第3章 興世王登場 5
狭服山陣地から、のっしのっしと甲冑姿の恰幅の良い男が一人で武芝陣へ下り、兜を取ってみせた姿を見た武芝勢は大いにどよめいた。殺気立って太刀の柄に手を掛ける者すらある。
「身共は武蔵国府権守興世王である。此度の調停役平将門殿配下の者はおるか?」
自分を取り囲むぴりぴりとした空気を気にする素振りもなく問いかける興世王の前へ好立が駆け寄った。
「推参いたしまする!」
そう言いながら立膝を付いた好立は内心(ありゃ?)と拍子抜けした。
皆が当代一の悪徳受領と口を揃えて言うものだから余程の悪人面かと思っていたが、見ればまん丸い顔の中で太い眉毛の下にぱっちりした双眸、ぷっくりした唇が何処となく愛嬌を感じさせる、見るからに人懐こそうな顔立ちなのである。
(なんじゃ。余程凄みのある相貌が御出座しになるかと構えておれば、随分と人の好さそうな父っちゃん坊やが出て来たわい)
などという失礼な感想はおくびにも出さず、
「某、下総国平将門が与力文室好立。これより協議の場へ先導仕りまする」
と畏まる。
「大義である。わざわざ遠くから済まぬのう」
それにしても、と権守は苦笑を浮かべながら周囲に陣取る大軍勢を見回す。
「おいおい足立の者らよ。いくらなんでもこれはちと大げさすぎる取り巻きではないかえ? これだけ引き連れてきては昼飯代だけでも馬鹿になるまいて」
この物言いに芝勢の中には小癪に感じた者もいたらしくあからさまに顔を顰める者もいれば聞こえよがしに得物を打ち鳴らす音も響き渡る中、当の本人の肝の据わった様子にますます毒気を抜かれた好立らに導かれて興世王は国府へと向かっていった。
武蔵国府、国衙の広間にて控えていた将門と武芝達は、「権守御出座!」の声に揃って低頭した。
「面を上げられい」
威厳溢れる権守の声に畏れ入りつつ顔を上げた将頼と遂高は、主君の後ろで(ありゃ?)と思わず先刻の好立と同じような反応を示したが、流石に将門と武芝は顔色一つ変えることなく官服に着替え上座についた興世王を注視する。特に武芝は平静を装ってはいるものの、その内にぴりぴりとした憤怒を堪えているのが傍らの将門にも伝わってくる。
「権守閣下にあらせられては、御政務慌ただしき折にこの度の調停の席に御出座頂き、忝きことにござる」
内心の感情を表に現すことなく深々と額づく武芝に、興世王は呵々と笑いかける。
「苦しゅうない。こちらもいつかは貴公との協議の場を設けねばと案じていたところ、なかなか機会がなくてのう。身共こそ今になって貴公に足労をかけてしもうたこと、まことに心苦しい限りじゃ」
おや? と武芝は顔を上げかける。意外なほど相手の態度が柔らかいことに少々戸惑った様子である。
「将門殿と申されたか。この度隣国より我らの調停に進んで名乗りを挙げられたとか。その御心意気、身共は感服いたした。感謝申し上げるぞ」
「はっ!」
畏まって低頭した将門は、一同をざっと見渡した上で開始を示すように小さく咳払いし、調停書を広げる。
「――それでは、僭越ながらこの将門、早速協議の進行を務めさせて頂きまする」
将門が調停書を読み上げている間、武芝は相手の反応を伺うかのようにじっと上座の男の顔を注視している。無言で目を瞑り、時折うん、うんと相槌を打つように頷いて見せる権守の様子を見つめながら、将頼と遂高は小声でひそひそと囁き合った。
(こう言っては何だが、聞いていた噂と随分印象が違うのう)
(まあ、御面相のことは敢えて何も申し上げぬが、やはり此度の黒幕は介経基であったか。この場に顔を出されぬのが気に掛かりまするが)
やがて調停書を読み終えると、深い溜息を吐きながら興世王は武芝に微笑みかけた。
「貴公の訴え、確と受け取った。……郡司の申す通り、この度の諍いの発端、一切我ら国府方に非があった。この場を以て陳謝致す」
「おおっ!」
思わず武芝は声を上げて身を乗り出した。
「検封留め置いた営倉も直ちに解放の上、押収品も全て返還致そう。また、当年度の足立郡への課税は免除と致す。これで承服してもらえぬだろうか?」
「も、勿論ですじゃ。……有難き事にございまする!」
あわや戦にまで発展しかけた諍いが落着し、それも自分達の主張が全て認められたことに感極まったのか、平伏する武芝が肩を震わせ畳の上にぽたぽたと涙を零した。
書面を手にした将門もまた、臣下共々、ほう、と肩で息を落とす。
「……将門殿よ、貴殿に改めて感謝申し上げるぞ」
安堵の溜息を漏らす将門に顔を向け、興世王は頭を下げる。
「正直に申せば、よく事前に調べもせず、善司に対し成り行きに任せて公権を振りかざし聊か乱暴な振る舞いに及んだこと、身共は悔やんでおった。しかし、あまりに騒動が大きくなりすぎて、最早身共一人では収拾がつかぬことになっておったのじゃ。国介は承知の通り頑固で話にならぬしのう。貴殿がこの度の役目を買って出てくれなければ、この争いの決着、一体どうなっていたか知れぬ。よくぞお力を貸してくださった!」
「……まこと、なんと礼を申せば良いか!」
武芝も咽びながら将門に低頭する。
「自分はただ横から嘴を挟んだだけの事、勿体ないお言葉にございまする」
平伏する将門の後ろに控えていた経明が、
「では、急ぎ双方の陣へ和睦相成った旨、伝えてまいりましょう!」
と席を立った。
「それでは、これより手打ちの祝いとして、ささやかではあるが酒宴を用意致そう。どうかゆるりとくつろいでいかれよ」
こうして、武蔵受領と足立郡司の諍いは、将門の執り成しによって丸く収まろうとしていた。
……ところが、
「――殿、一大事でござるっ!」
宴席で和やかに杯を交わしていた一座の元に、血相を変えた経明が思いも寄らぬ事態を告げに駆け込んで来たのである。
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