第5章 虎鳴 弓袋山の合戦 3
炎のような猛攻により市街地が燃え尽きていく中、将門勢は服織営所に集結しつつあった。相手方は武具を身につけるのもままならぬまま一方的な将門達の進撃により碌に反撃の余地なく斬り倒され、或いは炎に巻かれて息絶えた。敵を前にして逃亡し営所まで逃げ落ちた将兵達も、固く閉ざされた門を泣き咽びながら拳で叩いているところを背中から敵の矢の嵐を受けることとなった。
営所の中は既に戦火から逃れてきた領民らで溢れんばかりであった。
「殿、どうなさる。火攻めを仕掛けまするか?」
将頼が、馬上で腕を組んだまま営内の状況を推している様子の主君に次の指示を乞う。
「いや、火矢は射掛けるな。恐らく中は無関係の避難民の方が多い。大槌を以てこじ開けるぞ!」
意外なほど冷静な判断にホッと胸を撫で下ろした将頼は、「槌隊前へ!」と号令を下した。
その間にも、周囲を取り巻く将門勢に向けて次々と営所の矢倉から矢が射掛けられるが、圧倒的な数の差の前には川に小石を投じているに等しい。しまいには自棄になった兵士が兜や矢筒を投げつけ始める。
こちらの幾百倍もの矢を射かけられバタバタと櫓や物見から落ちてくる兵の骸に、中で息を潜める領民や侍女は悲鳴を上げ、大槌に破られゆく破壊音に子供達は泣き叫んだ。
「……ここには良兼らはおりませぬな」
暫しして、将門の後ろにいた白氏が口を開いた。
「護りも薄すぎるし、さっきから門の口から怯えた女子供の悲鳴しか聞こえませぬ。もし良兼なら領民などとっとと放り出して門前に重しでも置くか、営所が焼けるのも構わずに火矢で応戦してくるでござろう。この営所の指揮官は避難民を庇い過ぎておりまする。良兼や良正などではあるまい」
「某もそう思いまする。思い切って降伏勧告を出してみるべきでは?」
遂高も頷き主人の判断を伺う。
二人の言葉に将門も頷きながら答えた。
「そうしよう。……しかし、では伯父はどこにおるのじゃ?」
「――良兼一味なら山へ逃げたぞ。もうこの街には居らぬ」
不意に掛けられたその声に、ばっと皆が振り返ると、いつの間に背後を取ったか、両脇にシロと大男を控えた鎧姿の黒裏頭の頭目が馬に跨り勝気な眼差しを将門勢に向けていた。
「新手か⁉」
身構える経明らに、頭目はひらひらと手を振って否定する。
「いや、いや。今日は火事場の荒稼ぎよ。……だが将門よ、俺はお前に用があって此処に参った!」
嬉しそうに鉾を振り回す頭目は既に将門の二頭筋やら馬を跨いだ大腿筋に内心で舌なめずりをしていた。
「嗚呼っ! 生きておってくれて嬉しいぞ将門。今日こそ決着じゃ――つっ⁉」
「お頭っ⁉」
言い終わらぬうちに頭目目掛けて唐突にガバッと斬り掛かった将門の斬撃を咄嗟に傍らのシロと大男が太刀で防いだ。
「今伯父は何処に居ると言った⁉」
即座に飛車を飛ばして将門から距離を取った頭目が改めて鉾を構える。
「お前達は手出し無用じゃ!」
間に立とうとする配下二人を制しながら油断なく眼差しを光らせるその相貌には、今までの浮ついた様子は微塵もない。
もうつい今まで将門の肉体に目を奪われていたような余裕は見られぬ。
「……すぐ裏手の弓袋山じゃ。手勢を百程連れてな。今攻めればひとたまりもあるまいて。じゃがのう、その前にこの俺の相手をしてくれねばのう!」
只今の不意の一撃、配下達が庇ってくれなければ食らっていたかもしれぬ。
油断した。相手は将門じゃ。筋肉に現を抜かして次の油断を晒しては命がなかろう。
とはいえ子飼渡し以来待ち焦がれた好敵手。ここで勝負をつけねば収まらぬ!
