第1章 子春丸 2
同月、石井営所。
「薪はともかく干し魚や塩の相場が随分上がってはおらぬか?」
子春丸が持ち込んだ塩や薪の束を見ながら遂高は顎を撫でる。
新年に向けた備蓄である。倉前に並ぶ荷車も一台二台ではない。
「へえ、何しろ先月の富嶽の噴火で流通に大分支障が生じておりまして。産地でもエライ大打撃でさあ」
「そういえば昨夜も大きな地震があったな」
この頃は歴史上においても富士山の火山活動が非常に活発な時期にあった。
承平二年の噴火では大宮浅間神社が焼失し、子春丸達が話す承平七年十一月の大噴火では溶岩流に堰き止められた川が湖になったとも伝えられている。
「あたしはその時上総に居ましたが、房総の海からも富嶽のほうからきのこ雲が上がるのが見えましたぜ」
「となると、今年は冷夏か。炭の数をもう少し増やした方が良いかもしれぬ」
「ありがとうございます。今に炭や薪の相場もぐんと跳ね上がると思いますんで、今のうちに備蓄された方がようございましょう。ところで」
顔を上げた子春丸が営所の周囲をぐるりと見まわしてみる。
「こちらの営所は中々の規模とお見受けしますが、普段幾人ほどの御使用人が駐在しておられるので?」
「うむ。一概には言えぬが。まあ、十人か二十人ほどの従類の者が寝泊まりしておる。塩も糧食も、今回の分で一冬間に合うであろう」
人夫達が手際よく蔵へと搬入しているところへたまたま通りかかった美那緒を見かけた子春丸が「おお、御前様!」
と声を掛けて走り寄る。
「御前様、ご機嫌麗しゅう」
「今日も凄い量の荷物ね」
子春丸達の労をねぎらいながらも荷車の数に目を瞠る。
「へえ。一冬分の塩と糧食でさあ。お陰様で炭の追加も頂きました。おっと、いけねえ。忘れるとこだった!」
ふと思い出したように背に負った袋から大徳利を取り出し美那緒に差し出した。
「御前様の故郷、上総の銘酒にございまする。これで御館様と今宵は差しつ差されつ一献傾けられては如何でしょう?」
「あら、嬉しい気遣いだこと。有難く頂戴するぞえ」
喜んで受け取った美那緒の向こうから「荷下ろし方、終わりやしたぜ!」と荷役の男の声が響く。
「おお、今参る! それでは御前様、また他日ご機嫌よう」
慇懃に退出する子春丸と門の外へ引き上げていく荷車衆を見送っていた美那緒は、不意に禿頭の大男と目が合い「あ!」と声を挙げそうになった。
(フジマル⁉)
しかし大男は美那緒の動揺を謗らぬ風で軽く会釈をすると他の荷役達と共に門の外へ消えてしまった。
同日夜。結城郡法城寺付近の廃屋。
「……普段常駐するは十人から二十人程度と聞いてございまする。門番の二人を除けば後は皆平服のものばかり。太刀を佩く者もおらねば、矢倉に弓の支度もございませなんだ」
「そうか、そうか。何とも迂闊なことよのう」
仄明るい囲炉裏に居座り顔を突き合わせ嬉々として子春丸の報告に耳を傾けるのは良兼腹心、多田良利であった。その周囲には数人の良兼一党の伴類達が同様に将門方の油断を嘲笑うかのような笑みを浮かべて報告に聞き入っている。何れも弓袋山で屈辱を味わった良兼の兵ら、復讐の炎は未だ潰えていないと見える。
弓袋山で敗走し、朝廷から追捕の下令を受けた後も、良兼は将門への敵愾心を忘れたわけではなかった。最後の手段として、石井営所出入りの小間使いである子春丸の調略に打って出たのである。
「――しかしこの年の天候は我らに幸いしたぞ。例年にない豊作にこの大雪じゃ。お蔭でおぬしの得意先への出入りの機会も増えたであろう。営所を隅々まで調べ上げ、逐一この良利に報告するのじゃ。どんな微細なことでも構わぬ。次こそは将門の最期。我らはこの一策に全てを掛けねばならぬでな」
「お陰様で、あたしも営所の皆様からの多分な入用の御注文で乾く暇もありませぬ。その上、上総介様からこうしてお駄賃の御用達まで頂けるとは、笑いが止まらぬ次第にございまする」
うふふ、と子春丸が含み笑いを漏らす。
びゅうう、と吹雪を孕んだ隙間風が廃屋の戸口から吹き込んでくる。
「さて、子春丸よ。そなたの家は岡崎村であったな」
「へえ。なに、ここからすぐ目と鼻の先でさあ」
「この荒天じゃ。そなたも今宵は暖を取ってここで夜を明かすがよい。但し、うっかり帰りに褒美の品々を忘れていってくれるなよ」
そう言ってチラリと良利が背後に目を向けて先には、何箱もの上等な衣類と山のような米俵が見えた。
「もしそなたの働き次第で我が軍勢に勝利がもたらされれば、そなたは我が主、上総介様直轄の従類、騎馬の武将に取り立ててやろうという我が主からの下令じゃ。我が主は清廉潔白な御方。決して約束は違えぬ。それを励みに今後ともよろしく頼むぞ、子春丸よ!」
「はは、有難き幸せにございまする!」
明日の土産を前に目を輝かせながら子春丸は額をこすりつけて平伏した。生涯将門の伴類で終わるはずのこの身に降って湧いたような好機。子春丸はまるで夢を見るような心地であった。
……そのやり取りを、荷役で疲れ切って高鼾をかいていた馬小屋の人夫衆の幾人かが、耳ざとく聞き入っていたことに、誰も気づかなかった。
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