第3章 興世王登場 1


 承平八(九三八)年如月。

 将門と上洛途上の貞盛が信濃国小県郡で衝突した頃と時を同じくして、武蔵国足立郡にて別の諍いが勃発した。


 この度武蔵国権守に就任した興世王という男が、着任早々に「検注」と称し、国介源経基と共に軍勢を引き連れ各地の巡回、取り締まりを実施したのである。その一番最初に訪れたのが足立郡であった。

 名目上は、各地に蔓延る不逞郡司、地方土豪の調庸滞納甚だしきこと目に余り、これを懲らしめるというものであったが、この足立郡司武蔵武芝なる人物は、曰く「公務に恪慬にして誉有りて謗りなし」と周辺に聞こえているほどの名大領であり、領民からは大いに慕われ周辺の土豪らからも信頼を寄せられていた。

 それが突如何やら剣呑な一行が領地の境界に近づいてくると見て慌てて息子達やその配下を連れてその行く手を立ち阻んだのである。

「受領殿、我が領地にそのような出で立ちでお越し召されるとは一体どのようなご了見でのことか⁉」

 馬から降りるや否や開口一番に相手の非常識を非難する武芝であったが、馬上の興世王は相手の剣幕も何処吹く風とばかりに飄々と答える。

「苦しゅうない。ただの巡検じゃ。貴殿に後ろ暗きことなければそんなに目くじら立てて構えずとも好い」

「誰の下知あっての巡検でござるか? 無論受領殿も御存じの事とは思うが、我らは古より御上の信任厚く代々郡司職を世襲仕り、判官代の肩書を有する一門じゃ。無法な検注を受ける謂れはござらぬ。そもそも、正守の御着任を待たずして国府官人が入部するなど非常識極まる。断じてここをお通しするわけには参りませぬ!」

「なに、一通りを改めるだけですぐ済むことじゃ。身共の一存だからと言って、そう怖い顔をするな」

「閣下の一存のみで我が領地を検分とな⁉ 猶の事言語道断じゃ!」

 権守とは、即ち国府における仮の国守である。たかがその一存で自らが統治を任じられている自領に武装した兵を引き連れて部内を掻き乱されるなど硬骨の武芝ならずとも到底見過ごせぬ越権行為である。

 武芝の一喝を受けても薄ら笑いを絶やさぬ興世王の様子に、息子の太郎が後尾に付いていた弟の小次郎を振り向き、無言で頷いて見せる。

(これは刃傷沙汰になるやもしれぬ。今のうちに与力や伴類らを武装させ、民らを伴い山へ避難させよ!)

 その意を酌んだ小次郎も頷き返すと、こっそりと踵を返して郷へと馬を走らせた。

「……ええい、黙って聞いておれば、何という聞き分けのない爺じゃ!」

 押し問答を繰り返す二人の間に痺れを切らした経基が割って入る。

「良いか耄碌郡司よ。畏れ多くも権守閣下の御下知は国府の御下知、即ち上意である。そのような心得も違え家風を鼻にかけ我らの公権執行を妨害するとは不届き千万。まさに大逆の不逞郡司じゃ! 只今の問答を見てそちの胸中に後ろ暗き御上への翻意ありと読んだ。これより国府権守閣下の名において一切の慈悲なき成敗を下すゆえ覚悟して控えい! 者共、続けっ!」

 そう叫ぶと押し止めようとする武芝達を振り払い、興世王の軍勢は雪崩打って足立の郷へと踏み込んだ。

 まるで攻め入るかの如き軍勢の入部を呆然と見送る武芝らに、「おいおい介殿、くれぐれも物騒な真似は勘弁願うぞ」と苦笑いしながら後に続く興世王の苦笑が聞こえた。


 集落へと押し入った権守一行であったが、既に領民らは小次郎や伴類らに守られ近くの山へ逃れた後であり、どの家屋も無人であった。

「構わぬ! 全ての営倉、舎屋を改め差し押さえよ。もし残った者がいて我らに手向かい致さば問答無用で拘束せい。かかれ!」

 経基の号令の下、配下達は片っ端から米蔵や与力らの舎宅に踏み込みめぼしい物を次々と押収、または検査の上封印した。果ては民家に押し入りこそ泥じみた略奪を働く兵士もいる。

「この集落にため込んである糧物は皆郡司一味が不正によって得たものじゃ。底を攫って探し出せ!」


 ――案の如くに、武芝が所々の舎宅、縁辺の民家に襲ひ来たりて、底を掃ひて捜し取り、遺る所の舎宅は検封して棄て去りぬ。


 営所内に侵入した兵士らが、伝家の宝物を次々と運び去っていくのを山に潜んだ武芝らが怒りを込めた眼差しで見下ろしていた。

「……おのれ、このような非道な振る舞い、決してこのままでは置かぬぞ!」

 歯軋りして憤る小次郎の背後では領民達が悔し泣きに咽び、武装した郡兵らは皆、怒りの余り今にも国府兵らに向けて矢を番えかねぬ様子であった。



「……おいおい介殿よ、いい加減そのくらいで留めておかんと戦になるぞ」

 恐ろしく殺気立つ山側の気配を背中に感じながらも、言葉ほど危機感を感じている風でもなく興世王は略奪と狼藉を続ける経基達配下に呼びかけた。


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