第3章 興世王登場 3
同日夜半、遂高居室にて、美那緒と遂高は酒膳を囲んで昼間の件を談義していた。
「将門はお人好し過ぎる。折角良兼との争いも終わり漸く得た平穏の中に何故わざわざ他国の火の粉を被りに行くのか!」
口を尖らせる美那緒の酌についているのは先日より彼女の侍女として傍に仕えることとなった遂高の娘、秋保である。
裳着(女子の成人式)を済ませたばかりでまだあどけなさの残る瞳をくりくりさせながら興味津々と二人の会話に耳を傾けている。
「昔から殿にはそういう、困っている者を見過ごせぬ質がある。野本の一件も存じておろうが、あれも単なる真樹様への義理で殿が仲介を申し出たわけではないのじゃ。まあ、お父上譲りの御性分なのであろうな」
ほろ酔い顔に苦笑を浮かべながら遂高が答える。
「遂高殿。そもそも、その武蔵の郡司や権守らはどういった人物なのじゃ?」
美那緒の問いかけに遂高は「ううむ」と唸る。
「……実は権守興世王なる男は、某もよく知らんのじゃ。人伝に聞く限りではこれといって良い噂もなければ悪い評判も立っておらぬ。まあ、無難どころの中堅官僚を今まで勤めていたらしい。ところがもう一人の介源経基という奴、これはあまり良い評判の聞かれぬ男じゃ。恐らく今回の騒動は、上手く丸め込めそうな男が権守に着任したとみた経基が、国内検注を唆してどさくさ紛れの私掠を目論んだのが発端であろう」
「お父様、もう一人の武芝様という郡司様はどのような御方ですの?」
父の杯に酌をつけながら秋保も話に加わり問いかける。
「それが、この武芝という郡司はこの当世にも珍しい堅物な御方でな。領民の信望厚く他部や官庁からも深い信頼を置かれている人物じゃ。世直しという名目で良からぬ企みを以て最初に足を向けたのが選りにもよって……という所であろうか。まあ、普段まともに政務に励んでいるような真面目な官人であればそこへ検注などといってわざわざケチをつけに行ったりはせぬものだが、その経基という国介、悪評通りの分別弁えぬ男なのであろう」
ぐっと杯を呷った美那緒が深い溜息を吐いた。
「拗れそうな話じゃのう」
「そなた、案外イケる口じゃのう。……まあ、この騒動で一番慌てておるのは経基自身だろうて。ここまで騒ぎが大きくなった上に脅しとはいえ戦支度までしてしまったのだから、今更もう後には引けぬ。誰かが間で取り持ってやらねばいずれ戦で決着をつけざるを得ぬことになろう。先に述べた興世王という男、良く知らぬが名からして皇族の親系に連なる出自であろうから、或いはこの権守の出方次第で諍いの風向きは大きく動くかもしれぬが……」
ふわりと夜風が舞い込み部屋の簾を揺らし、揺らいだ灯に三人の影が漣を打つ。
「……結局は戦か。剣呑なことじゃ」
呟く美那緒であったが、これまで戦を生業の一部として糊口を凌いできた彼女自身からすれば揉め事の決着に弓矢を取る事に今まで何ら躊躇いはないと考えてきた。家も家族も寄る術を全て失い、乱世を生き残るために喜んで戦禍に飛び込み鉾を振るい、掠奪を生きる生業としてきた自分の口から何気なく零れ出た呟きに、美那緒は内心少々戸惑いを覚えた。
「いずれにせよ、ここまで騒動が大きくなるとは双方ともに予想だにしていなかっただろう。況してや戦での決着など、互いに望まぬところ。我らの調停は国府、足立郡ともに大いに歓迎を受けるであろうて。……頭目殿よ、火事場のお零れ目当てに子分らを忍ばせておいても今回は不首尾に終わるぞ?」
「はは、言うてくれるわ!」
遂高の揶揄を美那緒は鼻で笑いながら手元の酒を一息で飲み干した。
ふと、美那緒の脳裏に思い浮かぶのは、いつかの野本の戦である。
源氏方の陣地にて初めて対面した扶ら面々を見渡してみても、初めから和睦など念頭にない、嬉々として相手を悉く討ち取らんとする顔の者達ばかりであった。
もし、この度の調停の中で、三者の内いずれかが和睦の意に反する思いを抱いていたら、結局は野本と同じ結末になりはすまいか。
……胸中に微かな懸念の疼きを感じていた美那緒へ、
「――ところで、殿と閨のほうは無事済まされたのか?」
「ぶふっ⁉」
「まあ!」
唐突に尋ねる遂高に思わず美那緒は酒を拭き零し、驚いた秋保が声を上げる。
「娘御の前で何を問われるか!」
噎せ返る美那緒の粗相の後を、よく意味が分からなかったと見える秋保が慌てて布巾で拭いている様子に遂高が呵々と笑い声を上げる。
「成程。まあ、閨事まで騙しおおせれば十全なのじゃがのう。こればかりは殿と亡き御前様の間の事ゆえ某にも忠言は致しかねる。……しかし、殿もきっとそなたをまことの御前様と思いその傷心慮って今のところ自ら控えておるのだろう。なに、そなた一人で徒に焦ることはないぞ?」
「知らぬわ!」
酔い心地のから騒ぎの中、それぞれの胸に大事を前の懸念を胸に秘めつつ、さやさやと夜は更け行く。
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