第3章 下野国府の合戦 6
「貞盛殿!」
騎馬六騎を従え矢をこちらに番え向かってくる石田一隊に将門は叫ぶ。
呼びかけに応じた貞盛が配下の進軍を止めさせこちらへ馬を寄せてくる。
「貞盛殿、某は戦のこととはいえ貴殿のお父上、並びに所領に対し取り返しのつかぬ不義、損害を行ってしまった。それに対して幾度も謝罪も賠償もしたはずじゃ。いずれこの身、冥府にて修羅の火焔に焼かれるものと覚悟しておる所存じゃ。其処許もまた我が謝罪を酌んでくださり和睦を結んでくださったものと理解しておったが、……その貴殿がなぜ今我ら豊田に矢を向けられるか⁉」
怒声を込めて問う将門に顔中を忸怩たる苦渋に歪めながら涙を流し貞盛は答えた。
「将門殿、貴殿との和睦を反故にし平和を破ったこと。我が身を裂かれる思いじゃ。だが将門殿、どうか恨んでくれるな! 我ら石田の一門、ならびに一族領民らを坂東八国、ひいては日ノ本すべての敵に晒すわけには参らぬのじゃ!」
泣き叫びながら太刀を抜く貞盛に、(最早是非なし!)と将門もまた鉾を振り上げる。
「待てやああっ! その将門、我が取り首ぞ!」
突如二人の間に紫電の如き鉾の斬撃を割って入れたは黒覆面の頭目であった。
「な、何じゃ貴様⁉」
「お前は野本の時の僦馬の頭目か!」
驚愕の色を浮かべる二騎に対し黒馬を駆る頭目は貞盛には目もくれずに将門の鉾を構える逞しい腕を舐るように眺め尽くしている。再び何やら怪しい雲行きである。
「覚えに預かり恐悦至極。何時ぞやの続きじゃ。今度こそ逃がさぬぞ将門奴!」
と、凛々しい双眸を垣間見せつつ、その実、
(……嗚呼っ! あの鋼のような上腕三頭筋、血管のはち切れんばかりの前腕筋! ああたまらない! あの剛腕で振るわれる一撃をこの鉾で受けたらどれほどの強靭さか!)
と想像するだけで覆面の下が上気してやまない頭目に何やら不穏な気配を感じた貞盛が、「……ええい、邪魔立てするなっ! これは俺と将門殿との一騎打ちじゃ!」
と邪魔者を払い除けようとしたところで「主様!」「お頭!」とそれぞれの配下達が追いつく。
「これシロ、将門は俺の獲物じゃ、手出し無用ぞ!」
折角駆け付けたのに頭目に邪険にあしらわれたシロと呼ばれた手下は、「ちぇっ!」と小さく舌打ちしながら向こうから迫る女武者に打ち掛かった。
貞盛もまた、将門より先に目の前の邪魔者をまず片付けようと傍らに迫る女武者へ先に太刀を払うが、たちまちのうちに疾風のような一薙ぎに真上へ弾かれる。
「何と⁉」
目を見張る貞盛をすり抜け、女武者に鉾を振るったシロの刃が相手の懐に届く前に鉾の石突を鳩尾にうけ「うげえっ!」と呻き声を上げて仰け反った。
ひらひらと鉾を靡かせながら、上総国府にて長鉾の夜叉姫と名の通った女武者――美那緒がふっと笑みを見せながら艶やかに二人に微笑みかける。
「――何なら二人同時に遊んでやっても良いぞえ?」
混戦の様子を見せる主達に対し矢で援護したものか逡巡する待機中の六騎の新兵騎馬の内の一人の頭が突然吹き飛んだ。
「……はあ⁉」
「えい!」
驚いて振り向いたもう一人の顔面にも同じく大槌がめり込み鼻血を噴きながら馬上から吹き飛ばされた。
「うわああああん。怖いよう!」
いつの間にか背後に廻っていた萩野が、乗り慣れぬ馬に跨りながら大槌を振り回していたのである。
現代でいう処のゴルフクラブと同じ要領で、斬り方刺し方にも腕力や訓練の要る鉾や太刀よりも、先に重りのついた棍棒のようなものの方が女性のような腕力の弱い初心者には武器として扱いやすい(※ゴルフクラブを武器として使用するよう勧めているのではありません)。
「こ、……の小娘が!」
