第4章 子飼渡の合戦 6
同夜、堀越渡は陥落した。
討ち取られた者二百余り。その他は闇夜に紛れ逃走した。
「やはり読んだ通りじゃ。こいつら、将門がおらねば只の張子の虎よ。将門一人の号令で動くだけの木偶に過ぎぬ。総大将さえ除いてしまえば容易いものよ」
大した感慨も無さそうに従卒を連れ陣跡を歩き回ってみる良兼。
「しかし武将首がありませんな」
松明片手にざっと実検していた公連が残念そうに呟く。
「俘虜を締め上げてみたが将門の居所は吐かなんだ。大した忠誠心よ。尤も、舅殿の謂いの通りであれば既に死んでおるかもしれんがな」
「まさか?」
首を実検していた公雅が顔を上げる。
「あの将門が簡単にくたばると? 首だけになってもこちらに飛んできて咬みついてきそうな男ですぞ?」
息子の言葉に何とも返しようがない様子で良兼が肩を竦める。
「いずれにせよ。これで虎の牙は折れた。後は後腐れの面倒そうな残党狩りじゃ。まずは豊田猿島周辺を抑えた後に、筑波の真樹一族を潰す。まだまだ気を抜くでないぞ。また、毒でくたばった後でも良い。将門の首も必ず押さえよ!」
「追手が付いたか⁉」
チラチラと遠くに瞬く松明に将頼が馬を止める。
「……いや、あれは味方の合図にございまする。あ、松明を消した。しんがりが追いついたのじゃ」
遂高が話す傍から、闇夜を裂いて数頭の騎馬が近づいてきた。先頭を行くのは屈強な大男――好立である。その背後の馬には、傷の癒えぬままの経明がぐったりと馬の背に乗せられていた。
「将頼様。申し訳ござらぬ。敵が鎌輪宿営所に火を放ちました。他の百姓屋敷も悉く放火、掠奪の憂き目に遭っておりまする」
「……すまぬ。あのだばい婆、助けられなんだ。ここを梃子でも動かぬと最後まで意地を張りおって。……最後は、炎の中に」
馬の背に顔を埋めて経明が嗚咽を漏らす。
――遺る所の民家仇の為に悉く焼け亡びぬ。郡中の稼稷、人馬は共に損害させられぬ。所謂千人屯れぬ処には草木倶に彫むとは、ただ斯を云ふか。
ここに将門が父将持から受け継いだ本拠地、豊田猿島は完全に焼け落ちたのであった。
「御前や萩野殿を逃がせただけでも僥倖と思わざるを得まい。しかし、今営所や殿の元に迂闊に近づくのはまずいぞ。どこに敵の追手が迫っておるか知れたものではない。領民でさえ我らに刃を向けてくるかもしれぬ」
そこへ、ヒュウウウ、と嚆矢が放たれ、がやがやと人馬の近づいてくる気配が聞こえた。
「いかん、追手じゃ!」
「いたぞ、湖畔の方を数騎走り去ってゆくぞ。沖の方も探せ! 舟で逃れる者もおるかもしれぬ!」
一方、その頃、美那緒と萩野は湖畔の上で舟に揺られ、水草の間を飛び交う虫の灯を見て小さな歓声を上げていた。
「あら、御前様、蛍が飛んでおりまする」
「まあ、奇麗。……もう秋も間近なのにまだいるのね」
互いに戦の事を考えぬように、考えてしまってはきっと矢も楯も堪らなくなってしまうであろうから、努めて無邪気に笑顔を交わし合った。
しかし、ふと岸の方に目を向けてしまえば、闇夜にも鮮やかな炎が岸辺の何処かを真っ赤に染め、目を背けようともこちらまで人家を焼く煙が漂ってくる。ひょっとしたら、只今見た蛍も、人を焼いた火の粉がこちらまで飛んできたのかもしれぬ。
主様は無事であろうか。
あの人と、初めてお会いしたのは、あれはいつだったか。
自分を連れだしてくれた夜も、確か、こんな風に騒がしい夜だったっけ?
「あら?」
と首を傾げながら萩野が耳を欹てる。
言われて耳を澄ましてみると、確かに、ちゃぽ、ちゃぽ。と何やら水が撥ねる音が聞こえる。
「御前様、夜なのに魚が撥ねておりましてよ?」
ちゃぽ、ちゃぽ。
ひゅん、ひゅん。
そう言って無邪気に船縁から身を乗り出した萩野が「あっ」と小さく呻いて水柱を上げた。
「萩野っ⁉」
首筋に矢を受けた萩野の背中がみるみる水の中に沈んでいく。
「萩野!……萩野っ!」
やがて水底に消えて見えなくなった萩野の周辺から、プカリと泡が幾つか浮いて弾けていく。
ひゅん、ひゅん、と矢鳴りも激しく小舟を囲み出し、やがてびぃぃんと音を立てて船縁に矢が幾本も突き刺さった。
――主様。
ゆっくりと、美那緒は船底に身を横たえて目を閉じる。
最期に思い浮かぶのは、ただ、ただ愛する人の力強い背中。
きみがゆくみちのながてをくりたたね――
大好きな古い歌を口にしながら、永の別れとなる最愛の人のことを想った。
……ただ、貴方あなたの肩越しにいつまでも風を感じていたかった。
あなたの行く道がどれほど長く炎のように険しくとも、手を取り合って共に歩んでいきたかった。
――あるじさま。
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