第5章 虎鳴 弓袋山の合戦 2


 ――然れども、将門は尚し伯父を宿世の讎として 彼此相揖す。



 同月。常陸・下総国境付近。



 香取の畔、神前の関に迫ったところで関守が再び血相変えて馬を駆ってきた。

「閣下、今度は一体何とした騒ぎでござるか⁉」

 良兼がまたぞろぞろ引き連れて向かってきたという噂が立つだけでもう周辺の役人らは気が気でない。

 まさか今度も後ろの果てが見えぬ程の幟の大行列ではあるまいな⁉

 そんな関守達の慌てふためく姿に良兼は小さく鼻を鳴らしながら、

「なに、今回は本当に隣国の縁者を訪ねるまでじゃ。今度も禁遏無用ぞ!」


 ――時に良兼因縁有るに依りて、常陸国に到り着く。


 ちなみに今回の遠出は全くの良兼の私用であった。

 ほっと胸を撫で下ろして見送る関守を振り返りながら傍を行く公雅が耳打ちする。

「……父上よ、くれぐれも気を付けられよ。将門は確実に生きておりまする。彼の残党も何処で息を潜めておるか知れませぬぞ。くれぐれもご油断召されぬな!」

「なに。万が一彼奴が生きていたところで何ができる。どうせ護殿が仕留めた毒の後遺症で碌に戦えまい。また彼奴の残党共にしろ既に野盗に毛の生えたようなものじゃ。将門という旗印あってこそ軍勢として戦えたような一群よ。首を千切って投げた蛇も同然、只の烏合の衆じゃて。最早我らの脅威とはなるまい。……それに、遺憾ではあるが姫はもう恐らくこの世には居らぬであろう。あれだけ甥が執着していたものが死んだのじゃ。全ての諍いの火種となっていたものが手の内から潰えた今、甥奴が予にこれ以上我らに牙を剥く理由があろうか?」

 娘を失ったことを大して悼んだ様子でもなく、良兼は続けた。

「それより早急の問題は筑波周辺の討伐じゃ。いずれ真樹殿との戦は避けられぬ。今のうちに何としても常盤周辺の援軍の力を得ねば山猿討伐は難しいであろう。決戦は近いぞ。せいぜいそなたも心しておくがよい!」

 そう告げて先に進む父の後ろ姿を見つめながら、公雅は内心忸怩たる思いに震える。

(……父上よ。我が子を戦や政の駒にしか考え得ぬ貴方には到底判らぬのだ。失うものを失い尽くした獣がどんなに恐ろしいものか!)



 同じ頃、下野国某所


「良兼が動いたぜ!」

 塒で何処かからかっぱらってきたと思しき双六に興じていた頭目とシロの元に手下の一人が駆け込んで来た。

 余談だが、当時の双六は盤双六と言い、現在の絵双六とは全く異なり西洋のバックギャモンに近い遊具である。ちなみに賭博にも使用されることがあった。

「お、遂に筑波攻めか? あそこぁまだ焼け野原だ、ろくなモンが掠め取れねえ」

「それがよ。良兼の爺奴、何の用事か知らねえが、今朝から一門ぞろりと引率いて服織の方に向かったってんだよ。久々に一族揃い踏みだぜ。……なあ、お頭、将門の野郎生きてたとしたらこの機逃す手ァ無いわな?」

「将門か!」

 頭目が目を輝かせて、ぽい、と双六の牌を投げ捨てる。

(嗚呼っ! あの鬼怒川での一戦は生殺しじゃった。……早くあの二頭筋を拝みたいものじゃ!)

「服織っていえば上総の殿様の豪勢な別邸がある所じゃねえか! そりゃあきっとがっぽり稼げるぜ! 先の戦でたんまり得た褒賞で揃えた武具、やっと使う機会が来たってわけだ!」

 やはり血の気の多い連中、新調した武具甲冑を早く使ってみたくてならぬらしい。



 同年十九日、常陸国真壁郡服織宿。良兼拠点。


 将門勢人馬合わせて千八百人。草木を揺らすほどの軍勢は、いずれも堀越来栖院や渡の夜襲で豊田の郷を焼き払われた従類伴類達。言うなれば皆飢えた手負いの狼同然であった。

 密かに将門方の赤幟がぐるりと集落を取り囲み布陣を終えると、物見の兵らが状況を告げに本陣へ駆け戻ってきた。

「集落内部に敵兵多数警戒に当たっておりまする。しかし良兼らの所在判らず! 営所にも姿が見えぬようです」

「……兄上、如何いたすか?」

 配下の報告に、将頼が兄の横顔を伺う。

 躊躇うことなく将門は命じた。


「――残らず焼き尽くせ!」



 ――乃ち彼の介の服織の宿より始めて、与力の伴類の舎宅、数の如く払ひ焼く。


 街を警戒していた将兵や領民達は一瞬なれども真昼に星空を見る思いであったろう。突如、千に及ぶ射手が一斉に市街へ向けて火矢を放ったのである。空を埋め尽くす程の火の玉の群れが次の瞬間には目の前の全てのものに突き刺さり、一瞬で炎を上げたのであった。


「第一射終わり。効果は抜群と思われます!」

「宜候。皆よ、斬り込むぞ! 平服であっても従類伴類の類とあらば容赦なく切り捨てよ。――掛かれ!」



 思いも寄らぬ将門勢の接近にいち早く気づき、裏手の弓袋山へと逃れていた良兼らは市街地が瞬く間に炎に包まれていく様子に流石に顔色を変える。

「……あれは甥奴の戦の仕方ではないぞ! 一体誰が指揮を執っておるのじゃ⁉」

「恐ろしいことじゃ。与力や従類の家屋敷はおろか寺まで火にかけようとしておるぞ。このままでは我らが営所も時間の問題ぞ! 人非人の悪行じゃ!」

(その悪行と同じ所業を、我らが先に豊田で行ってきたではありませぬか、叔父上……?)

 兄と二人口々に界下の惨状を非難する良正に対し内心で公雅が呟いた。

(……それに、あの先頭を行く虎の如き男はまさしく将門じゃ。あなたがあの男を虎へと変えたのですぞ、父上?)

「父上、今すぐ麓へ降りて領民らを救いに参りましょう。このまま此処で眺めておるだけでは埒が開きませぬ!」

 血気にはやる公連に「待て」と父は制した。

「あの炎では山を下ってもとても兵を展開できぬ。苦しいであろうが今は待つのじゃ。……この父も断腸の思いじゃ!」

 震える声で告げる良兼に公連は悔しそうに傍らの松の木を叩く。当然だろう。千を余裕で超える敵勢に対し弓袋山の我が兵力は百に満たず。討たれに行くようなものである。況してや領民の救助など。



「ぎゃはは、最高の仕事場だぜこれぁ!」

 火事場から掠め取った家財を抱えながら黒裏頭の大男がぐいと頭巾を上げ、顔面を露わにする。その顔の半分は古い疱瘡痕で潰れていた。

 いつの間に侵入したのか、僦馬の党の他、周辺の盗賊や子悪党らも戦火に乗じた掠奪に加わっている。

「俺は七つの時に家族全員にくたばられてからこの家業を続けてきたがよう、やっぱり今のお頭の下で働かせてもらって最高だぜ。なんたって戦の鼻が効く。おかげでこちとら乾く暇もねえや。お頭様様だあ。ぎゃはははは」

 大笑いしながら濁った眼で振り返る大男の後ろでは、シロを傍らに控えさせた鎧甲冑姿の頭目が周囲を目ざとく見回していた。


「――将門は何処じゃ?」

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