相手が不慣れな女武者と知った残りの騎馬らがいきり立って萩野に矢を向ける。
「きゃあああっ!」
大槌を放り出し思わず悲鳴を上げて身を竦める萩野のすぐ傍をひゅんひゅんと矢が掠めていく。途端に四人の騎馬らがバタバタと馬から崩れ落ちる。
「大事無いか、萩野殿?」
「経明様!」
一度に矢を四本番え見事全て命中させるという神業を見せ窮地を救ってくれた経明に萩野がパアっと顔を輝かせる。
「萩野殿、初陣の大手柄じゃぞ、騎馬を二人も打ち倒すとは! ……それにしても」
グッと親指を立てて見せる経明であったが、呆れたように周囲の戦場の様子を眺めやる。
「新兵ばかりと睨んでおったが、やはりまともに相手になるのは石田勢の数十騎程度か。これならば我ら騎馬十騎でも勝てたかもしれぬ戦じゃ!」
木立に向けて幾重にも巡らした歩兵群は散り散りになって敗走するも、騎馬の合戦では未だ勢いの上では拮抗している。とはいえ、最近馬の乗り方を覚えたばかりの新米伴類と、将門勢選りすぐりの歴戦の騎馬武者との戦いであるから、どうしても討ち取られる首級の数は良兼方の方が多い。
「……もうよい。撤収じゃ。陣を引き払うぞ」
深い溜息を吐きながら良兼がとうとう重い腰を上げた。
「兄上、お待ちくだされ! 確かに歩兵共の隊列は崩れ騎馬の痛手も多うござるが、数の上では我らが圧倒しておりまする。やがて敵勢も疲弊してまいりましょう。今撤退するのは余りに時期尚早にございますぞ!」
思わぬ兄の言葉に慌てふためく良正であったが、良兼は小馬鹿にして立ち上がった。
「誰が
将門の渾身の斬撃を全て受け流し、荒い息を吐きながら、頭目は飛び散る汗を気にするでもなく柳の葉のような鋭い間隙を執拗に突いてくる。
しかし、はあ、はあ、と吐く頭目の荒い息に熱っぽさが感じられるのがまたもや怪しい雲行きである。
(嗚呼、なんて重い斬撃。期待していた以上じゃ……! それに、鉾を振り上げるたびに盛り上がる三角筋、僧帽筋、……嗚呼、だめもう濡れちゃうっ‼)
将門もまた息を弾ませながら頭目の刃を交わし、一旦距離を取る。
(この男、美那緒と同じ類の鉾捌きじゃ。……参ったな。俺は今まで美那緒から手合わせで一本も取ったことがないのだが)
双方、互いの間合いを図っている間に、――唐突に撤収の銅鑼が鳴り響いた。
「――何、撤収⁉ このまま粘れば勝ち戦じゃぞ⁉」
傍で美那緒と刃を交えていた貞盛が驚いて声を上げた。
将門ら将兵も驚いて辺りを見渡す。
「チィっ、これでは生殺しじゃ! ……将門よ、この勝負、次に預け置くぞ! それまでにますます鍛えておくがよい!」
汗か涎か判らぬ汁を掌で拭うと、さも後ろ髪引かれる様子で僦馬の頭目は踵を返して駆け去っていった。
良兼将兵ら、皆釈然とせぬまま、しかし少しほっとした様子でぞろぞろと引き揚げていく。
後に残された将門らの元へ、遅れて将頼、遂高らが馬を寄せる。
「……殿。どうも解せませぬ。確かに我らが圧してはいたが、あの数で攻め続けられていてはどうなっていたか判らぬ戦。一体この敵の撤収はどのような思惑とお考えか?」
「俺にも判らん。しかし、まだあの数じゃ。居座られても困る。十分に注意しながら追撃するぞ!」
……良兼勢の損害、射止められた者は騎馬だけでも八十余り。しかし、緒戦で驚き逃げ去ったものも多数あり、その兵力の残数は千余りであった。
「……して、兄上。陣を払うと申せられまするが、この後何処へ陣を移されるおつもりか?」
恐る恐る問う弟に、良兼は無表情に答えた。
「神前の関を通る際に申したであろう。隣国の知人を訪ねるのじゃ」
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