将の背後で、他の騎馬達も官軍の肩章を引き千切り、刀を払い、弓を構える。

「倭の将兵共よ、よう聞けい! 我こそ阿弖流為が戦士の末裔、笏部コヅベンなり! 同胞はらからよ、只今奥六郡より加勢に参ったぞ!」

 蕨手の太刀を掲げ名乗りを上げる援軍の登場に、城の人足達は大いに喝采を叫ぶ。

「何たることじゃ、友軍に俘囚共が紛れ込んでいたか!」

「それよりどうなさるか、我らは囲まれてしまっておるぞ!」

 背後からの敵の出現に興世と梶長は顔色を変える。

「ヒャハハハ! 怯えろ怯えろ、せいぜい怯えておれ! 歯応えのある奴は掛かってこい! 我ら胆沢狼のあぎと、その身を以て知るがよい! 皆よ、この地に跋扈する倭の兵の血を以て我らの大地を紅く染めてくれるぞ。――かかれ!」

 俘囚勢に包囲された出羽・陸奥連合軍五千はたちまち総崩れとなり、国守興世は逃走し、梶長は山道を辿って逃げ落ちた。


 この大規模な俘囚の反乱は、前年の凶作と秋田城司良岑近の苛政が発端であるとされ、この敗走の直後に着任した出羽権守藤原保則により八月になってようやく鎮圧されたのである。


 また、同年には暫く沈黙を保っていた瀬戸内海の海賊、藤原純友が再び周辺諸国で暴れまわり、十二月には摂津国にて激しい合戦の末、備前、播磨の国介が捕虜となる事件が起こり、西日本を震撼させることとなった。

 この深刻な事態に、朝廷は具体的な対応もままならぬまま、連日国難調伏の加持祈祷を行うなど神仏に縋る他ない状況であったという。


 北日本、西日本が未曽有の動乱に飲み込まれる中、坂東もまた、大きな波乱を含んだ暗雲が、将門達の元に徐々に迫りつつあったのである。

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