第3章 興世王登場 4



 同年卯月、武蔵国足立郡付近。


 予め使者を立てた上で、将門ら一行は隣国の武芝所領へ向けて馬を進めていた。

「……それにしても、随分あっさりと国境を通してもらえましたな」

 将頼が呟く。

 下総、武蔵の関所を通過する際、将門の旗印を認めるや否や、たちまち守衛らは皆引っ込んでしまい、ろくに詮議を求めることなく将門の越境を見送ったのであった。

「面倒事に関わりたくないと顔に書いてあるようなものじゃったのう。何のための関守なのやら……」

 おかげで馬を止めることなく武蔵に入ったが、呆れた口調で将門が返した。


 武芝は郡の集落からやや離れた野原に布陣し、配下らと共に将門一行の到着を待っていた。

「遠路はるばるよう参られた。心から歓迎致しますぞ!」

 大喜びで出迎える武芝に将門も破顔するが、目の前の陣地の物々しい様子に思わず笑顔が引き攣りかけた。

「郡司殿御自らのお出迎え、忝く存じまする。……それにしても、共に国府へ和睦に向かわれるにしては随分と仰々しいご支度じゃ」

 武芝の陣地に集うは彼の郎党のみならず部内の郷長らがそれぞれ率いる私兵、更に同調した土豪らも加わり、見渡す程の大軍勢を成していた。その意気込みたるやまるで今から国府攻略に挑まんとするが如き勢いである。

 後ろに控える遂高や経明も、思わず息を飲んだり溜息を吐いたり。

「何しろ今までこちらが下手に出る度これ見よがしに兵をちらつかせてくるような奴原じゃ。いい加減こちらもこれ以上の虚仮脅しは為にならぬと目にもの見せてやらねばなりますまいて。なに、物騒なことは某も望んではおらぬ。是非とも貴殿のお力添えを以て穏やかに和睦を叶えたいものじゃ」

「そのお言葉に安心いたし申した。実は自分も、権勢を笠に狼藉に及ぶ相手には思う所大いにあり申してな。この将門、この度は両者の調停を叶うべく微力を尽くす所存にて罷り越した次第にござる。必ずや此度の無益な諍いを平らかにし、双方の和議を果たしましょうぞ!」

 将門の頼もしい言葉に感銘を受けたように武芝は深く頷いた。

「実に御心強い限りじゃ。……さて、件の権守と国介奴の動向じゃが、どうやら我らが国府に直談判に向かうと知って近くの狭服山に配下の兵を率いて我らに威嚇を示すが如く陣を敷いておるとのことじゃ。だが、懸念するには及びませぬぞ。道義は我らにありますが故。――いざ足立の同胞よ、下総に心強き味方を得た今、悪徳権守など恐れるに及ばず。直ちに彼奴等へ我らの威勢を見せつけてやろうぞ!」

 郡司の号令に地を震わす鬨の声を上げた軍勢は、武芝、将門一行を先頭に馬の蹄を鳴らしながら武蔵国府へと向かったのである。




 ――件の権守幷びに介等は、一向に兵革を整へて、皆妻子を率ゐて、比企郡狭服山に登る。


 鉦や鼓を派手に打ち鳴らしながら幾百とも知れぬ大軍勢を国府へと進め、狭服山の麓に陣を広げる足立勢の様子を、山頂付近の自陣から金棒を肩に掛けて面白げに見下ろしていた興世王は、陣幕の陰で蒼白になって震えている経基を呆れたように振り返った。

「……おいおい介殿。陣頭指揮の貴公がそんなに縮こまっていたのでは兵の士気に障りはせぬか?」

「し、失敬な、只今敵をいかに迎え撃つかの策について、頭を悩ましておったところでござる。誰が怯えておるというか! だいたい、あの武芝! なんという、つくづく道理を弁えぬ老い耄れ郡司じゃ! 和睦などと聞こえの良い誘いを掛けておきながらあのような大軍で押し掛けてくるとは。きっと我らへの逆恨みの余り、事と成り行きによっては国府を攻め討たんという思惑を抱いているに相違ない。いや、彼奴は初めから我ら公権に対し逆心を秘めていたのじゃ。あの時郎党まとめて成敗せなんだのが我が一生の不覚であったわ!」

 揶揄い交じりの権守の言葉に、一転顔を真っ赤にして指揮棒を振り回し喚き散らす国介の狼狽振りに溜息を吐きながら興世王が尋ねる。

「して、どうするのじゃ? わざわざ隣国から調停役を買って出たという奇特な男が郡司と共に既に国府で我らを待ち侘びているとのことじゃが?」

「下総の将門であろう。罠に決まっておるわ! 聞くところによれば、彼奴は以前も常陸国の身内の争いに調停と称して介入し、その挙句相手側の一族を悉く討ち取った上その領地を焼き払ったというではないか! 此度もきっと、我らを誘いに掛けて陣から顔を出した途端にその首討ち取ろうという大それた魂胆じゃ! 儂は騙されぬぞ!」

「おいおい介殿よ、疑心暗鬼も程々にせよ。そんな謀をしても将門には何の得にもならぬだろうて」

 よいしょ、と肩に担いだ金棒をドスンと経基の目の前に降ろし、思わず「ひぃっ!」と悲鳴を上げた経基に、

「ならば貴公は引き続き陣の指揮を致せ。身共はちょっくら国府に下りて相手の意がどのようなものか聞いて来よう。くれぐれも軽はずみに兵を動かしてくれるなよ」

 と、地面に突き立てられた金棒を前に腰を抜かして目を白黒させている国介を後に残し、一人興世王は陣を抜けて山を下っていった。



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