第5章 虎鳴 弓袋山の合戦 5


 明け方になり、降伏に応じた営所の門は開けられ、中から引きたてられた営所の兵士や避難していた領民達が最初に目の当たりにしたのは一夜のうちに焼け野原となった市街であった。彼らは面影も残らぬほど変わり果てた街の様子を前に足を止め、はらはらと落涙した。

 降伏勧告を受け入れ投降した営所の指揮官は死罪を免じられ将門への帰順を勧められたが拒否し、営内に留まり自刃して果てた。

 

 暗闇と戦禍に乗じ一晩中狼藉に狂った盗賊たちも既に仕事を終え立ち去り、虚ろな静寂ばかりが後に残る早朝の焼け跡には未だ煙が燻り、漆を塗ったように黒焦げになった家々の柱のみが虚しく朝日を照らしていた。

 黒裏頭の配下達は、何人か捕らえたものの、頭目も含め多くは逃げ散っていた。その捕縛した者達も、いつの間にか兵の隙を突いて逃げられてしまった。


「殿!」

 焼け跡を独り身廻っていた将門のもとに遂高、経明が駆け寄る。

「良兼らの所在、未だ不明にございます。しかし筑波山山中に逃走したのは確かな様子。昨日頭目の申していた通り弓袋山を探ったところ、もう引き払ってはいたものの陣を敷いた痕跡が残っておりました」

「……筑波山か。途方もなく広いぞ」

 悩ましそうに腕を組む将門であったが、

「本拠地を焙ってやったのです。そのうち自ずから仕掛けてまいりましょう」

 頭を抱えんばかりの主人をを励ますように遂高が笑う。

「それと、良き知らせがございます」

 一方で、こちらは今にも零れんばかりの笑顔で経明が口を開く。

「御前様が生きておられました!」

 皆が思わず息を飲んだ。

「それは……まことか!」

 遂高もまた喜びを隠しきれない面持ちで問い返す。

「はい。恐らく良兼らと山中に逃げ込み、逸れたところを野盗に拐かされたのでしょう。お怪我をされてる様子にございましたが、大事ございませぬ!」

「美那緒が……」

 呆然と口を開いていた将門の表情に、やがて満面の笑みが宿る。

「……今どこにおるのじゃ。すぐにでも逢いたいぞ!」

「やや、お待ちくだされ。流石に御前様も相当お疲れの様子でございまする。今はそっと休ませて差し上げるのが宜しいかと」

「はは、それは尤もじゃ。……あれは今身重であったものな。無理を強いてはなるまい」

 しかし、経将の報告にそれまで張り詰めていた将門の虎の気配が数っと消えていくのを傍で感じ、二人共ほっと胸を撫で下ろした。

 そこへ、真樹、白氏主従とその従卒らが険しい顔でこちらに向かってくるのが見えた。

「若殿。どうやら妖しい雲行きになって参りましたぞ。良兼奴、そもそも某の所領を攻める為の手勢を集めにこの服織宿へ着陣したらしいのじゃが、今丁度その手勢共が続々と筑波山に集結しておるようですわい。……なんじゃ、皆嬉しそうですのう?」



(――ここは?)

 うっすら目を覚ました娘が天井を見つめる。

 良兼本邸のそれに比べれば造りの荒い木目だが、娘にしてみればこんな立派な天井の下で目を覚ますのは幾年来であろうか。

 痛みに疼く両腕を見ると、左手首と右の掌に丁寧に包帯が施されていた。将門の一撃を凌いだ時は骨がへし折れたかと思ったが、それほどの深手にはならずに済んだらしい。着物も清潔なものに着替えさせられており、布団も上等なものである。

すわ捕らえられたか! しかしこれから殺されるにしては破格の待遇である。

 起き上がろうとしたところを「おお、目を覚まされたか! どうかそのまま横になっていなされ」と傍についていた年配の従卒に留められた。

「ここは服織営所の母屋の広間にございまする。あれから丸一晩眠っておられたのですぞ。生憎合戦中故、陣中に侍女を伴っておりませなんだ。何か所用あれば、この爺に何なりと申し付けくだされ!」

(……この爺、一体何を言っているのじゃ?)

 あれだけ嬲り殺しにされかけたのに随分と甲斐甲斐しいものじゃ。さては誰か俺を囲い者にしようという腹積もりか?

 そんな娘の懸念を露とも知らず、不意に老従卒が表情を落とす。

「……萩野殿の事は、残念にございました。拙者含め皆から慕われていた御人でありましたゆえ」

(……萩野? 誰の事を言っているの?)


 ふと、記憶が過る。

 あれはたしか、野本の戦の折であったか。


 ――萩野、早く逃げなさい!

 ――嫌でございます! うわあああん!


「萩野……? あの姫の侍女の」

「故郷にご主人とまだ小さな御子息がおられると聞いておった。まことに不憫なことでござる」

 く、と涙を拭う老人を他所に、やがて自分の身が置かれた事態を悟った娘の顔からみるみる血の気が引いていく。

 

 ――……お前は――⁉


 思い返せば野本の葦影で対峙したあの時、自分は将門の姫が自分とあまりに瓜二つであることに驚愕し思わず声を上げたのだ。

 だとしたら、自分が此処で手厚く労わられている理由は一つしか思い浮かばぬ。

(間違えられたのだ……)

 聞いたところによると、美那緒とかいう将門の妻は先の合戦の混乱の中で死んだものとされている。その妻が生きていたと知った将門の喜びようは如何ばかりとなろうか。

 それが実は偽物と見破られたら、あの鬼のような将門の怒りに今度こそ八つ裂きにされかねない。

(……逃げなきゃ!)

 慌てて身を起こそうとする娘を侍従が慌てて留める。

「お待ちなされ、まだ傷も癒えておらぬ身体で無理をされるでない。御用ならこの爺に遠慮なく申し付けられよ。身重のお身体に障りますぞ!」

「身重……!」

 その言葉に、娘は更に絶望感を覚えた。


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