第2部

間章 藤原純友の乱


  公雅や公連ら坂東からの遠征軍が地元へ帰っていった一月後――伊予国府にて、一人の男が壊れた。


 承平七(九三七)年水無月、夜。伊予国北宇和郡日振島近海。


 その夜、港は突然修羅場と化した。

 今まで朝貢の穀物庫を厳重に管理していた国府の役人達が突如官服を脱ぎ捨て、国府の旗を破り捨て、そればかりか港中の官庫私財庫問わず次々と掠奪、放火を始めのである。

 それだけにとどまらず、周辺の海で待機していた海賊船を次々と誘導、揚陸させ、彼らと共に恐るべき狼藉を働いたのであった。

 驚いた倉庫主や苦役達は武器を手に止めに入るも悉く切り捨てられ、周辺の民家や庁舎も荒らされ、港周辺は火の海となった。


「ぎゃははははははははは! 見よや見よや。入江の営所が景気よく燃えておるわ! まん丸のお月さんにも負けぬほどものの見事に燃え上がっとるぜよ! ぎゃはははははっ!」

 舟の舳先で、自分らがつい先ほどまで掠奪と凌辱の限りを尽くし、放火して去った後を眺めて腹を抱えて大笑いしているのは伊予国府国掾、藤原純友であった。

 三角帽子を小粋に被り、腰に短刀を差しているところなど絵にかいたような海賊姿である。

 国府国掾と言えば国衙では序列三位の高級官僚であるはずの男であるが、連日の海賊退治事務実務で超多忙を極める余り、公雅が心配していた通り、彼らが帰った後で案の定ついにキレてしまったのである。

「どうでいお頭、テメエの仕事の成果ってえモンを遠く船縁から眺めながら立小便するってのもなかなか乙なもんでしょうや?」

 頭に縞々の頭巾を巻いた副頭目と思しき男が船縁で海に向かって放尿しながら笑いかける。

「いやもう最高最高! 超最高! 今まで糞真面目に土日返上早朝出勤残業時間外上等で下の報告に判子押して上へ報告に判子貰って、一々突かれる嫌味小言に胃腸痛めて不眠で死にかけた社畜の毎日が阿呆らしゅうなるわい! この俺様が国府で何連勤したと思っとる? 五十連勤じゃぞ、五十連勤! 時間外何ぞ報告上げとるだけで月平均百二十三時間じゃ! もちろん無給出勤抜きでじゃ! ぎゃはははははは! 今頃国衙で慌てふためいておる国守のハゲツラがどんなものか見てやりたいわい!」

「お頭ぁ、相当溜まってたんですねえ」

 ほっほ、と飛沫を切りながら副頭目がしみじみと言う。

「しかし国府のお偉いさんが俺達の頭目を務めてくれるってんだから心強いやね。これあ俺達の船団だけじゃねえ、伊予どころか淡路や讃岐の船団も加わるかもしれねえですぜ」

 恵比須顔で揉み手する副頭目に、「ふむ……」と冷静な顔に戻った純友が顎を撫でながら思案顔を浮かべる。

「してみるとどれくらいの舟が俺様の傘下に加わると見るか?」

「さあて、何しろ瀬戸内の半分だ。少なくとも明日の朝にゃあ五六千隻はこの日振島を埋め尽くしますぜ!」

「ハン、瀬戸内の半分か。では残り半分、この俺様が頂かねえって手はねえよなあ! ぎゃはははははっ!」

 三角帽に手を遣り、ビシっと燃え上がる入江の方を指さしながら純友は高らかに宣言した。


「――瀬戸内の海賊王に、俺様はなるぜ!」



 ――南海の賊徒の首藤原純友、党を結んで伊予国日振島に屯聚し、千余艘を設け、官物私財を抄劫す。爰に紀淑人を以て伊予守に任じ、追補の事を兼ね行わしむ(「日本紀略」より)


 当時西日本最大の反乱といわれたこの藤原純友の乱は、以上の如くまことに過酷な社畜の鬱屈から端を発したのであった。


 なお、教科書などでは東の平将門の乱と西の藤原純友の乱と合わせて承平・天慶の乱と記載されることもある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る