第3章 下野国府の合戦 4

 下野国国境付近。


 見渡す限りの葦原にて、一足早い紅葉の林の如き真っ赤な布陣を敷いた良兼勢は、いよいよ将門本拠地豊田攻略の為、南下の準備を始めていた。要は周辺集落からの兵粮、秣の徴発である。中には慰み者にしようと若い娘を拐かそうとする質の悪い伴類もいたが、そのような不届き者は厳格で知られる良兼直々に成敗を加えられた。

「我ら筑波の紅獅子は女人を犯し、または手に掛けてはならぬが掟。不心得者は一切容赦せぬと心得よ!」

 只今手討ちを下したばかりの血濡れの太刀を全軍に示し、殊更に規律を誇示してみせるが、いずれにせよなけなしの食料や牛馬を理不尽に奪われた民衆からしてみれば堪ったものではない。赤旗の軍列が通り過ぎた後には住民達の罵声と啜り泣きが痛ましく響き渡った。

「しかし、数こそ多いものの、こうしてみると若輩の新兵が多うございますな」

 頼りなさそうに呟く良正に舌打ちしながら良兼が答える。

「だから最初に申したであろう。歴戦の猛者たる者ら本隊は息子ら二人と共に伊予へ海賊討伐に召集されておると! それでもとそなたが泣いて縋るのでこうやって下野近辺まで出向いてきておるのではないか!」

「うふふ。しかし、決して徒労ではございませんでしたぞ。何しろ――」

 本陣で言い合う良正と良兼の隣で、含み笑いを漏らしながら良利がチラリと傍らで強張った表情を浮かべ俯く男へ視線を向ける。

「こうして一族中の反逆児たる将門奴を懲らしめる為の役者が、見事揃い踏みしたわけでございますから。のう、貞盛様?」

「……」

 良利の言葉にも、貞盛は項垂れたままである。

 こほん、と咳ばらいをしながら、「それに――」と、末席に控える異様な黒覆面の男に目を遣った。

 言うまでもなく黒僦馬の頭目であった。

「負け戦とはいえ、実際に野本で将門と刃を交えたというこの男、なかなかの腕達者という事でございますからなあ」

 ニヤニヤと自分を眺めやる良利の嫌らしい笑いに、頭目は無言で低頭した。


 


 数日前、まだ良兼らが水守に陣を張っていた時の出来事であった。

 良正より出頭を命じられた貞盛らは陣に入るなり叔父に面罵を受けたのである。

「貞盛よ、この一族の面汚し奴! おぬし、実父である国香兄の仇敵と和議を結んだと聞いたが、一体それはどういう料簡を持っての事じゃ!」

「叔父上、道中ご覧になられた通り我が父より残された所領、領民らは未だ戦の傷跡癒えておりませぬ。それを放置したまま怒りに囚われ復讐を求めることは石田の領地を統べるものとして到底できませぬ!」

 怒り狂う良正に低頭したまま貞盛が返す。

 その隣にて平伏していた弟・繁盛が、屹と相手を睨みつけるように顔を上げ口を開く。

「叔父上、兄はこう申しておりますが、我ら石田勢、亡き父、亡き主君の弔い合戦、今すぐにでも加わりたい所存にございまする。思えば営所が焼け落ちたあの夜以来、将門奴の復讐を忘れた一刻などござらぬ! この度の伯父上らの挙兵、我が身に、我が石田勢には千載一遇の好機! 兄上はともあれ、何卒、この繁盛のみにても末席に御取立てくださいませ!」

 爛々と燃える眼差しで見上げる繁盛の様子に満足気に頷くと、傍らの兄へさも軽蔑しきった様子で吐き捨てる。

「聞いたか貞盛よ。貴様の弟の方が余程仁義も道理も弁えておろうが。つわものたる者、財を奪われ、親族を殺められれば先ず仇敵を誅するが名誉ぞ。その仇に対し何の戯れに擦り寄るような真似をするか!」

 良正の憤激に揃って平伏する貞盛、繁盛の様子を黙ってみていた良兼が、不意に声を上げた。

「貞盛、繁盛よ、これを見よ」

 そう言って配下に命じ背後にある幕を広げて見せる。

「我が倅ら二人が揃ってから用いようと用意しておったのだが」


 目の前に広げられた二枚の幕を目の当たりにした二人は思わず刮目し、

顔色を変えて後ずさった。

「これは―――⁉」

 まるで霊験に打たれたかのように言葉を失う二人に対し、良兼が厳かに告げる。

「我らはこれから、この二旈を前に掲げ一族中の逆賊を成敗しようと企てておる。お主等は、只今この有難き御像に対し向かい合うている。その意味が解せぬわけではあるまい?」

 最早一言もない。がくりと貞盛は肩を落とした。


「御免仕る!」


 そこへ突如割って入ったのが黒裏頭の頭目であった。

「この度の進軍、何でも豊田の将門討伐であるとか。某も彼奴に因縁がある故、是非戦列の末席に加えて頂きたい!」


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