息を詰め本気の構えを取る頭目であったが、既に火の付いてしまった今の将門にとっては只自分の前に立ち塞がる盗賊風情の娘子以外の何者にも見えない。
「邪魔じゃ、どけっ‼」
「っ⁉」
勢い物凄くバッと横薙ぎに振るわれた将門の斬撃の余りの迫力に気圧され、旋風を浴びた頭目の馬が身を竦めて嘶いた。
辛うじて身を躱した頭目は今の斬り込みに全身に鳥肌が立ったが、猶も気丈に手にした長鉾を扱いてみせる。
「おのれ、俺と勝負がつくまでここから動かぬぞ!」
背後を見ると、黒裏頭の配下達と将門勢との間でも小競り合いが始まっていた。
(あの馬鹿ども、盗るもの盗ったら早く逃げろと言うのに……!)
ぎり、と奥歯を噛み締める。他の将兵から横槍が入らぬよう敵を引き付けているつもりなのだろう。――余計なお節介じゃ!
「おい小娘よ、殺されたくなければ道を開けよ!」
馬をも薙ぎ倒す程の大振りの長鉾を大上段に振りかぶりながら吠える将門に頭目も負けじと得物を振るう。
「嫌じゃ! ――ぎゃあ⁉」
ズシンっ! と鉾に鉾がめり込む強烈な轟音が途端全身に響き渡る。
これまで受けてきた将門の打ち込みとは桁外れに違う、手加減無用の鉛の塊のような一撃であった。
「ぎっ……ぎいっ!」
呻く頭目の手の中で鉾の先がぽきりと折れた。今の衝撃を受けて左の手首が折れかもしれぬ。右の手の甲も割れたかもしれぬ。
いずれにせよ、もうこの手で鉾は振れぬ。
「あ、ああ……! 痛、痛いいっ!」
それでも容赦なく将門は頭目一人目掛け鉾を振い続けた。
「そんなに俺に殺されたくば望み通り殺してやろう! 良兼の居場所を全て吐くまで、或いはお前がバラバラになるまで嬲り殺しになっ‼」
あばらに鉾の柄を受けた頭目の馬が堪らずに絶叫して二本立ちになり、「きゃあ!」と悲鳴を上げて振り落とされた。
「弓袋山に逃げたといったな。山のどこに逃げた? 言え!」
地に転がる頭目へ更に将門の刃が襲い掛かり、撫で斬りにされた甲冑の胴が横一文字に真っ二つに割れ脱げ落ちた。相手の刃が零れていなければ身まで斬られていただろう。
「ひ、ひいい!」
既に頭目は、地面の上を転がりながら将門の刃を逃れるのが精一杯となっていた。
「ぐえっ!」
将門兵に斬り倒された配下の一人が血を噴いて傍らに倒れる。
続けざまの斬撃にすっかり刃が零れ使い物にならなくなった鉾を放り捨てた将門が今度は太刀を抜いて頭目に迫る。
「く、こ。……この!」
頭目も太刀を抜くが、最初に受けた一撃で殆ど腕に力が入らない。あれ程今までの戦いの中で愛でて見ていた将門の二頭筋が、前腕筋が、三角筋が、将門そのものが今では俄かに恐ろしい凶器じみた代物に見えてきた。
「言え、良兼は何処に逃げたのじゃ!」
「きゃああっ!」
激痛に震える両手で構えた太刀はいとも容易く弾き返され、衣の前を裂かれた頭目の小さな乳房が露わになり、悲鳴を上げて胸元を抑え蹲った。
「……う、うわああああっ! うわあああああん!」
とうとう娘のような悲鳴を上げて泣き声を漏らす頭目には最早将門を相手に戦う気力は欠片も残されていなかった。
「うわあああああん! うわあああああん!」
「言わねばその首刎ねるぞ!」
「お頭っ!」
太刀を振り上げる将門の間に割って入ったのは配下のシロと大男であった。
「……シロ、フジマル⁉」
「お頭、此処は一先ず逃げようぜ。盗るもン盗ったしもう用はねえぜ!」
「ちょいとばかし長居し過ぎた。此処は俺達が上手く片付けとっから、お頭は先に逃げて下せえ! ――があっ⁉」
そう言ってニッと笑ってみせる大男の身体が真横に吹っ飛んだ。
「邪魔立てすると貴様等も容赦せぬぞ!」
「う、うわああああ! お、お頭、いいから早く逃げなって!」
配下達が将門一人に蹴散らされていくのを暫し呆然と眺めていた頭目が、思わずぽつりと呟いた。
「――虎じゃ」
「……うわあああああああ!」
そのまま脇目も降らず、頭目は裏手の山の方へ一目散に駆け出していった。
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