第1章 子春丸 4


 同月九日。法城寺付近。


 子春丸から受け取った営所の見取り図に目を通した良利は大いに喜んだ。

「これは十全じゃ! 敵陣地の急所も実に的確に押さえておる。子春丸よ、この度の働き、報酬は特に弾んでおくぞ!」

「へへ、有難き幸せにございまする!」

 良利の舞い上がりように子春丸も揉み手してやに下がる。

「師走の支度も一段落ついて、営所には従類十人程度しか泊まり込みはおりませぬ。おまけに当の将門も、連日中庭で鍛錬と称して部下らと雪合戦に興じている始末でして、営所内は油断しきっておりまする」

「雪合戦⁉ 雪合戦とな! うふふふふふふ」

 何がツボにはまったか良利が殊更に笑い声を上げる。

「それは良き鍛錬となったであろうな! 虚け奴、これから己の営所が火の海に沈むとも知らずにのう!」

 含み笑いがやがて哄笑へと変わる良利へ配下の兵が進言する。

「多田様、早速この略図の仔細を屋形営所へ伝令致しまする」

「おお、早急に頼むぞ。向こうでも年の瀬を控えて気を揉んでおられようて。既に出陣の首尾は整うておるはずじゃ。これが将門を屠る最後の戦じゃ。しくじるわけにはいかぬでのう」

 良利がその場に畏まる全兵士を見渡す。狭い廃屋にざっと二十人はおろう。

 いずれも良兼生え抜きの騎馬従類。本来なら今宵にでも嗾けたいところではあるが、生憎外は悪天候である。それに万が一にもという事はある。万端に帰すに越したことはない。

「本隊と合流次第、速やかに決行する。恐らく夜討となろう。皆そのつもりで支度せよ!」



 同月十四日夕刻。

 連日くすんでいた空にその日珍しく夕映えが坂東平野の雪原を燃えるように照らし、各々が掲げる朱色の旗と同じ色に甲冑を染めながら上総本隊六十騎が法城寺に集結したのは間もなく夕陽の最期の残光が山際に沈もうとしている頃であった。

 本隊先頭を束ねるのは良兼、その傍らに良正が威風堂々と幟をはためかせている。

「まさか殿御自ら御出陣為されるとは」

 出迎えた先発隊の良利が意外そうに言う。

「今宵将門の首級は我が手に落ちると既に天命に定められておるのじゃ。可愛い甥御の最期の時ぐらい立ち合ってやるのが情というものじゃて」

 大した感慨も無さそうな風情で馬上の良兼が鼻を鳴らす。

 そこへ良利の背後に控えていた子春丸が畏まって歩み出る。

「お初に御目に掛りまする。岡崎村が丈部子春丸。将門の下で駆使を務めておりまする」

「おお、話は良利からよく聞いておる。この度の其許の働き、まことに見事であった。かねてからの約束通り、この戦にて見事勝鬨を挙げらば、我が家臣の末席に加えてやる故、そのつもりでいることじゃ」

 頼もしい未来の主の言葉に子春丸は天にも昇る心地であった。

「しかし、今日は思いの外明るすぎますな。この分では今宵は月も隠れますまい」

 良利が沈みゆく夕陽を仰ぎ見ながら空の雲行きを案じる。

「宵が深まってからの決行が宜しかろう。今宵亥の刻を以て出陣する。今度こそ将門の命運は尽きるのじゃ。今のうちに各々英気を養っておくがよい!」

 応っ! と勇ましい武者達の声が黄昏の寺の雪原の中に響き渡った。




 その夜、密かに美那緒の寝処を訪ねるものがあった。

「シロか?」

 すぐに気配を察して雨戸を開けると、外は煌々たる月夜である。白髪を月明かりに銀色に染めた盗賊配下が膝を立て控えていた。

「夜分に済まねえ。……頭目、つい今しがた鵝鴨橋付近からこちらに大勢向かっている騎馬の軍勢がおりやす」

 美那緒の顔色が変わる。

「……夜襲か。何騎おった?」

「松明の数からして五十は下らねえと思うが、恐らくそれ以上。……まだ時はありやす。今のうちに営所の皆に報告を!」

「相分かった。ご苦労じゃった」

 伝えるだけ伝えて、風のような身のこなしで姿を消したシロを見送ると、美那緒は丁度書斎にて灯の下で書き物をしていた将門の元へと飛び込んでいった。


「主様!」

「……美那緒、夜分に一体何事じゃ?」

 月明かりも穏やかな静かな夜であった。

 只ならぬ妻の様子に目を丸くする将門に、美那緒はごくりと唾を飲み込みながら火急を告げた。


「――伯父上の夜襲にございまする!」

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